異次元 【ご奉仕致します】 バシャッ。 バシャッ。 「はぁ…。やっぱ一日の終わりの長風呂ってのはいいもんだよなあ〜」 夏侯覇は大きな手で浴槽の湯を掬って左右の肩にかけながら、うっとりと両目を瞑る。 以前、飲み会で司馬昭に なあお前ら。イマイチ気が乗らない時の気分転換って何してる? と質問を受けた際、 『女』 『酒』 『博打』 『セックス』 ……などと周囲の男性武将達が大体予想通りの回答を告げる中、一人だけ『風呂ですかね』と別路線で答えたのが夏侯覇だった。 司馬昭だけでなく他の者達にも『若いくせにジジ臭え!』とからかわれてしまったが、それでも風呂はいいものだと夏侯覇は思う。 こうして己の体に暖かい湯をバシャバシャとかけていくと、凝り固まった筋肉が次第に解れ、一日の疲れがゆっくりと溶けていくような気がする。 「強いて言うなら、これで可愛いお姉ちゃんが背中でも流してくれたら最高なんだけどな〜」 そんな事を呟きながら、夏侯覇は二の腕を揉み解す。 「夏侯覇、遅くなってごめんなさい。一緒に入っても大丈夫?」 扉の向こうから突然響く謎の声。 「ん?ああ、お好きにどうぞ」 しかし、すっかりセルフ筋肉マッサージに気を取られた夏侯覇の口から発せられるのは適当な生返事。 「分かりました。じゃあ、失礼します!」 「おう。どうぞどうぞ遠慮なく。……って、どわああああ────ッ!?」 ガラガラッ、と音を立てて中に入って来た人物を見た途端、夏侯覇は危うく浴槽から飛び出しそうになった。 そこに立っていたのは名無しだった。 普段の仕事着とは違い、私服の袖と裾をまくって手足を露出させたラフな格好をしている。 「ちょっ、ちょっと待ってくれ!ななな、なんでお前がこんな所に…!!」 入っていいぞ≠ニ許可したのは自分なのに、何が起こっているのか分からない、といった口調で夏侯覇が尋ねる。 「えっ…。ひょっとして忘れちゃったの?夏侯覇。ほら、先週の飲み会で王様ゲームがあったでしょ。それで、2番が7番と一緒にお風呂に入って背中と髪の毛を洗うって命令を受けて……」 「……あっ!」 名無しの答えを聞いた夏侯覇の脳裏に、先週の記憶が蘇る。 そう。確かに名無しの言う通り、そこで2番の名無しが7番の夏侯覇の背中と髪を洗うことになったのだ。 「それで、いつにする?って話になって、じゃあ来週の土曜日の夜はどう?って私が夏侯覇に聞いたの。そうしたら、『おう!いいぞいいぞ!』って夏侯覇も了承してくれて…」 ……そうだっけ??? (やばい……。素で忘れてた) 夏侯覇は困惑した。 多分、酒が入っていたせいとその場の勢いとノリでそういう返事をしたのだろうが、細かい部分が全然思い出せない。 だが、あの名無しが冗談でそんな事を言うはずがない。 彼女が今日だというのならきっとそうなのだろう。 「そ、そっか。そうだったよなー。いやー、悪い悪い!」 せっかく来てくれた名無しに悪いと思い、夏侯覇は即座に話を合わせる。 「……?ひょっとして夏侯覇、忘れてた?」 「いやいやいや、そんな訳ありませんって!ちょっとした冗談です。お前を驚かせようとして、わざとビックリして見せただけ!ははっ」 「ふふ。なーんだ。もし本当に夏侯覇が忘れてたなら私も来なくて良かったのかな?って思っちゃった」 くすくすと笑いながら、名無しはそう言って戸を閉める。 酒の席での出来事とはいえ、こうやってきちんと約束を果たしに来る辺りは名無しの真面目な性格なのだろう。 しかし、実は他にも大きな理由がある。 どういう仕組みになっているのか分からないが、飲み会で課せられる罰ゲームについて、この魏城では誰もズルをする事が出来なくなっているのだ。 普通、このように『その場でやらなくてもいい約束』に関しては後から適当な事を言って誤魔化したり、やってもいないくせに当人同士で口裏を合わせて『ああ、あれ?やっておいたよ』と嘘をつく人間も出てきたりするのだが、ここでは決して許されない。 誰がどこで見ているのか、どこにスパイが放たれているのか知らないが、どんな小細工をしようとも、ズルをした人間は確実にそれ≠見抜かれる羽目になっていた。 だからこそ王様ゲームでの命令は絶対であり、その威力の凄まじさ故に『○番が●番に全財産を渡す』『○番は離婚する』『○番と●番がセックスする』など、道徳的にも問題があり被害が甚大な内容に関する命令は一切禁止とされている。 よって比較的ライトな内容ばかりになっているのだが、それでもあの人がまさか!?≠ニいう典偉の尻文字や鍾会の女装、郭嘉の腕立て100回、張コウの『司馬師の真似』などは端から見ていて面白かった。 「あ、悪い。名無し、タオル一枚取ってきてくれるか?」 「タオルなら余分に持ってきてあるよ。一枚でいい?」 「それと…、ちょっと向こう向いててくれねえかな」 「……!そ、そうだね。準備が出来たら教えてね」 今の己の姿を認めた夏侯覇、そして夏侯覇の言わんとする事に気付いた名無しの両者が頬を染める。 完全に一人入浴タイムだった為、当然の事ながら体を隠す必要などない夏侯覇はスッポンポンの状態だったのだ。 今まで浴槽に沈んでいたおかげで大事な部分は隠せていたのだが、名無しに洗って貰うとなればそういう訳にはいかない。 「よし。もういいぞ」 「は、はい」 しっかりと下半身にタオルを巻き付けた状態で浴槽から上がった夏侯覇を目に留めて、名無しがホッと安堵の息を漏らす。 「俺、とりあえずどうしてればいいのかな」 「えっと…、そうだね。じゃあ、ここに座って貰ってもいい?」 軽く周囲を見渡した名無しが、手近な所にあった椅子を指し示す。 夏侯覇は名無しに促されるまま椅子に近付き、彼女に背を向けた形で腰を下ろす。 「では、僭越ながら、本日私が夏侯覇殿のお背中と御髪を担当致します。ふつつか者ですが、精一杯心を込めてお世話させて頂きますのでよろしくお願いします!」 風呂場の床の上でそっと三つ指をついて、はにかむような笑みを浮かべる名無し。 顔は見えなくても背中越しにその健気な姿勢を感じ取り、夏侯覇の心臓がドクンと跳ねた。 こんな風にして女性に恭しくかしずかれ、お世話致します≠ニ告げられて、嫌な気持ちになる男はまずいない。 武将という立場上普段から多くの女官達を周囲に従え、足元に跪かれる光景自体には慣れている夏侯覇だが、それが知り合いの女性となってくるとまた違った印象を抱く。 [TOP] ×
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