異次元 | ナノ


異次元 
【魂喰いvol.2】
 




「ふふっ。それは多分、私やお前の対応が素っ気ないからではないのか。身近にいるのが冷たい男ばかりなので、名無しは根本的に甘い言葉や優しい態度とやらに飢えているのだろう。だからこそ、優男にちょっと甘い言葉をかけられただけで、涙を流すほど感極まって心を許す」
「馬鹿らしい……。そんなに優しくされたいというのなら、ホストや結婚詐欺師とでも付き合えば良いのです。あの女が大好きな甘い言葉とやらに騙されて、最終的に身ぐるみ全部剥がされて、風俗にでも沈めばいいと思います」
「相変わらず優男好き女に手厳しい発言だな。お前は」
「私から見れば女に媚びて機嫌を取ろうとするような男は軽蔑対象であり、そういう男が好きだという女もまた同罪だというだけです」
「お前は私に似ているので、自分の気持ちを説明する手間が省けるのがいいな」
「恐縮です」

生粋のご主人様体質である曹丕や司馬懿のような男性にとって、普段から女に甘い顔を見せ、優しく接する男など言語道断。

そんな相手にほだされるなど『馬鹿な女』だと思うだけ、というのが曹丕と司馬懿の中にある共通認識だった。

まあ、『馬鹿な子ほど可愛い』というようなことわざも、世の中にあると言えばあるのだが……。

「似るついでの話で思い出したが、そう言えば親子も色々な面が似ると言うな」
「性格がですか?」
「それもあるし、女の好みもだ。師や昭の二人もお前に似てサドっ気が強く、マゾ女好きで、案外女を責めるのが好きかもしれん」
「……。」

曹丕は黙る司馬懿を上目遣いに眺め、意味ありげに笑む。

「名無しの相手が、意外とお前の息子だったらどうする?」
「勘弁して下さい」

司馬懿は即答だった。

「女の背後関係には興味ないですし、名無しの男関係にもこれといった関心はありません。誰と誰が自分と穴兄弟であろうと知った事ではないですが、さすがに自分の血縁者となると微妙な心境です。親子丼という状況に燃えるほど、近親寝取られ属性持ちではありませんので」

両手を広げて、まるで降参したように司馬懿は言う。

すると、曹丕は美しい黒髪に指を滑らせて耳の後ろにかけながら、『そうか』と短く呟いた。

「殿はあるのですか?そのような状況になられた事が」
「そのようなとは?」
「…失礼ですが、その…」
「構わぬ。思っている事を言うがいい」

さすがにこのような事を自らが仕える主に聞くのはいかなるものか、と思い司馬懿は口ごもったが、曹丕本人から促され、仕方なくといった様子で口を開く。

「……お父上に、ご自分の女性を寝取られたりなど」
「ああ。腐るほど有るぞ」

曹丕の回答は至極あっけらかんとしたものだった。

「お前も見て分かると思うが、何せあの父だ。ハーレムの女然り、愛人然り、私の勉強を見る家庭教師然り、日頃の世話をする召使い然り。今までに何度私の女に手を付けられた事か。例え息子の女だと分かっていても、その程度の理由など父にとっては諦める理由にならぬ。国であろうが女であろうが、己が欲しい物は全て手に入れるというのが父の信条だからな」

両手を胸の辺りで組み、曹丕がやれやれと嘆息する。

現在の魏の主君であり、曹丕の実父でもある曹操は、勇猛果敢で威厳に満ちた猛将であり、政治に関しても統治力のある名君として知られているが、その反面、希代の女好きとしても有名であった。

英雄色を好む≠ニいう言葉がある通り、権力があり、社会的に成功者と言われる男性ほどその傾向が強いものだ。

気に入った相手がいれば人妻でも強引に奪い取る曹操は、曹丕を始めとした息子達の恋人に対しても遠慮というものを知らぬらしい。

「さすがにこの年になると女の一人や二人くらいもうどうでも良くなるが、幼い頃に慕っていた家庭教師の女が父の愛人だと知った時には多少衝撃らしきものを受けた覚えがある。あれは私が6つか7つの頃であったか……」

曹丕が幼い頃、彼の専属として勉強を教えていた家庭教師の中に、一人の若い女性がいた。

魏の皇子である曹丕の家庭教師に選ばれるという事だけあって、彼女はまだ二十歳そこそこといった年齢なのに十分な大人の教養と知性を兼ね備えており、容姿も非常に美しく、優しい性格で、多くの男性にとって『嫁に欲しい女性』の理想像に挙げられるような存在だった。

そんな彼女に対し、年齢の離れた曹丕は先生に対する尊敬の念と、自分の姉のような思いを抱いていたのだが、ある晩、どうしても分からない所を教えて貰おうとして彼女の寝室を訪れた結果、見た事のない女教師の姿を目撃する事となる。

いついかなる時も凛として美しく、清楚で、上品な雰囲気を漂わせていた先生が、ベッドの上で裸になっていた。

そして実の父親である曹操に背後から貫かれ、あられもない声を上げて雌犬のように喘いでいたのだ。

その瞬間、曹丕の彼女に対する思慕の情は消え失せた。

「今思えば、その時の私はウラジーミルのような心境だったのかもしれない。ウラジーミルに比べ、年齢は幼すぎるが」
「ああ…。『はつ恋』の主人公ですか」

曹丕の話の中に出てきたのは、ツルゲーネフという異国の作家が書いた『はつ恋』という小説の登場人物の名前である。

十六歳のウラジーミルには、生まれて初めての切ない片思いの相手がいた。

美しく、奔放で、周囲の男性達を手玉に取る悪女的な魅力を秘めた年上の令嬢・ジナイーダだ。

しかし、その最愛の女性には、自分以外に愛する男がいる。

その事実が、ウラジーミルには許し難い事だった。

初めての恋にのめり込んだ少年は、己の感情を制御する術を知らない。

最愛の女性を自分から奪う憎い恋敵を自らの手で殺めてやろうと、ウラジーミルは凶器のナイフを握り締め、夜の闇に紛れてジナイーダの家の前で張り込み、相手の登場を待つ。

≪僕にだって復讐する力がある事を、世間のやつらにも、裏切り者のあの女にも思い知らせてやるぞ!≫

しかし、愛する女性の家に忍び込もうとした男の正体は、彼の父親であった。

女好きの一面を持っていた彼の父親は、家族に黙って不倫をしていたのだ。

ウラジーミルはその恋敵が自分の父親であるという事を知った瞬間、ショックのあまりナイフを落とす。

自分の愛する女性に裏切られたというショックと同時に、父親にも裏切られたという二重の衝撃。

汚れを知らない少年の心は傷付き、粉々に打ち砕かれる。


[TOP]
×