異次元 | ナノ


異次元 
【ご奉仕致します】
 




「あーっ、もういいっ!」

たまらなくなった夏侯覇が、名無しの手から強引にタオルを奪い取る。

「か…、夏侯覇……?」

先程まで爽やかな態度で接してくれていた夏侯覇の突然の豹変に、名無しは戸惑った声音で男を呼ぶ。

「もしかして怒ってる?」

不安げな眼差しで見上げる名無しを見て、夏侯覇は『うっ』と言葉に詰まる。

この様子から察するに、名無しは本気で何も考えてなさそうだ。

つまり、俺が単にヨコシマなだけ?

「ははは…、いやなんのって、怒ってません。全然。どうした?お前こそ急に」

拍子抜けする現実に戸惑いと失望を抱きながら、夏侯覇は作り笑顔で名無しに問う。

「だって…、いつもの夏侯覇より目付きが鋭いような気がするし…。なんだか怒ってるような気がしたから…」
「目付きが鋭い?いやー、これはただ、男として滾ってるってだけ。感情の高ぶりってやつ」
「……?たぎる……?」
「意味が分かんないならいいです。はいはい、俺が悪かったです。反省、反省っ」

不思議そうな顔で呟く名無しの疑問をスルーして、夏侯覇は強引に話を終わらせた。

(多分、本当に無意味なんだろうな)

夏侯覇は、心からそう感じた。

もし彼女にその意思があるのなら、きっとそれなりの工夫をしてくるのではないかと思う。

胸元のガッツリ開いた服を着るとか、ミニスカートを履いてみるとか、いっその事裸にバスタオルを一枚巻いただけの姿とか、思い切って完全に裸をさらけ出してみたりとか。

それに比べて、目の前にいる名無しが身に纏っているのはただの普段着であり、作業員のように腕と足元をまくっているだけである。

(本気で男を誘おうとする女なら、こんな色気のない格好はしないよな)

その姿が、今夜の彼女に何の他意もない事を如実に表しているではないか。


────多分。


「んじゃまあ、背中は十分やって貰ったと思うから、そろそろ髪の毛を洗って貰おうかなーってことで」

そうは言っても、これ以上先端当て攻撃≠受け続けたらどうなってしまうか分からない。

そう懸念した夏侯覇は体を回転させて名無しと正面から向き合うと、両膝の上に肘を乗せて軽く腕を組みながら、彼女に向かって頭を垂れた。

こういう時は流れを変えるに限る。

男の意図を察した名無しは『はい』と短く返事を述べ、空になった桶を浴槽に沈めて新しいお湯を汲む。

そして、男が普段から愛用しているという洗髪剤を手に取る。

「これってどっちがシャンプー?」
「青い方。赤がリンス」

シャンプーとリンスの容器を確認した名無しは、気合いを入れるかのように腕まくりをし直して洗髪作業を開始した。

「どこか痒いところはございませんか?」

夏侯覇の髪を洗っているうちに完全にお仕事モードに突入してしまったのか、美容師っぽい言い方で名無しが尋ねる。

理髪店で聞かれる分には何の事もない台詞だが、今の夏侯覇にとってこの質問内容は心臓に悪い。

「痒いところかー、そうですねえ…」

痒いというか、さっきから痛いくらいに刺激を受け続けている部分はあるのだが。

湧き上がる感情を抑え込もうと自分はこんなに必死なのに、何でもない事のように軽い口調で問う名無しの態度がまるで鬼や悪魔のように感じられ、夏侯覇の胸中に段々意地悪な気持ちが芽生えてくる。

「あえて言うなら股間です」
「あはは!やだ!夏侯覇ったらオヤジギャグー!!」

だが夏侯覇渾身の下ネタギャグはあっさりと名無しに流されて終わった。

夏侯覇の中でも内心さすがに露骨すぎるかな、と思っていた台詞だったのだが、普段の軽いノリが災い(幸い?)したのか、彼女にとってはただの突発的な親父ギャグとしてしか聞こえなかった様子。

元々、他の女性が聞けば総スカンを食らうような下ネタでも大概は笑って受け流してくれるのは名無しの長所の一つでもあるのだが、普段は有り難く感じる彼女の大らかさが今日に限っては憎らしい。

(これっぽっちもギャグじゃなくて、こっちは大マジだっつうの)

それともあれか。

キリッとした表情を作って大真面目な口調で言い放ったのも、いかにもウケ狙いみたいに見えて良くなかったのか?

「もう〜。夏侯覇ったら段々子上に似て来たね」
「え!?なんで!?」

予想外の突っ込みに、夏侯覇はギョッとした。

「うん。さっきの返し方とか本当にそっくり。確かに子上と夏侯覇は付き合いも長いから、自然と似て来るのかもしれないけど…」

夏侯覇の返しによほどウケたのか、笑い過ぎて涙が出たようだ。

両手が泡だらけになってしまっている為、名無しは何も付いていない腕の部分で目元を拭う。

「お互いに影響し合うっていうのはそれだけ仲がいい証拠だと思うけど、子上なんてセクハラが原因で査問委員会にかけられた事があるんだよ」
「査問会〜!?」
「そうなの。あの時は弁護人が二人まで呼べたから、子上に頼まれて私と子元が弁護側についたんだけどね。私も子元も、子上があの通りなだけに弁護しようにも本当に困っちゃって」

言葉通り困ったように眉根を寄せ、はぁっ…、と名無しが大きな溜息を漏らす。

「でも、子上ったら全然反省ナシだから。結局、それ以降も何度も呼び出しされてるの。その度に私も弁護人として査問委員会に召集されているんだけど、回数を重ねれば重ねる程に段々弁護も難しくなってきて…。だから、夏侯覇もほどほどにね?」
「ハ…、ハハハ……」

夏侯覇の引きつった口元から漏れるのは、力のない乾いた笑い。

つーか、何やってんすか?司馬昭殿!

つい先程自分も露骨な下ネタを放っていた事実を棚に上げ、夏侯覇が脳内で突っ込む。

確かに自分もその場の雰囲気やノリに任せてその手の軽口を叩いてしまうケースもあるが、それでも司馬昭とはレベルが違う。

(よく分からんが、さすがとしか言いようがない)

俺の場合、いくらなんでも査問会にまで呼び出しを食らって詰問される程じゃないもんな。

同じ男として間違った方向に感心しながらも、それでもやっぱり査問会は面倒臭いよな…、などと夏侯覇が考えている間にも、名無しの洗髪作業は続いている。

「もうちょっと頭を上げて貰ってもいい?」
「ん?ああ、分かった」

名無しに促されるままに、夏侯覇は少々頭を上げた。

無意識にうっすらと目を開けてみると、そこにあったのは名無しの胸元。

丁度位置が合ってしまったのか、柔らかそうな二つの白い膨らみがドアップで男の視界に飛び込んでくる。


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