異次元 【崩壊都市】 年度始めの時期は、昼夜を問わず何かと気ぜわしい。 廊下で打ち合わせをする文官の話、引き継ぎをする警備の者、女官達の挨拶の響き、中庭で鍛練を積む兵士達の掛け声。 ロマンチックとはおよそ程遠い現実的な城内の光景だが、魏城の長い廊下を『ロマンチックな方』と女性陣に評判の高い美青年が足早に通り過ぎていく。 男の名は郭奉孝。曹操に仕える若手武将の一人であり、魏軍が誇る名軍師だ。 まるでギリシャ神話に登場してくる男神のよう、と評される美しい金髪を風になびかせながら歩く郭嘉は、ある場所へと急いでいた。 郭嘉と同じく曹操に仕え、もう一人の名軍師・司馬懿と共にペアを組んで執務にあたっている名無しという女性の部屋だ。 この日郭嘉が名無しの元を訪ねようとしている目的は、来週予定されている定期総会の件で2,3点彼女に確認しておきたい事があった為だ。 本来なら業務時間中に尋ねておきたかったのだが、他の用件を済ませている内にいつの間にか休憩時間になってしまった事を郭嘉は悔やむ。 (部屋にいてくれるといいのだが) 仕事中でも会議等に出ていればそうなのだが、休憩時間にもなると一層名無しが自室にいるという保証はない。 この時間を利用して食事でも取りに出掛けているかもしれないし、自分のように他の武将の元を訪れているとも考えられる。 廊下を曲がると、名無しの部屋に続く扉が見えてきた。 間に合うだろうか。 「名無し。休憩中に申し訳ないが、来週の定期総会の件で────」 彼女の部屋の前に到着するや否や、郭嘉は部屋の主に声をかけると同時に扉を開けた。 しかし、そこには誰もいない。 「……?」 しんと静まりかえった室内の様子に、郭嘉が怪訝な顔をする。 (参ったな…。休憩時間になってすぐ駆けつけたつもりだったけど、今一歩遅かったか) でも、一体どこへ? 運悪くどこかで擦れ違ったのかと考えていると、奥の方でカタンと音がした。 執務室の先にある、名無しの私室の一部からだ。 ひょっとして、休憩中だしそちらでお茶でも飲んでいるのだろうか。 「名無し?」 ガチャリ。 何気なく奥の扉を開け放った直後、郭嘉は予想外の光景に驚いて目を見張る。 そこには、確かに名無しが立っていた。 だが、いつもの姿ではない。 郭嘉の視界に飛び込んできたのは名無しの半裸。 男に背を向ける形になっていた名無しは、今から丁度服を着ようとしていたのか、脱ごうとしていたのか分からない。 彼女の衣装は腰元まで下げられた状態で、白く滑らかな背中から女性的な曲線を描いた腰、そして後少しでお尻に届くというギリギリのラインまで外界にさらけ出されている。 「……?」 「!!」 物音に気付いて振り向く名無しと、呆然と見つめる郭嘉の視線がピッタリと重なり合う。 「きゃーっ!」 「すまない!」 男の視界から姿を消そうと名無しが咄嗟にその場でしゃがむのと、郭嘉が名無しに背を向けたのはほぼ同時のタイミングだった。 (しまった…、合図をするべきだった!) 郭嘉が今更ながらに自分の行動を振り返っても、もう遅い。 普段ならきちんとノックしてから他人の部屋に入る郭嘉だが、定期総会の事で頭が一杯だったせいか、いないと思った名無しの気配を察知した安堵感からか、その行為がすっぽり抜けていた。 (ここは一旦出直そう) 気まずいムードになるのを少しでも避ける為、退室しようと郭嘉が扉に手を伸ばす。 「か、郭嘉…!ごめんなさいっ。もう平気だから。こっちを向いても大丈夫!」 背後から自分を呼び止める声に促され、郭嘉が再度名無しの方に体を向ける。 するとそこには最低限の着替えを手早く済ませたのか、普段通りの上着を纏った名無しの姿があった。 「本当にごめんなさい。あんな所を見ちゃって、私なんかよりよっぽど郭嘉の方がビックリしたよね」 郭嘉が話しかけるよりより早く、名無しがそう言って恥ずかしそうに目を伏せる。 こういった場合、込み上げる羞恥心からかプライドの為か、例え不可抗力であっても ひどい! 最低っ 何で勝手に入ってくるの!?○○君のエッチ!! などと自分の不注意を棚に上げ、一方的に男を非難する女は結構多い。 しかし決して男を責める事をせず、むしろ見苦しい姿を見せてしまってごめんなさい≠ニばかりに下手に出て謝罪の言葉を述べる名無しの態度に郭嘉の緊張が解けていく。 相手の主張も聞かず、頭ごなしに他人を責める事はしない。 名無しのそういう穏やかな性格に関して、郭嘉は以前から好感を抱いていた。 「ふふ、こちらこそ申し訳ない。女性の部屋を訪ねる時にノックをするのを失念するとは、私とした事がとんだ失礼を。大好きなあなたの顔が見られる喜びで、つい気がはやってしまったのかな?」 そう言って意味ありげに微笑む、相変わらず甘ったるい郭嘉の台詞と声。 「タイミングが悪かったかな。いや、名無しにとっては良かったのか…。後少しの所で気付かれて、私はあなたの赤裸々な姿を見逃したという訳だ。実に残念」 「もう…。こんな時まで郭嘉ったら!」 名無しは羞恥心を堪えながら、思い切って男の顔を見上げた。 スラリとしたしなやかな体格のせいか実際の身長以上に背が高く見える郭嘉は、その美貌に神々しいほどの笑みを浮かべて名無しを見つめ返す。 「ははっ。でも、私だからまだ良かったかな。他の男にあなたの素肌を見られたらと思うと、きっと私は嫉妬で狂いそうになると思うから」 「えっ?」 不思議そうな顔をする名無しを見下ろし、郭嘉はニッコリと笑う。 「白くて滑らかで…、とても綺麗だったよ。あなたの背中」 「……!」 「本当はもっと眺めていたかったんだけど、あなたに嫌われるのが怖くてつい背を向けてしまった。臆病者で失敗だね、私は」 「な…、なななっ……」 「次は勇気を出して後ろから抱き締めるよ。私が扉を開けてこの部屋に入ってくる所から、もう一度やり直してもいい?」 名無しの頬をそっと撫でながら、郭嘉が楽しそうに言う。 「だ、ダメですっ!」 触れた指先から男の体温を頬に感じた名無しは、一気に体温が上昇した。 [TOP] ×
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