異次元 | ナノ


異次元 
【魂喰いvol.2】
 




「父親はすでにジナイーダと肉体関係を結んでいる。しかしウラジーミルはジナイーダを抱いていない。その上、童貞でもあった。思うに、この差が非常に大きい」


曹丕が言うように、自分が経験済みか童貞か、その女とセックスした事があるかどうかというのは、男社会の力関係において、非常に大きなバロメーターだ。

ジナイーダを抱いた事もなく、女経験すらない十六歳のウラジーミルは、失意のままに絶望する。


≪父を恨めしいとさえ思わなかった。……わたしの知った事実は、到底わたしの力の及ばないことであった≫


「自分がどうこうした所で、力の及ぶ問題ではないのだ。……あの時の私は、子供心にそう思った」

10才にも満たない年齢の子供が、女を巡って性的な面で大人の男と張り合うのは無理がある。

さすがの曹丕も、今の自分では叶えられない願いがあるという事を子供ながらに理解していた。

「今は違う。一人の男として父に負けるつもりはさらさらないし、万が一、相手がかち合っても引くつもりはない。これが大人になったという事なのかどうかは知らんが」

大人になるにつれてひねくれて神経が図太くなり、道徳心を失って、単に邪悪な存在になったというだけなのかもしれぬがな。

そう言って悪童っぽい笑みを見せる曹丕に、司馬懿もまたつられるようにして微笑む。

「ウラジーミルもその女と肉体関係を結んでいたのなら、今の殿のように思えたのかもしれませんね」
「そうだな。ジナイーダを抱いた事で、自分も『父親と対等』になる」


その言葉を聞いて、司馬懿はすっと両目を細めた。


名無しを抱く事で、お前と対等の立場になるのだ。


─────師や昭もな。


暗に、曹丕にそう言われているような気がした。

単に曹丕は、自分の思い出話をしているだけの事なのだろうか。それとも別の意味も含んでいるのか。

少し考え、司馬懿は何か言おうとしたが、再び何かを考え直したようで口を閉ざす。

「しかし…、よりによって私の名無しに手を出すとはな。どこの誰だか知らぬが哀れな事だ」

相手を哀れむという言葉とは対照的に、曹丕はククッと楽しげな笑みを浮かべる。

「今頃は他の女とのセックスでは満足出来ず、枯渇状態になっている事だろう」

名無しはこの自分や司馬懿が、二人がかりで手間暇をかけて育てた『人形』なのだ。

その名無しを抱いた以上、他の女で到底満足出来るはずがない。

気怠げに頬杖をつきながら、曹丕がきっぱりと断言する。

「まあ名無しには教えていない事が山ほどあるし、試していない行為も沢山ある。あれで完璧とは言い難い」
「確かに、殿や私の目から見ればまだ完全ではありません」
「未だ調教途中の段階ではあるが……」

しっとりと低い声で告げる曹丕の顔は、上品な口元に比例するように整っていて、切れ長の黒い瞳とクールな眼差しは見る者の全身を痺れさせるほど魅惑的であった。

そんな美男子の口から『調教』などどいう言葉が吐き出される光景は、一種倒錯的な雰囲気を醸し出す。

「だからと言って、その辺の男に舐められるような生半可な躾をした覚えもありません」

曹丕の台詞を受けて、まるで作り物のように整った司馬懿の顔に、僅かな感情の色が浮かぶ。

「調教途中とはいえ、他の男であれば一度抱いただけで二度と忘れられなくなる程度には、名無しを仕上げてきたつもりです」

魏の皇子・曹丕と軍師であり調教のプロでもある司馬懿は、共にM女のカリスマだ。

そんな彼らに直接指導を受け、男を喜ばせる術を徹底的に教え込まれてきた名無しは、彼女自身が望むと望まざるに関わらず、最高のセックスドールとして変貌を遂げていた。

「大した自信だな、仲達」
「恐れ入ります」

司馬懿は少し嬉しそうに口元を緩めたが、それもほんの一瞬の事で、すぐにまた元の冷たい美貌を取り戻す。

「と、言いますか……そうでなければ、到底殿に献上出来るはずがありません。殿のご要望に応じてあの女をお渡しするというのであれば、最低限でもそこまでの域に持って行ってからお連れするのが筋というものでしょう。これは自惚れというよりも、私の仕事に対する認識の問題です」

司馬懿の言葉に、なるほどな、と曹丕は納得した。

司馬懿は魏国が誇る名軍師だが、同時に調教師としての才能も持っており、その技術は裏では知らない者がいないくらいに見事で素晴らしいものだった。

どんなに貞淑を装っている女であろうと、司馬懿の手にかかれば男無しでは生きていけない程に淫らな存在に変えられる。

そうして、依頼主の好み通りに変貌を遂げた別人となって帰ってくるのだ。

そんな仕事を普段から完璧にこなしている司馬懿という男性だからこそ、彼の言う通りでその返答は自惚れでも何でもなく、彼一流の職業意識によるものなのかもしれない。

「他の娼婦達も含めお前の調教の腕は買っている。さすがと言うべきか」
「光栄です」

満足げに笑う曹丕に、司馬懿が返す。

司馬懿と同じくらいに自分に厳しく、仕事人間である曹丕は、司馬懿のこういう完璧主義で自信に満ち溢れた所が好きだった。

他人から見ればどれだけ高慢不遜にしか見えないような態度でも、それに見合うような実力と才能を兼ね備えているからこそ、彼らは女性達の羨望と愛を一身に受ける事が出来るのだ。

「ですので、犯人を捜すのに苦労はしないと思います」

そう言い切る司馬懿に、曹丕も『そうだな』と同意する。

「間男の正体がどんな男かは知らないが、もしそれなりに上の階級の人間だったら話が早い。……しかも、家柄や見た目も良くて、日頃から女にモテるような男だったら余計に好都合だ」

両目を細め、ニヤリと口元を歪めて曹丕が語る。

何故なら、その手の男の方が名無しの射程範囲内に侵入してくる可能性が高く、また、彼女のようなタイプが男心にクリーンヒットする率も同じくらいに高いからだ。

日頃から女に相手にされず、セックスも出来ず、女に飢えているような男であれば

普段の自分では絶対に手が届かないと思っていた身分の女を一度抱いた、ヤれた

というだけでも十分幸せを感じ、満足するのかもしれないが。

女にモテまくり、セックスの相手に不自由せず、快楽を貪っている人間ほど普通の快楽では満足出来ず、さらにその先へと進みたがり、より奥深い世界を求めるものだ。


同時に、富める者ほど『他には無いもの』を求めるという習性を持っている。


金や権力でも手に入らない物は余計に欲しくなり、所有欲をくすぐられる。


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