異次元 | ナノ


異次元 
【ご奉仕致します】
 




「だからさ……キス……してもいい?」

夏侯覇は実年齢より若く見える童顔の持ち主だが、元々の作りが整っている為、その甘いマスクは女性を落とすには十分過ぎる威力を秘めている。

太い腕に絡め取られ、密着し、こんな風に息がかかる程近くで見つめられ、真剣な顔付きで迫られてしまったら、きっと名無しでなくても世の女性はたまらない。

「あ…だ、だめ…。離して…夏侯覇…っ」

名無しはブルッと全身を震わせると、首を振るようにして訴えた。

だが、咄嗟に放った抗議の声は弱々しくて、吐息のような甘さを帯びていて、それがかえって夏侯覇の欲望をそそる。

「お願い…夏侯覇…そんなのだめ…恥ずかしいから…」

こういう時、何と言って相手を宥めればいいのか分からない。

オロオロしながら顔を背けようとする名無しの顎を掴み、夏侯覇が彼女の顔を自分の方へと向けさせる。

「恥ずかしくなければいいって事?」
「だって…。その…誰かが来たら…」

何とかして逃れる理由はないかと思いつつ、名無しは思いつくままの台詞を口にする。

「ここは俺の部屋の中だぜ。心配しなくても、俺とお前しかいないよ」
「そ、そうじゃなくて…!やっぱりだめっ…恥ずかし……あっ…!?」

名無しは尚も拒絶しようとしていたが、夏侯覇は聞く耳を持たない。

名無しの言葉を遮るようにして、夏侯覇が名無しの耳元に顔を寄せる。

「や…、あ…っ」

ちゅっ、ちゅっ、と音を立て、男の唇は名無しの耳朶についばむようなキスを与えていく。

突然の事に、名無しはどうすればいいのか分からなかった。

名無しの意思を無視した乱暴な行為のはずなのに、耳に触れては離れる男の唇の感触がとても優しくて、それでいて官能的なので、どうしていいのか分からない。

まるで全身から力が抜けてしまったかの如く、どんどん抵抗力が失われていく。

「あっ…だめっ…やめて…だめ…」

ゾクゾクッ、と背筋が震える。

トロトロに溶けてしまいそうな意識の中で、懸命に『だめっ』と訴えているもう一人の名無しがいた。

しかし、キス混じりの夏侯覇の愛撫を受ける度、その声も次第に遠ざかっていくような気がする。

そうこうしている内に、夏侯覇の唇は名無しの耳元を離れ、ちゅっ、ちゅっと口付けながらうなじを辿り、彼女の鎖骨へとゆっくりと移動していく。

「だめ…だめですっ…お願い…夏侯覇…やめて…」

なんて心地の良いキスなんだろう。

全身を駆け巡る甘い電流に、名無しの両目にジワリと涙が浮かぶ。

このままでは、胸元に到達してしまう。

抵抗しないと。


────抵抗しなきゃ……!


「そんな可愛い声で非難されると、やりにくいぜ」

熱っぽい声音で囁く夏侯覇の吐息が、名無しの鎖骨を掠める。

ペロリ、と男の舌が鎖骨の窪みを舐めた。


「いや…私…、あっ…」


こんなのだめ。だめなのに。


このままではだめだ。


夏侯覇に、流される……!!


「大丈夫だって。さっきも言ったけど、誰も見てな─────」


その言葉を確かめるようにして、夏侯覇が名無しから僅かに顔を離して風呂場の入り口を見た時だった。

名無しがきちんと閉めたはずの戸は、何故か微妙に開いていた。


そして、二人を観察するようにして、4つの目がそこからジィーッとこちらを見ている。


「オラァッ!!」

夏侯覇は半ば条件反射とも言える素早い動作で近くにあった空の桶を掴むと、不法侵入者に向かってぶん投げた。

しかし、敵もさるもので、矢のような速度で飛んで来た桶以上のスピードでピシャリと戸を閉め、ブロックされた桶が大きな音を立てて跳ね返る。

この反射神経、ただ者ではない。

「出てこい、曲者!!」

せっかく良い雰囲気だった所なのに邪魔をされ、夏侯覇がキッと戸を睨む。

すると、気付かれた事に観念したのか、戸の向こうでチッという舌打ちが聞こえる。

「くそ…。バレちまったものはしょうがねえ」

溜息混じりに吐き捨て、勢い良く戸を開けて中に入ってきたのは司馬昭だった。

その背後には、彼の兄である司馬師が腕組みをした姿勢で悠然と立っている。

「司馬昭殿に司馬師殿…!?」
「子上…!?それに子元まで…、どうして……」

予想外の人物の登場に、夏侯覇はあんぐりと口を開け、名無しの頬は動揺と恥じらいから紅潮する。

「お前が戸に近づきすぎだからだ、昭」
「違いますよ!兄上が後ろからグイグイ押してくるからじゃないですか!」

自分の疑問をよそに互いに責任をなすりつける司馬兄弟の姿を見て、夏侯覇の『何か』がプチンと切れる。

「つーか、何やってんですか。お二人とも!」
「ん?何って、そりゃあれだよ。お前らがズルしてないかどうか見張ってたに決まってんだろ」

問い詰める夏侯覇に司馬昭が返した理由はこうだった。

先日の王様ゲームで下された命令がちゃんと遂行されているかどうかを確認する役割が、その後のくじ引きで司馬師と司馬昭に回ってきたのだそうだ。

命令内容によってはいつ何時行われるのか分からない為に監視作業も骨が折れるが、夏侯覇と名無しの場合は飲み会の席で『来週の土曜日の夜はどう?』という話が出ていたのを傍で聞いていたので、日時を絞るのが非常に簡単だった。

その為、そろそろだろうと予想した時間に二人で夏侯覇の部屋に侵入したという訳だ。

「────さすがに遊びで女とキス出来るほど、軽い男でもないから=v

わざとらしくキリッとした顔と口調を作り、司馬昭が夏侯覇の台詞を真似る。

「いやー、いいねえ。これは女心に響く名言ですよ。是非真似させて頂きたい。この決め台詞、これから俺も女を口説く時に使っていい?」
「いやいやいや、人真似は良くないでしょうよ。勝手にパクらないで下さい、司馬昭殿!」

夏侯覇の眉間に寄った皺と強い口調は、彼の怒りを十分に表していた。

しかし、そんな夏侯覇の抗議はどこ吹く風とばかり、司馬昭はケロリとしている。

「ほう…。随分強気な言い草だな。我々の前でそんな口の利き方をしていいのか、夏侯覇」

司馬師は冷たい眼差しで夏侯覇を見据え、楽しそうにククッと笑う。

「私は忘れた訳ではないぞ。先月の始め、遠征先で現地の豪族の一人娘に出会った時」
「ああー、そうそう。そんな事もありましたよね、兄上」
「確か女の側が初対面で夏侯覇に一目惚れしたと記憶しているが」
「そうです。あの遠征には俺も参加していましたもん。覚えていますよ。んで、思い詰めた女の子が夜中に一人で俺達の野営地まで追いかけてきて」
「挙げ句の果てに、抱きつきながら『私の処女を貰って下さい!』と夏侯覇に……」

司馬師と司馬昭の会話を聞き、ついでに名無しと彼らの顔を交互に振り返り、夏侯覇がサーッと青ざめる。


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