異次元 | ナノ


異次元 
【魂喰いvol.2】
 




「…急にそんな事を言われても、子元の言葉を全て信用する事なんて私にはできない。子元は頭のいい男性だもの。何も企んでいないとは思えない。ここでは一旦見逃してくれたとしても、その後に何か……」
「余計な心配は不要だ。お前が本当に扉を開けて出て行く≠フであれば、私はお前にこれ以上無駄なちょっかいはかけぬ。約束しよう」
「そんな……」

戸惑い、疑念に満ちた名無しの視線を、司馬師は平静な顔で受け止める。

「昭……、手を放せ」
「……っ。兄上!!」

悲鳴にも似た声を絞り、司馬昭は驚愕の眼差しで兄の端正な顔を見つめた。

しかし、兄の命令にはいくら彼とて簡単に逆らうことは出来ないのだろう。

茫然とした面持で、司馬昭は仕方なくというように己の両腕を名無しから外していく。


(彼の言葉を信じてもいいのだろうか)


本当に、ここから逃げ出す事は可能なのか。


どこかに裏はないか?罠は仕掛けられてないだろうか?


たらり、と不快な汗が一筋、自らの額から流れ落ちるのを感じた。


だが、いつまでもこうして司馬昭の部屋に留まり続けるのは、どう考えてみても得策ではない。

司馬師がせっかくそう言ってくれているのだから、ここはむしろ、彼の気が変わらない内に、一刻も早く室内から脱出する事が必要だと思われる。

「…分りました。子元がそう言ってくれるなら、お言葉に甘えて私は自分の部屋に戻ります。今の約束…絶対に守ってくれるよね?」

最終確認をする名無しの問いに、司馬師は表情を変えずに静かに頷く。

自分の元から立ち去ろうとする名無しの姿を目に留めて、司馬昭の美しい顔立ちが切なさと苦渋の色に歪んでいた。

司馬師の一番傍にいて、彼の事を最も理解している弟の司馬昭がこのような表情を見せるのだ。

司馬昭の様子から察するに、司馬師の言葉が本気であると、彼には分っているのだろう。

コツ、コツ。

司馬師達に背を向けて、名無しは迷いなく、しかし慎重に己の足を扉に向けて進めていった。

道中、何かされるのではないかと内心警戒していた名無しだが、驚くほどに司馬兄弟は何もしてこない。

彼女に向ってああ告げた以上、司馬師本人のみでなく、弟の司馬昭も約束を守ろうとしてくれている。



(良かった…、無事にここまで辿り着けた。ようやくこの扉を開けて自分の部屋に─────……)



目的地まで何の問題もなく辿り着き、扉の取っ手を掴み、ホッと安堵の吐息を漏らした直後。


チクリ。


鋭い針の切っ先のような何かが自分の背後から首筋に刺し込まれた。


驚いた名無しは、瞬時に取っ手から手を離して、違和感を抱いた首筋の個所を自分の掌で押さえる。


(─────……!!)


司馬師達の方に振り向いた瞬間、まるで靄がかかったように名無しは視界を失った。

それと同時に、全身から脱力し、糸がプツリと切れた人形のようにその場から崩れ落ちる彼女の体を、背後から伸ばされた力強い男の腕がしっかりと抱きとめる。


「……階段を降りる際、一番危険なのは最後の一段を降りる瞬間だ。そういう言葉を聞いた事があるだろう?」


あと一段降りさえすれば終わり、と思った時、人間は一番油断する。

それまでは慎重に足を進めていたはずなのに、最後の一段になった途端、足を滑らせて転倒する人間がとても多いと。

階段での骨折事故も、そういうケースが多々見受けられるのだと。

曖昧な思考の中で、そんな話を思い出しながらぐったりと男の両腕に身を預ける名無しの体を抱き、語りかけるのは司馬師の声だった。


あと、一息。


この扉を開けるだけだと思って名無しの緊張が僅かに緩んだ瞬間を狙い、気配を消して彼女に近づいた司馬師が彼女の首筋に背後から注射針を突き刺したのだ。


「いやはや〜、惚れぼれします!兄上の事ですからきっと何やら企んでいるんだろうなとは思っていましたが、まさかの薬物使用とはさすがの俺も予想していませんでした。それ、いつから準備していたんですか?」

こんな状況を目の当たりにしたというのに、あははははっ、と爽やかにすら感じられる快活な笑い声を上げて、司馬昭は兄の手元に視線を送る。

「元々だ。今夜名無しの部屋に訪れた際、この女の返答次第では使おうと最初から決めていた。跡が残りにくい特殊な針を使っているので、一回刺したくらいではあの人達≠ニやらにも分からんだろう」

司馬師は手元の注射器を布で拭いながら、冷たい声で言い放つ。

「へええ…用意周到な事ですねえ。で、これはどんな薬なんですか?見たところ、名無しはまるで脱力しきった状態に感じますけど」
「ふ…。私が抱えている闇医者に命じて特別に調合させた代物でな。即効性のある薬物で、注入した相手の視界と筋力を同時に奪う。今の名無しは目が見えず、自力で立ち上がるのも非常に困難な状態だ」
「ははは、エゲツない」
「しかし、効果が絶大な反面、薬が作用している時間は短い。以前にも奴隷の何人かに試してみた事があるが、大体20分〜30分程度で効果は切れる」
「ふぅん。そうなんですか?思ったより短いもんなんですねえ」

司馬師の言葉通り、何も見えず、身動き出来ない肉体になってしまった名無しの鼓膜に、男達の低く、残酷な声音が頭上から降り注ぐ。

「あー、でも兄上、筋力まで失われるって事は下半身もって事ですよね?それは正直残念だなあ。挿れた瞬間、こんにゃくみたいにヌルヌルに絡みついてきながらも、奥へ奥へと誘導してくる名無しの絶妙な締め付け、最高に気持ち良くって俺大好きだったのに…」

失意のどん底に陥ったかの如く、ハーッと深い溜息を洩らす弟に、司馬師がからかうような流し目を送る。

「言っただろう。効果が続くのは20分〜30分程度だと。それを過ぎればお前の大好物である名無しの膣内も本来のキツイ締め付けを取り戻す。名無しの体が戻るまでのその間に、たっぷり時間をかけてこの女の準備≠してやればいい」
「なるほど。実に効率的な時間の使い方じゃないですか。やっぱりさすがですね兄上!二度目ですが、その悪魔的なまでの計画性の高さ、マジで惚れぼれします〜」

司馬昭は朗らかに笑いながら大きな手を叩いてパチパチパチと拍手を送り、兄に対して心からの賛辞を述べた。


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