異次元 | ナノ


異次元 
【魂喰いvol.2】
 




「別に自慢する訳ではないが、私も昭も父から譲り受けた司馬家の資産に加え、己の能力で増やした自己資産もある。今後の生活は保障するし、金銭的な面でも余計な苦労は掛けさせない自信はある。自分で言うのも何だが、私も昭も……これでも結構な優良物件だと思うぞ」

思案するように呟いて、司馬師が名無しを見下ろす。

そんな事は、言われなくても名無しだって十二分に分かっている。

高身長、高学歴、高収入、目が覚めるほどの美しい容姿を持ち、おまけに肉体まで若い。

精神的にも経済的にも余裕のある大人の男性、家柄も良く、将来的にもさらなる出世が見込める超有望株。

彼らの備える要素だけをずらずらと挙げ連ねていけば、誰が見ても女性が恋人や夫に求める全てを兼ね備えた完璧な男性、いわばスーパーダーリン。

世間一般の基準に照らし合わせてみれば、彼らの男としての偏差値は極めて高く、これこそスパダリ≠ニいうものなのだろう。


─────だが。


名無しの目から見れば司馬師と司馬昭はとても誠実な男性には見えないし、例え結婚しても子供が出来たとしても浮気をするだろうと思えるし、家事や子育てを積極的にこなしてくれるイクメンにも思えないし、不安要素は山ほどある。

これだけ兼ね備えている男性に向かってなんと贅沢な、我儘な!!

……と思う人々もきっと大勢いるとは思うが、そもそも名無しは司馬兄弟がのたまった『交際発言』自体を全く信用していない。


彼らほどの男性であれば、そんな大事(?)な相手に、わざわざ自分のような女を選ぶ必要はない訳で……。


「それとも、お前は一生今のままで─────日陰の身≠フままでいるつもりなのか?」
「……っ!」


日陰の、身。


司馬師の口から放たれた質問が、残酷なまでの強度を持ってグサグサッと名無しの心に突き刺さる。


『相手の弱点を利用するのだ』


名無しの脳裏に、先刻司馬師が放った言葉が鮮やかに蘇る。


なるほど。弱点を突くとはそういう事か。


今の自分にとっては嫌になるくらいに的確な司馬師の発言に、名無しはクラリとした眩暈を覚えた。


(確かに……今の私に、未来があるのか分らない)


曹丕はいずれ自分を妃に迎えるつもりだと言っていた。

しかしながら、その言葉の真意は曹丕本人にしか分らない。

仮に彼の発言が本心から出たものだったとしても、それはあくまでも現時点≠ナの話。

人間の心は時間の経過と共に変わっていくものだ。

交際時に深く愛しあい、永遠の愛を誓い合った夫婦ですらも、今や3組に1組が離婚している世の中である。それが現実。

万が一曹丕が本当にそう考えていてくれたとしても、この先彼にとってもっと魅力的な女性が現れたら。もっと彼の心を掴んで離さない、素敵な人が現れたら。


曹丕が100%決して心変わりをするはずがないだなんて、一体どうして言い切れるだろう?


(私は……)


がっくりと項垂れ、言葉を失う名無しの顔を、司馬昭が心配そうに覗き込む。


「名無し…どうした?ひょっとして、俺の言う事が信用できないとか。それで黙り込んでんのか?」
「……。」
「はぁ…、そう来たか。まあ確かに、俺がお前の立場でも簡単には信用できないかもな。日頃の行いってやつですか、これが」
「……。」
「そんなにお前が俺の事を信じられないって言うんなら、今から父上に言いに行ってもいいけど?名無しと俺はデキているんでよろしくお願いします、って。もう夜も遅いし、父上にどんな反応されるか予想ができないし、考えると若干憂鬱になるんで、できれば後回しにしたいところなんだけど」
「!!」

司馬昭の提案を耳にした名無しは、表情を一変させた。


「や…、やめてっ。子上、お願いだからやめて!そんな事…!」


懇願混じりの悲鳴が、迸る。


司馬昭の口から、自分との関係を司馬懿に直接告げる?とんでもない……!!


背筋が凍るとはこのことだ。


想像するだけで、名無しの全身を震えるほどの冷気が駆け巡っていく。


「何と言われても、無理なの。子元や子上と私が…こ、交際…する…だなんて。絶対に無理。それだけは…っ」


はっきりと、今の自分の身に起こっている状況について彼らに伝えられないというのは、何ともどかしいことか。


自分が、曹丕や司馬懿の所有物≠ナある限り。


そして彼らが司馬懿の血を分けた実の息子達である限り、こんな事は決して許されない。


許されるはずが…………ない。


「……絶対……?」


震える声で訴える名無しを、ぞっとするように怜悧な双眸のまま、二人の男が見下ろす。

名無しが男達の申し出をきっぱりと断った直後、部屋の空気が変わったのを感じた。

それと同時に、一瞬にして彼らの全身が総毛立ち、身も心も苛烈な怒りの感情に包み取られたのが彼女にも分かった。

父親に似てプライドの高いあの二人が、嘘か本当かは別にして、己のモットーを曲げてまで名無しに差し出した提案を、にべもなく断ったのだ。

名無しの額に、嫌な汗がジワリと浮かぶ。

ドクンドクンと心臓が不快なまでに大きな鼓動を刻み、呼吸をするのが苦しくなる。

それまで広々と見えていた室内が、窮屈な牢獄に突然変貌したかのようで。


「では……このまま立ち去るがいい」
「……えっ?」


完全に身構えていた矢先、予想外だった司馬師の返答を浴びせられ、名無しの体が硬直した。


何を考えているのだろう。


司馬師の脳内は読めないが、とりあえずこの状況から脱出しなければと思い、気を取り直した名無しは司馬昭の腕の中で懸命に藻掻く。

「言葉通りの意味だ。たかが一人の女如きの為に妥協に妥協を重ねた提案を、こうもあっさり否定されて、それでも無理やり引き留めようとするほど私は暇な男ではない」

司馬昭の逞しい両腕に抱き留められ、完全に身動きが出来なくなっている名無しを一瞥すると、司馬師は部屋の扉の方に向けて形の良い顎をクイッと向ける。

さっさとこの部屋から出て行け、と言うのだ。

「兄上…!そんな事許しちゃっていいんですか?本当に!?」

焦りに染まった司馬昭の声が、司馬師の発言に『待った』をかける。


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