異次元 【真偽矛盾】 当初は敵側の武将としてその命を奪う事も視野に入れていた相手。 名無しが妙な気を起こして牢屋の中から脱走しよう、氏康の首を狙おうと画策したりしていないだろうかと、小太郎は注意深く監視していた。 そんな事をしている内に、彼女の芯が強くも健気な姿を目にするにつれ、次第に彼のS心が刺激されてきたらしい。 「古狸にどこまでも忠義な、無垢な子犬よ」 「……。」 「ただ殺すだけでは勿体ない。闇に引きずり込むだけでは物足りない」 「……。」 「あの子犬。座興代わりに我の犬として躾けたくなるし────飼いたくなる」 目付きの鋭い小太郎が、狡猾そうな顔に黒い笑みを貼り付けながら言い放つ。 こいつ、一体何を言い出すつもりなのだ。 予期せぬ小太郎の発言に、半蔵は他人に気取られない程度に両目を見開く。 女などただの動く肉塊。 その程度にしか思っていない小太郎が、獲物である名無しをどうしたいと言うのだろう。 「クク……、半蔵よ。家康だけでなく己の愛犬もせいぜい守りに励むのだな」 何が狙いなのだ。まさか。 用心深く小太郎の表情と動きを観察している半蔵の背中に、何とも言えない嫌な予感と緊張が走る。 「夢も希望も失い、あの瞳が悲しみの涙に濡れる姿を見たい……」 「……。」 「泣きながら必死にうぬに助けを求めるも、うぬの助けなど間に合わず、身も心もズタズタにされる子犬の姿が見たい。雌犬のように這いつくばった姿勢で男に犯され、喘ぎ声混じりに許しを請う悲惨な子犬の姿が見たい……」 「!?」 「我に首を絞められながら貫かれ、満足に呼吸も出来ないまま苦痛と一体の絶頂を迎える子犬の痴態が見てみたい。いっそ殺して下さい、と哀願する子犬の姿が見たい。絶対に助からないと思い知り、我の下で懸命に藻掻きながら、あの純粋な瞳が絶望に染まる無惨な瞬間を見てみたい……」 「─────……!!」 ガガガッ。 キンッ。 キインッ!! 先刻よりも数倍強く激しい金属音が、暗闇の中で響き渡る。 目にも止まらぬ早さで半蔵が打ち込んだ鎖鎌の連続攻撃は、同じく目にも止まらぬ早さで応戦した小太郎の鈎爪によって全て無効化されていた。 「女を返せと言うならくれてやろう」 どこからともなく吹いてきた強風と共に、小太郎に引き寄せられるようにして彼の周囲に沢山の木の葉が舞い落ちる。 「ただし元の姿という訳にはいかぬがな。ククク……」 含みのある台詞を吐き、小太郎が赤い唇を吊り上げて不敵に笑う。 鋭い双眼の周りに血化粧のような模様を施した巨漢の正体は、鬼か魔物か。 「壊れた人形のように発狂し、廃人化した女の脱け殻を連れて、どこへなりと行くが良い」 二人のいる場所だけ一段と濃い黒を流し込んだような夜の世界。 月光を反射して金色に輝く小太郎の瞳が、まるで本物の魔族の如く見る者をゾッとさせるような冷気と狂気に満ちていく。 「─────うぬの可愛い子犬の魂も肉体も、我がいずれ全てを壊してやろう─────」 ザアアアアアアアアッ。 小太郎を中心にして渦巻きながら吹き荒れた嵐は、木の葉を巻き込んで彼の体を完全に包み隠す。 やがて嵐が止み、風の影響を逃れた木の葉が再び重力に引かれて地上に降り注ぐ頃には、風魔の姿はそこにはなかった。 (まさか。そんな) 予想もしていなかった展開に、さすがの半蔵も絶句した。 『任務遂行の名の下に、自分にとって大切な女を堂々と助けに行けるのだから』 小太郎が得意げな顔付きで言い放った意味深な台詞が、半蔵の脳裏に蘇る。 有り得ない事だ。忍びが任務以外の事に気を回すなど。 あってはならない事だ。ましてや伊賀忍軍の頭領である自分が他人に興味を抱くなど。 (影に感情はいらぬ) 忍びの掟を、半蔵は呪文のようにして唱える。 あれはいつも通り、あの男が自分を混沌に誘おうとしているだけの戯れ言だ。 風魔の術中にはまってはならない。 風魔の言葉に惑わされてはならない。 あれは、いつもの奴のやり方だ。 そう思い、半蔵は小太郎が語った≪半蔵論≫を全否定しようとした。 ……が、そればかりでなく名無しについての話も気に掛かる。 『ただ殺すだけでは勿体ない』 『我の犬として躾けたくなるし────飼いたくなる』 風魔小太郎が名無しに興味を抱く?馬鹿な。 あの小太郎が名無しを自分の愛玩動物に加えたいとのたまう?馬鹿な。 どう考えても単なる冗談にしか聞こえないと考えて、半蔵はジャラッ、と音を立てながら鎖鎌を腰帯に着けてある金具に引っかけて収納する。 (だが────奴は混沌) 常人なら有り得ない事でも、小太郎ならやる。 突拍子もない嘘を平気で吐いて敵を欺くのが小太郎の流儀なら、到底嘘にしか思えない真実を述べて周囲を混乱させる事があるのもまた風魔小太郎という男の得意技なのだ。 (まさに混沌の申し子よ) どんなに嘘だと思いたくても、そうでない事もある。 世の中には、そんな恐ろしい事実というのもあるものだ。 小太郎が告げた、名無しに対する半蔵の思いも。 名無しを狙っているという小太郎の主張も。 そう考えると、風魔の言っていた言葉はあながち全てが間違いだとも言い切れないのだろうか? (……。) こんな所で手間取っている場合ではない。 幸い風魔は一旦退いたようだ。 だが、無視できないのは小太郎が最後に残したあの台詞。 『いずれ全てを壊してやろう』 小太郎は油断ならない。 そして、一切の常識が通用しない男。 今は何とか無事だとしても、いつまでも名無しの身が安全かどうかは保証出来ない。 (任、果たさねば) 主の命に従う為、一刻も早く名無しの元へ辿り着かねば。 夜に紛れ、半蔵は小田原城に向けて闇夜を駆け抜けた。 一人の女を救い出そうと、闇の中を走る者。 その女を絶望の海に沈めてやりたいと、闇の中で笑う者。 自分達のような忍びが特定の存在に執着する事などあるのだろうか。 ─────半蔵はそんな事など分からないし、分かりたくもない。 ─END─ →後書き [TOP] ×
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