異次元 | ナノ


異次元 
【魂喰いvol.2】
 




「そうじゃない…!子上の事、嫌いじゃないよ!」


─────嫌いではない=B


咄嗟に零れた己の本音に、名無しは自分自身で驚く。

たまらず顔を逸らす彼女を見て、司馬昭が目を細める。

「だったら、どうして」
「でも…駄目なの。私、子上とは、そんな関係になれないから…」
「俺とは……、なれない?」

名無しを見据える司馬昭の双眼の奥には、怒りなのか、嫉妬なのか、メラメラと燃えるような鋭い光がぎらついている。

それが、男らしくて端整な彼の美貌に鮮やかな感情の色を滲ませて、雄としての彼の魅力をさらに際立たせていた。

「子上の事、嫌いだなんて思った事はないよ。……だけど」

司馬昭はあの司馬懿≠フ息子だから。

これ以上恐ろしい可能性は増やしたくないと思いつつも、真実を名無しの口から彼に説明する事は出来ず、もどかしい思いが募る。

「じゃあ、迫っていいよな。遠慮無く押していいよな?」
「せ…迫られるのは困りますっ」
「分かった。じゃあやり方を変えりゃいいんだろ。お前の迷惑にならない程度に、いい人のフリしてつけ込んでもいい?」

何という言い方をしてくるのだろう。

分かったと言いながら全然了承なんてしていない司馬昭の勢いに押され、名無しはたじたじになる。

「私…、子上とは…」
「子上の事は好きだけど、肉の繋がりは持ちたくないの。下半身の関係は一切抜きで、オトモダチでいましょうって?」
「…う…」
「女は好きだよなー、そういうの。セックス無しで男をいいように操ろうっていう、都合のいいキープ君宣言」
「違う…!キープだなんて…っ」
「他の小狡い女共ならいざ知らず、まさかお前にそんな卑怯な台詞を言われるとはなあ。ショックだぜ……」
「そんな…。私、そういうつもりじゃ…!」

必死で首を振って異を唱えるも、司馬昭は怒りに染まった眼差しを名無しに向ける。

「ふざけんなよ名無し。人を馬鹿にするのも大概にしろよな。俺が迫って、それでお前の気持ちが揺れるのだとしたら、それだけお前に隙があるって証拠だろ。お前が悪いって事だろう?」
「……!」

男の発言に、名無しは言葉を詰まらせた。

「俺がどれだけ迫っても、お前の意思がしっかりしてればいいだけの話じゃないの?イヤなら完璧に跳ね除ければいいじゃん、俺が他の女の告白を片っ端からバシバシ断ってんのと同じように」

固まる名無しをよそに、司馬昭は彼女に向かって挑むように言い放つ。

「いいぜ、そっちがそういうつもりなら遠慮なく罵声を浴びせろよ。俺のこと、もっと徹底的に罵ればいいじゃん?俺の目を見て言えよ。子上なんて大嫌い、同じ空間で同じ空気を吸うのも嫌。顔を見るだけでゲロ吐きそう。私の目の前から失せろ、消えろ、てめえなんか舌噛んで死んじまえって」
「子…上…。私、そんな……」
「俺の心が粉々になるくらい、二度と立ち直れなくなるくらい、金輪際、お前に近寄るなんて微塵も考えられなくなるくらいに、正面切って徹底的に拒絶しまくってみれば?」

眉尻を上げて、不機嫌さも露に司馬昭が名無しに問い質す。

「俺の事嫌いじゃないから迫られると困る。どう断ればいいのか悩むからやめてくれ、なんていうのは随分な言い草だぜ」
「……。」
「自分が嫌な思いをしたくないから。自分が悪者になりたくないから、俺にはずっとお行儀良くしてろって?」

情け容赦のない男の台詞が、グサグサッと名無しの胸に突き刺さる。


─────そんな無茶苦茶な。


一見そう思えるような言葉でも、強い口調で自信たっぷりに言われると、いつの間にか相手の勢いに飲み込まれ、なんとなく自分もそんな気持ちになってくるものだ。

事実、この時の名無しは、完全に司馬昭のペースに巻き込まれ、彼の主張に意識を侵食されていた。


(子上の言う通りかもしれない)


彼の言い分は、正しい。


全部自分が悪いのだ。


現時点でもなお、自分は心のどこかで彼らとの関係修復を願っていた。


司馬師と司馬昭に裏切られたという思いはある。

彼らの事が許せない、と思う気持ちも勿論ある。

それなのに。



─────昔はあんなに仲が良かったはずなのに、と。



それ∴ネ前の二人との懐かしい思い出が、名無しの中に生まれた彼らへの疑念を揺さぶり、彼女の決心をジワリジワリと錆びつかせていく。


あんなに酷い目に遭わされたというのに、苦しげな司馬昭の訴えを耳にして、心底からの拒絶の言葉が吐けない。



自力で他人を跳ね除けるだけの力がないから、私は──────……。



「こんな夜更けに何やら盛り上がっているようだな」
「……子元……!?」

突然背後から響いてきた低い声。

幾度となく聞き覚えのある声に驚いて振り返り、その正体が視界に入った途端、名無しの心を絶望にも似た感情が包んだ。

そこには、部屋の扉にもたれかかるようにして、司馬師が腕を組んで立っていた。

「くそっ。……なんでここで、よりによって兄上が!」

口元を歪め、司馬昭が吐き捨てる。

「そう思うならわざわざ邪魔しにこないでくれませんかね。男には色々な事情ってもんがあるんです。兄上も同じ男なんだからお分かりでしょう?年頃の弟の部屋を夜更けに訪ねてこないで下さいよ。ご覧の通り、今めちゃくちゃ大事なところなんで」

力強い腕の中に名無しの体を抱き留めたまま、司馬昭は名無し越しに文句を言う。

「夜更けだろうが朝方だろうが、邪魔をされて困るような事をしているお前が悪いんだろう。己のやましさを私に責任転嫁されるのは心外だな。それに、この部屋の鍵も開いていた。城の中とはいえ、不用心にも程がある」

ガチャリ。

「……!あ……っ」

言葉を発しようとする名無しを待たず、司馬師が代わりに鍵をかける。

そうだった。

始めから司馬昭の部屋の扉が開いていたのは事実だが、先に入って来た名無しも書類だけ置いてすぐに帰ろうと思っていた為、鍵をかけないままだったのだ。

「私だってこんな夜中にお前の顔を見に来てやった訳じゃない。元々、用事があって訪ねたのは名無しの部屋だった。だが本人不在だったのでこちらまで足を運んでみたまでだ。ひょっとしたら昭と一緒にいるのかもしれないと思ってな」
「…私に…?」

こんな時間にわざわざ司馬師が自分の部屋を訪ねてくるとは、一体何の用事なのだろう。

一瞬、仕事の話かとも思ったが、それにしては司馬師は手ぶらで書類の一つも持参していない。


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