異次元 | ナノ


異次元 
【魂喰いvol.2】
 




(私や父のように、欲しい物は何でも手に入れてきた人間というものは、望む物が得られないという状態など有り得ない≠ニ感じる)

もしその男が自分と同じようなタイプなら、きっと同じような苛立ちを覚える。

今まで栓をひねればいくらでも出てきた水がある日突然パタリと途絶えたように、その男は絶望を感じるだろう。

異性に対して何不自由ない生活を送って来た人間ほど、初めて自分が不自由する羽目に陥った時、納得出来ない思いを抱き、強い焦燥感と飢餓感を覚えるはずだ。


「……あの肉の味を忘れられるはずがない」
「はい」


形の良い唇を歪ませ、そう告げて艶然と笑む彼らの姿は、まるで人の姿を真似て地上に現れた美しい悪魔のようだった。

調教を受けた名無しは、他の男達に対しても非常に食いつきが良く、また麻薬のような中毒性を帯びた餌になっている。

その事実を、曹丕と司馬懿は知っていた。


血の滴る新鮮な肉の味を覚えた獣は、必ずや同じ獲物を狩りに出る。


─────我々はただ待てばいい。


ハイエナ共は、再び名無しの前に姿を現す事になるだろう。





その翌日。

たまたまタイミングが合ったのか、昼休みに食堂で鉢合わせした司馬師と司馬昭は、そのままの流れで一緒に食事を取っていた。

だが、普段とどこか雰囲気が違った。

いつもなら司馬昭が軽妙でノリのいいトークを披露し、それに対して司馬師が適当に相槌を打ったり容赦ない突っ込みを入れながら食事を取るのだが、何故か二人とも覇気がない。

「なんか…。今日の兄上、いつもと比べて静かですね」

兄の異常を感じ取り、昼食のヒレカツを食べながら司馬昭が言う。

「ふん。それを言うならお前こそ。いつもみたいに下らない話をしないのか?つまらないネタを提供したら、即座にダメ出しをしてやろうと思っていたのに」

兄の司馬師もまた弟の口数が少ない事を取り上げて、スープの器を口に近付けながら反論する。

「……。」
「……。」

沈黙が重くなる。

お互い、自分の状態には気付いていた。そして、相手の様子も何やら普段と異なる事に気付いていた。

しかし、何故自分が今このような心境になっているのか、という事について、未だに分からないままだった。

司馬師も司馬昭も、自分の気持ちすら整理できずにいるというのに、他人の状況まで思いやるような余裕はない。

(実際、思い当たる節がない……と、いう事もない)

糸を手繰るようにして時間軸を遡り、今の自分がこのようになり始めたきっかけを探ってみると、おかしくなったのは名無しを抱いた直後からだった。

それ以来、どんな女を抱いてもあまり気持ち良くなれないし、不平不満が募るだけだったのだが、それが何故か≠ニ思うとその時点で司馬師と司馬昭の思考が停止する。

どうして名無しと関係を持った後、こんな気持ちになってしまったのか。

その理由について、自分でも薄々感じている部分はあるのに。

深く掘り下げる事を避けたくて、わざと真面目に考えないようにしているだけなのかもしれない。

「随分辛気くさい食事風景だな」

突然頭上から降らされた低い声。

「…賈充…!!」

司馬昭が振り向くと、彼の背後に立っていたのは同じ魏の武将・賈充だった。

185cmという高身長の男性故、こうして立たれると自然とテーブルの上に影が差す。

「どこかで見た顔だと思ったら、やはり子上か。いつもの威勢はどうした?」

赤い唇の端を微かに吊り上げ、口元だけで賈充が笑う。

彼の父・司馬懿によってその才能を見出され、司馬師や司馬昭の腹心として活躍する彼は、司馬昭にとって幼馴染み的な存在でもある。

その為、司馬昭と賈充の関係は、自分の家臣というよりも気軽に付き合える友人のような人間だった。

むしろ、親友レベルだと言ってもいい。

普通の主従関係ではまず有り得ない事ではあるが、賈充の場合、司馬昭と対等の立場で話す事が可能であり、彼の事を字で呼ぶ事も許されている。

「丁度いい所に来た!ここ座れよ。お前にちょっとばかり聞きたい事があったんだ」

賈充の登場を知った司馬昭は、渡りに船とばかりに隣の席をトントンと叩いて相席を促す。

「司馬師殿。……同席してもよろしいでしょうか?」

テーブルを挟んで司馬昭の正面に座っている司馬師に、賈充がチラッと視線を送った。

「好きにしろ」

司馬師はスープを一口飲んだ後、素っ気なく言い捨てる。

「では、お言葉に甘えて」

司馬師の許可を得た賈充は司馬昭の隣に昼食を乗せたトレイを置くと、椅子を引いて腰掛けた。

賈充が選んだBセットのメニューに入っている鯖の煮付けが、白い皿の上でほのかな湯気を立てている。

「それで、子上。この私に聞きたい事とは?」

箸を取り、賈充は軽く首を傾けながら司馬昭に尋ねた。

しかし、賈充に質問された司馬昭と言えば、言いにくそうな様子で『うーん』と唸るのみ。

「いやー、なんつうか…。そもそもこんな事をお前に聞いてどうすんの?って感じなんだけど…」
「話を聞いて欲しいと言ってきたのはお前だが」
「そうなんだけどさ。ものの弾みでああ言ってみたものの、よくよく考えたらこれってお前向きの質問か?と思ってさー。どっちかっつうと郭嘉殿辺りに聞いた方が早いような気がするんだけど。でもなあー、あの人はあの人でまた独自路線のぶっ飛んだ返答が来るからなぁ…」

相変わらずウンウンと唸りつつ、何やら迷っているような弟の姿を前にして、司馬師はどうでもいいと言わんばかりにさっさと切り上げようと試みる。

「そうか。ならその話は終了という事で」
「ちょっ…、兄上!勝手に終わりにされたら逆に話したいような気になるじゃないですか。俺も!」

慌てた声を絞る司馬昭に、賈充が呆れたような溜息を吐く。

「ち……。結局どっちなんだ。昼休みは短いんだからな。話すなら話すで早くしろ」
「うっわー、それが人に物を聞く態度か?幼馴染み兼親友に向かって冷てー言い方っ」
「親友…?悪友の間違いだろう。子上こそ、それが人に物を頼む態度なのか」
「ああもう〜っ。分かったよ。言えばいいんだろ、言えば!」

司馬昭は箸の先でガシガシとヒレカツを突きながら、半ばヤケになったような口調で答えた。


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