異次元 | ナノ


異次元 
【魂喰いvol.2】
 




「どうかしたのか」

司馬懿が夜更けに曹丕の部屋を訪ねる事自体は、別段おかしな事ではない。

その職務上、曹丕の抱えている案件に必要な書類を揃えて彼の元に提出しに来る事も度々ある為、曹丕はまた仕事の話だろうと思っていた。

「名無しの事で、お話ししたい事がありまして」

司馬懿の返答を聞いた曹丕の瞳に、僅かに怪訝な色が宿る。

てっきり仕事の事だとばかり思っていたのだが。

こんな時間に自分の元を訪れて『話をしたい』と思う程、重要な報告でもあるのだろうか。

「言ってみろ」

書類を書く作業を続けながら話の先を促す曹丕に、司馬懿が口を開く。

「名無しに雑音≠ェ入りました」

司馬懿の言葉を耳にして、曹丕の筆先がピタリと止まる。

「……ほう……」

曹丕は、何かを考えているようだった。

やがて考えがまとまったのか、使用していた筆を一旦硯の上に置いて司馬懿を見る。


「他の男をくわえ込んだ、と言う事か」


────我々の与り知らぬところで。


曹丕の問いに、司馬懿は静かに頷く。

司馬懿の話によると、そう感じたのはここ最近。

業務状況に支障が出ない程度のペースで考えながら、司馬懿が予め組んでいた調教スケジュールに沿って先日その続きを行った際、名無しの態度に若干の違和感を抱いたとの事だ。

フェラの仕方。足の開き方。男の物を飲み込んだときの、腰のくねらせ方。

恥ずかしがり方。嫌がる時の拒絶の仕方。ごめんなさい、もう許してと願う時の懇願の仕方。

泣き方。謝り方。抵抗の強さ。喘ぎ声のトーン、イク時のタイミング、各パーツに触れた時の感度の違い、etc.

そういった物の微妙な違いを、司馬懿は敏感に察したらしい。

「……本人に直接聞いた訳ではありませんが」

全く表情を変えず、落ち着いた口調で司馬懿が言う。

「行為の最中、私や殿が教えた内容とは異なる要素が多々見受けられます。総合的に判断すると、その可能性が高いかと」

フェラの時、どこで覚えてきたのかと思うようなやり方を見せる。

今までやらなかった事に挑戦したがる。

急にセックスが上手くなる。

色々な体位や道具に詳しくなる、等々。

そんなあからさまで分かりやすすぎる態度でなくても、分かる人間には分かるものだ。

一つ一つは大して気にならないような些細な事でも、いくつかの項目が積み重なると疑惑の種が芽吹いてくる。

「他にも、特定の単語にも強い反応を見せるようになりました。当分やるつもりはないと言い含めたはずですが、『二輪刺し』という言葉に今までにない拒絶反応を示します」
「ほう」
「誰かに無理矢理されそうになったか、それとももうされたのか、それで恐怖心を倍増させる事となったのか。どちらにせよ…何かあったのでは?」
「つまり、男の勘というやつか」
「勘と言えばそうですが、あながち間違った推論でもないと思います。理屈で説明出来ない事はあまり好まない方ですが、経験則に近いものですので」
「……」
「そう思うのは多分、私だけではないと思います。殿があの女を抱かれたら……同じように思われるのではないかと」
「ふ……。まあ、試すまでもない。お前がそう思うなら、きっとそうなのだろう」

司馬懿の話を聞いていた曹丕は、男前の顔でふふっと笑う。

嘘や誤魔化しをする時でもそうだが、何かを隠そうとする場合、大なり小なりどこかかしらにシグナルが出るものだ。

何一つ顔色に出さず、少しの尻尾も見せずに完璧な偽装工作が出来るような人間は、常日頃からそういった事が必要とされる職業に就いているか、人格破綻者くらいのものだろう。

『浮気をしても女房には絶対にバレないように気を遣っている』
『浮気がバレた事は今までに一度もない』
『付き合っている間に彼の後輩と一度エッチしちゃった事、彼ったら未だに気付いてないみたい』
『俺が二股をかけている事を、本命も浮気相手もどちらも知らない』

世の中にはよくそういった事を自慢げに周囲に吹聴する人間がいるが、その手の話を聞く度に、曹丕や司馬懿は内心軽蔑と哀れみの眼差しを向ける。

(要するにお前の伴侶や恋人は、お前の浮気に気付かないほどに頭が悪くて鈍感で、知恵もなく、低脳な人間だということか)

そのように愚かな相手しか選べなかったという事は、しょせんお前自身のレベルも下の下だという事だ。

曹丕と司馬懿は、本気でそんな感想を抱いていた。

あらゆる事に聡明で、他人の本心や嘘偽りを見抜く事に長けている彼らのような男性からすれば、相手の不貞に気付かないというのは鈍さの証拠と捉えられている。

「名無しはバレていないと思っているのかもしれませんが、だとしたら浅はかな女です」

一言一言、確かめるようにして司馬懿が呟く。

ご主人様は何でもお見通しなのだ。

「一度でも他の相手と関係を持てば、あらゆる場所に滲み出る。その行いは必ず分かるものだ。特に…、抱いてみればな」

曹丕は長い指先で顎を撫で自信満々に言うと、置いていた筆に手を伸ばす。

「分かった。近いうちに、私がこの目で確認しよう」
「承知しました」

司馬懿は頭を少し下げ、冷静な顔で返事をする。

不貞行為をした際、決して周囲に悟らせまいとする人間は世の中に大勢いるものだが、曹丕や司馬懿の前では隠し事など一切通用しない。

まるで釈迦の掌の上で延々と転がされ続ける孫悟空。

彼らのように頭が冴え、鋭敏すぎる男性を恋人や伴侶に持つという事は、普通の人間にとってはある意味荷が重すぎる事なのかもしれない。

「私とて、魏の皇子として自分専用のハーレムを所持している身だ。他の女を抱く機会がある分、名無しの行動に一々目くじらを立てるつもりはないが」

自分の事を棚に上げて相手だけを責めるつもりは毛頭無いが、と前置きをした上で、曹丕は話を続ける。

「あいつの場合、秀英の件があるからな。変な男に捕まっていないか、状況だけは把握しておきたいという思いはある」
「確かに。またロミオ≠ネんぞに懸想していたら面倒ですからね。どうしてあんなに男を見る目が曇っているのか…。同僚ながら呆れます」

以前、秀英という敵国のスパイに名無しの心が揺れていた事を思い出し、司馬懿が溜息を零す。


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