異次元 【真偽矛盾】 「これはこれは……。うぬにしては珍しい反応だ。もしや図星だったかな?半蔵くーん……」 ほんの一瞬、感情が垣間見えたような半蔵の様子を見て、小太郎はククッと笑った。 いかにも楽しそうな声とふざけた口調で語りかけてくる小太郎を、半蔵は絶対零度のように凍えた視線で射殺す。 「半蔵くーん、あーそーぼ……」 「……。」 「無反応はつまらない……。半蔵くーん、子犬狩りして遊びましょ……クク……」 「黙れ」 お前のお遊びに付き合うつもりなど毛頭無い。 半蔵はそう言いたげな素振りで挑発するような小太郎の言葉を受け流すと、その場から立ち去るために再度小太郎に背を向けた。 小太郎がつれない半蔵の後を追おうとして足を一歩踏み出す。 途端に鋭く尖った金属が風を切り、小太郎の足元に突き刺さった。 ────それ以上近付いたら殺す。 流れるような動作で牽制の一撃を繰り出す半蔵の技に、同じ忍びとして感心しているのか、小太郎が嬉しそうに両目を細める。 「うぬの言葉を借りるなら、もっと思考を冷たくするべきだ」 「…何の話だ」 「魔の戯れ言に耳を貸す事自体、うぬの心の乱れの表れではないのか?」 「……!」 小太郎の言葉に、半蔵は反論する気はなかった。 と言うより、反論出来なかった。 これが普段の自分なら、風魔の言葉に耳など貸さず、さっさとこの場を離れていた。 小太郎のような得体の知れない魔物と正面から激突するのは得策ではないという考えもあるが、この男が最も得意とするのが人の心を掻き乱す事だというのを知っていたからだ。 風魔が陽動作戦を常とするのは、先の戦いでよく分かっていた事ではないか。 と、言う事は、もしや今の話も─────? 「事実、そのような事になっていればまた面白い話になっていたと思うが」 黙り込む半蔵を満足そうな眼で眺めながら、小太郎は赤い舌先でペロリと唇を舐めた。 「案じずとも、捕虜は丁重に扱っている。我の主はそういった行為を好む人間ではない。かみさんとやらにベタ惚れの愛妻家だが、基本的には女全般に狼藉を働くのを良しとしない男だからな……」 では、先程の言葉もまた作り話だったのか。 この男は、一体どこまで他人を攪乱するのが大好きな人間なのだろう。 「……くだらぬ」 ここに来てようやく漏れた半蔵の声は、どこまでも低く、無感動なものだった。 だがその言葉とは裏腹に、小太郎の台詞を耳にした半蔵は内心何とも言えないざわめきを抱いていた。 以前見た女武将のように乱暴されたという訳でもなく、北条氏康の指導の下、捕虜として丁重に扱われている。 その説明を聞いて、半蔵は安堵した。 名無しはまだ何もされていない。 他の男に汚されていない。 彼女は無事なのだと。 (影が、安堵する?) どこか安らいでいる自分に気付き、半蔵はそんな己を疑った。 何故そのような事を考えたのかと、自分で自分の心の動きに説明が付かない。 「……忍びの道に情けは無用。それは主の手足である名無しとて同じ事……」 「クク…。そうか…?」 「拙者に与えられた任務はただあの者を救出する事。名無しがどのような処遇を受けていようが、興味はない」 厳しい声で、半蔵が言う。 半蔵が小太郎に向けて放ったその言葉は、反面、他ならぬ自分自身に語るようなものだった。 忍びの道に情けは無用。それが鉄則だと半蔵は思う。 何より、相手はこの風魔小太郎である。 人の心の隙間に入り込むのが得意な彼の事。 名無しが輪姦されていると言った先程の言葉も、そして実は子犬は無事だ≠ニ言った次の言葉も、そのどちらが本当なのか分かるはずがないではないか。 むしろ、その両方すら真実かどうかなんて怪しいものだ。 そう頭では理解出来ているのに。 相模の獅子と呼ばれる北条氏康が風魔の言う通りの出来た人物であって欲しい。 名無しの白い肌が男達の汚らしい手垢で汚されていなければいい。 ……などと、どうして自分はそのような事を一瞬でも願ったのか? (忍びたるもの、内を覗かれるは恥辱) そう思い、半蔵は闇夜に浮かび上がる銀色の月のように冷淡な眼差しを風魔に向ける。 もっと思考を冷たく保たなくては。 「そうだな」 ククク…、と喉の奥で低く笑い、小太郎が腕を組み直す。 「だがあの女を傷つけぬのはあくまでも我の主の意向であって、我の考えはまた違う」 唐突に告げられた言葉の意外さに驚きを覚え、半蔵は強い眼差しを小太郎に向ける。 主君である家康の命令には絶対服従の姿勢を貫く事が忍びの流儀だと思っている半蔵からしてみれば、あっさりと主の方針に異を唱える小太郎の言動はそれに反するものだ。 しかしそれこそが彼なりの流儀であり、風魔小太郎が掴み所のない風のような男≠ニ評される所以なのだろうか? 「殺すか、活かすか、それとも遊ぶか。どれを選んでもあの子犬は面白い結果になりそうだ」 主の為にさっさと殺そうか、それともその前に男として一通り遊んで≠ィこうか。 静かな、だが威圧感に満ちた声音でそう告げる小太郎の赤い唇から、半蔵は目を離すことが出来ずにいた。 風魔小太郎程の男が、単なる思いつきでそのような事を考えるとは到底思えない。 「あの従順そうな姿を見ていると、食指が動く。我の好みに改造したくなる」 牢屋の中の名無しは、ただ静かに己の最期を待っていた。 自分は囚人となってしまったが、まだチャンスはあるのかもしれない。 もし運良くここから抜け出す事が出来るなら、自分は家康の元に戻り、主の剣となって再度彼の為に戦おう。 だが、もし北条が自分を徳川軍との交渉の道具に使おうとしている気配を少しでも察知したら、その時は舌を噛んで潔く死のう。 徳川の将として、家康への忠誠を。誇り高き死を。 そのような決意を秘めて囚人生活を送る名無しの姿を、小太郎はずっと見てきた。 [TOP] ×
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