異次元 【崩壊都市】 可愛いねとか、綺麗だねとか、素敵だねとか、あなたはとっても魅力的だよとか。 同じ男性から見ても『よくもまあそんな歯の浮くような台詞を』と思えるような言葉を簡単に口にするキザな男性というのはいつの世にも存在するものだし、似たようなタイプの男性にも名無しは何人か出会った事がある。 だが、同じ言葉でも、それをこの郭嘉という男性が言うと全く違う魔法の呪文のように聞こえた。 他のプレイボーイに『抱き締めたい』と言われた時のときめき度を10とすると、それを郭嘉に言われた時のときめき度は10倍の100どころか余裕で200も300も超えそうな気がする。 まるで女心を蕩かすチョコレートのような男性。 甘くて蕩けそう≠ネんて小説か何かの世界くらいでしか存在しない表現だと思うけど、目の前に立つ男を見ていると、名無しはそれ以外の上手い言葉が思いつかない。 あああ……。お願いだから、そんなに見つめないで欲しい。 手足が震えてしまって、しっかり立っていられない! 「今のその顔、いいね。とても」 しかし、当の郭嘉と言えばそんな名無しの葛藤などどこ吹く風。 砂糖を煮詰めたような琥珀色の瞳に微笑みながら見つめられ、名無しの胸の鼓動が加速する。 「あ、あの…、そんなに見つめないで…。あと、近寄らないで……!」 「どうして?」 名無しの要望とは正反対に、美しい男の顔がさらに近付く。 「そ…それは…。男の人にそんな風にして見つめられるなんて恥ずかしいから……。それに郭嘉が相手だと、余計にどうしたらいいのか分からなくなるの……」 どう説明したものかと悩んだ結果、名無しは思ったままを正直に口にした。 自分の言葉で余計に恥ずかしさが増加したのか、林檎のように赤く染まった名無しの頬を郭嘉が再度撫でる。 「あなたは本当に照れ屋なんだね。恥じらう女性は好きだな。何だか悪い男の気分になってくる」 「…え…」 「そんなに潤んだ瞳で見つめられると、あなたを私の色に染め上げたくなってしまうよ……」 郭嘉が、悩ましげな表情を浮かべてクスッと笑う。 アウト。アウトだ。 この空気は間違いなくおかしい。 自分と郭嘉の間に流れるこのムード。 とても仕事中に交わされる会話とは思えない。 いや、正確に言うと今は仕事中じゃなくて一応休憩中ではあるのだが……。 それでもやっぱりアウト。 とてもただの同僚同士でする会話とは思えない!! 「あ、あのね、郭嘉っ。実は相談があるんだけど!」 「うん?」 突然声を張り上げる名無しを見て、郭嘉がまたクスリと笑む。 「私、今月末に知人の結婚式に出席するんだけどね…」 少々緊張した声で名無しが告げる。 (ふふっ。つまり、他の話題に変えたいということか) 唐突に放たれたその言葉に何とかして話題転換を試みる名無しの意図を感じながらも、それを全て分かった上で郭嘉は名無しの話に耳を傾けた。 名無しがしてくれた話によると、どうやら彼女は近々知人の結婚式に参列するようだ。 普通の一般女性でも身内や友人など身近な人物の結婚式に招待される事はあると思うが、名無しの場合、それ以外の相手も絡んでくる。 自分の直属の上司、もしくは部下。同じ職場の同僚。職場は違えど、仕事上の付き合いのある相手。 または、魏国が日頃から親睦を深めている友好国で行われる式典。 他国の王族や貴族の婚儀に、曹操や曹丕の代理として司馬懿と共に魏国代表として出席する事もある。 高位の文官である名無しのような女性だと、その立場も影響して普通の一般人に比べて仕事上の義理やお付き合いで顔を出さなければならない冠婚葬祭の場が多いのだ。 そうなってくると、お祝い金などの費用的な面は勿論の事だが、参列する為の衣装に関しても悩みは尽きない。 友人の結婚式にはこれくらいでいいだろうと思うけど、同盟国の王族の婚儀に出席するとなればきちんとした正装で出なければならないだろう。 部下の時ならこれでもいいが、上司の時にこれでは少し安物に見えてしまうだろうか。もっと高級な衣装で臨まないとダメだろうか? アクセサリーはどこまで着けていいのだろうか。 魏国代表として、どこに出ても恥ずかしくないように豪華な宝石を着けていくべきだろうか。 それとも、やはり花嫁より目立つようなものは避けるべきだろうか。いっそ、もっと地味な方が? 特に仕事関係や友人の結婚式が重なった場合、お互いの人間関係が被っていると毎回同じような顔ぶれが集まる事もある。 この間着ていったばかりの衣装をまた着ていくと、『あの人この前と同じ服じゃない?』と言われてしまう。 この服はこの間仕事関係の結婚式で着ていったし、こっちの服もその前に同僚の結婚式で、このアクセサリーも先週着けていったような気がするし……。 (あー、もう!どれに決めればいいのか分からない!!) 名無しは、その身分上世間一般の女性に比べて多くの衣装や装飾品を所持している方だった。 ただの趣味や贅沢で必要以上に多くの衣装を買い集めているというよりは、彼女の意思に反し、業務上必要だと判断して仕方なく購入した物ばかりである。 そんな衣装持ちの名無しですら、婚儀が重なると服装選びには苦労するらしい。 「それで、さっきから何着か試しに着ていたところなんだけどね…」 名無しは、困ったようにそう言って目を伏せる。 (なるほど) 部屋に入った時、半裸の名無しに遭遇したのはそういう事だったのか。 謎が解けたとばかりに一人納得する郭嘉に、名無しが遠慮がちに声をかける。 「私なりに悩んでとりあえず5点くらいまで候補を絞ったんだけど、そこから先がどうしても進まなくて。もし郭嘉さえよければ、少し付き合って貰っても大丈夫?私、今から郭嘉の前でその5種類のドレスを着てみるから、郭嘉から見てどれが一番いいのか判断して貰いたいの」 「名無しのドレスを、私の目で…?」 「そう。郭嘉の目で───…、あ……っと、違った。郭嘉の目でもいいけど、出来たら軍師の目から見たアドバイスが欲しいの。……ダメかな?」 名無しが、可愛い上目遣いで聞く。 女性のドレスに対する男性としての好みよりも、もっとドライな、あくまでも名無しの立場と相手側との関係を考慮した軍師の目≠ニして見て欲しいと。 [TOP] ×
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