異次元 | ナノ


異次元 
【魂喰いvol.2】
 




「こんな時間に、兄上が名無しに何の用事だって言うんですか。大体仕事の話って訳でもなさそうだし───────、……あっ」

司馬昭も同じ事を考えたのだろう。

名無しの気持ちを代弁するかの如く疑問をぶつける司馬昭の声が、途中で途切れる。

「……まさか。兄上」
「……。」
「ひょっとして…、兄上も俺と同じ状態に…!?」

驚きに染まった声が、司馬昭の口から押し出される。

しかし、それに応える司馬師の返事はない。

不愉快な物を見下すような視線で名無し達の姿を眺め、ハーッと深い溜息を吐く。

表立って肯定はしないが、否定もしない司馬師の態度。

その姿を、弟の司馬昭は『YES』の返事だと受け取った。

「……どうなってんだ……」

自分がこんな風になっているだけでも信じられない展開だと思っていたのに、まさか実の兄まで同じだったとは。

有り得ないといった面持ちで、司馬昭はポカンと司馬師を見つめていた。

「でも…、そっか。そういう事ですか…」

だがすぐに状況を理解したようで、いつもながらの平静な態度を取り戻す。

弟心に兄の様子も最近何だかおかしいとは感じていたが、そういう事だったのか。

「分かっているなら失せろ、昭。そいつは私の獲物だ」

冷淡な兄の態度に何ら臆する事もなく、司馬昭は勝ち気な瞳でキッと見返した。

「あーやだやだ。怖いですねえ兄上。賈充の前では黙ってたくせに、兄上も俺と同じだったって事ですか。だったら最初からそう言ってくれればいいのに。俺一人だけが悩みまくって、何だか馬鹿みたいじゃないですか」
「お前みたいにあっさり他人に悩み相談が出来るほど、私は恥知らずな人間ではないのだ」
「まーたそういう言い方をする…。と、言いますか、つまらない見栄やプライドを捨てて己が置かれている状況を素直に認めるってのも、男としての器の大きさってもんですよ」
「よく言うな。お前だって別の答えにしろだとか何だとか賈充に詰め寄って、都合の悪い部分は認めようとしなかったくせに」
「うぐぐ……」

鋭い司馬師の反論に、司馬昭が言葉に詰まる。

(一体何を話しているのだろう)

二人の間で交わされている会話の内容が何なのか、名無しには全く想像が付かない。

「それに…、さっきの昭の言葉は少々意地悪だな。あんな理屈で名無しを責めるとは」

司馬昭に抱き締められている名無しに視線を注ぎ、司馬師がフッと微笑む。

まさか司馬師が自分のフォローに回ってくれる日が来るとは夢にも思わず、名無しは目をぱちくりさせて司馬師を見た。

「うっわー。よりによって兄上から『意地悪』だなんて責められるとは思いませんでした。名無しの前で似合わない優しさモドキを見せて、自分だけ点数稼ごうとするのはやめてくれません?」
「別に。事実だからそう言っているだけだろう」
「つーか、そりゃ意地悪にもなりますよ。俺は本気で名無しを自分の物にしたいから、こうやって全力で口説いてんのに…。それなのに、子上の事は嫌いじゃないけどダメなの、とにかくダメなの、なんて意味不明で曖昧な理屈を可愛い声で主張されちまったら、文句の一つも言いたくなります」
「ふ……、まあそう言うな。優しさと優柔不断さというのは表裏一体だ。非情な態度に出ないのは、見方を変えればある意味この女の美点とも言える。もしも名無しがお前のように嫌いな物は嫌いだとはっきりしていて取り付く島もない性格で、『子上のそういう所が見ていて死ぬほどムカつくのよ』『チンコがもげて死ね、エロ男!!』なんて暴言吐くような気の強い女だったら、お前だって興味など惹かれなかったのではないか?」
「うっ……」
「違うか?」
「違いませんけど…。兄上って、ほんと嫌な性格ですよね〜」
「当たり前だ。お前の兄なんだからな」

反論出来ないのが悔しいのか、司馬昭は兄の言葉を遮るようにしてプイッと顔を逸らす。

「……いいか昭。物事というものは、目先の感情に囚われず、自分にとって何が有利で何が不利に働くのかを判断するのが一番いい」

悪戯な響きを帯びた司馬師の声音に、名無しは自分の背筋が震えるのを感じた。

名無しは経験則で知っている。

こういう顔をしている時の司馬師は、何かよからぬ事を企んでいる時だという事を。


「だから、相手の弱点を─────利用するのだ」


言葉の終わりに、何とも言えない残酷な色を滲ませて、司馬師はニヤリと唇を歪ませた。

その笑みが意味するものを探る間もなく、司馬師がゆっくりと名無し達の方に近付いてくる。

「名無し。……あれからずっと考えていたのだが。思うに、お前の主人≠ヘ強引で唯我独尊の俺様タイプか、意地悪でお前を絡め取るのが上手いサドっ気のあるタイプだろう?」
「……ど、どうして……!」

ハッと気付いた名無しが慌てて己の手で口を塞ぐも、もう遅い。

思わずといった具合に返事が零れてしまった名無しの反応を目に留めて、司馬師が確信に満ちた顔をする。

「やはりな。お前は日頃から優しくて誠実な男が好きだと漏らしていたが、もし今の主人がそんな男だったとしたら、お前にそれだけの恐怖心を与えるはずがない」
「……あ……」
「優しい男は女に安らぎと幸福感を与えるが、その反面女を縛り付ける術に疎く、強制力と支配力に劣る。それに比べて俺様やS男は女に言う事を聞かせるのが上手い。しかも、お前のように押しに弱い部分のある女相手なら尚更だ」

反論出来ない。

二の句が継げないまま司馬昭の腕の中でガクガクと震える名無しに、男達の視線が集中する。

「ほら見ろ。図星だろう?」

研究対象を眺めるような無機質な眼差しを名無しに向けながら、司馬師はコツコツコツ…、と規則正しい足音を響かせる。

「昭、見ているがいい。この女の気持ちを揺り動かすなんて簡単なんだ」

歩みを止めぬまま、司馬師が呟く。

「名無しは強引な男に弱い。マゾ心を刺激するツボを得た意地悪さに弱い。AかBか今すぐどちらかを選べ、というような二者択一に弱い。考える暇を与えない口説きに弱い。プレッシャーに弱い。自信満々に突きつけられる俺様理論に逆らえない。すぐに自分を責める。そして……ここぞというタイミングで優しい顔と台詞を降らされるのに弱い」
「…っ。ううっ…!」

何と見事で恐ろしい。

父親譲りの鋭い観察眼をまざまざと見せつけられ、危機感を抱いた名無しは何とかしてこの場から逃げだそうと試みる。

だが、どれだけ身を捩って藻掻いても、司馬昭の逞しい両腕が名無しをしっかりと捕らえて離さない。


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