異次元 【バレンタイン・ショック(晋)】 「確認するが、それは間違いなく私のものか」 「そ…、そうだけど…」 「間違いなく?」 「は…い…。子元の為に用意しました。でも、どうして…?」 「本気で?」 「はい」 矢継ぎ早に、しかも質問の意図も分からぬまま何度も問われ、名無しの瞳はますます混乱の色に染まっていく。 これはもう質問とは言えない。 もっと厳しく、相手を責め立てるような詰問だ。 「……だろうな」 チッと舌打ちすると、司馬師は素晴らしく長い足を持て余すようにして左右の足を組み替えた。 聞き返そうにも、司馬師が何を言いたいのかすら読み取れない。 相手の気持ちが分からない状態で下手な言葉を返すのも余計に話がこんがらがるだけだと思い、名無しはそれ以上口を開くことも出来ないまま黙って司馬師を見つめる。 「……。」 「……。」 しかし、司馬師もまた名無しのリアクションを確かめるかのように無言のままで、名無しは蛇に睨まれたカエルの如く身動きが取れない。 「……。」 「……。」 沈黙が重い……。 こんなに夜遅くに突然訪ねて来て、しかもその理由が仕事でも何でもなくたかがチョコレートだと? お前、ふざけているのか。それは本気か?馬鹿なのか? 司馬師の『本気か?』をそっち方面だと受け止めた名無しは、申し訳なさや情けなさ、恥ずかしさやらで頭の中が一杯になり、悲しくて涙が出そうになった。 やっぱり迷惑だったよね。 子元、ごめんね……。 「前から確認したかったのだが」 「は、はい」 沈黙を破るようにして、先に口火を切ったのは司馬師だった。 前から確認したかったのだが、いつ誰がお前のチョコレートなど欲しいと言った?余計なお世話だ。迷惑だ! そう来るのかな、と思って震えながら返事を述べる名無しに、情け容赦のない司馬師の視線が突き刺さる。 「────お前が毎年配っているチョコ、どう考えても義理だよな」 ……はい? きっぱりと、断言するかのように告げられた司馬師の発言に、今度は名無しの眉間に皺が寄る。 「去年も一昨年も、お前が私に寄越したのは昭や鍾会に渡したのと同じ店の物だったな。紙袋も一緒。中身も一緒。他の奴らと一緒。笑えるくらい、全部一律で」 心底不愉快そうに口元を歪めて吐き捨てる司馬師を、やっぱり子元は怒ってる、と思いながら名無しは怖々と見つめる。 けれど、その理由が妙だ。名無しの予想とは全然違う。 去年の事。さらにその前の事。 そして司馬師に渡したチョコレートの内容について、彼は怒っていたというのだろうか? 「しかも今日お前が来たのはついさっき。一日が終わり、日付が切り替わる一歩手前の深夜の時間だ」 「…はい。子元、非常識な時間に来てしまってごめんなさい…」 「もう今日は来ないのかもしれない。チョコはないのかもしれない」 「……!」 「そう私に思わせるように仕向けたのも、お前が予め考えていた計画の内という事か?」 ……えっ? ぶつけられた問いの内容の意外さと予想外さに、名無しは驚いたようにパチパチッと瞬きを繰り返す。 「日付が変わる直前までの延々放置プレイ。ようやく持ってきたかと思えば、今までと同じでどこぞの店の紙袋に入れられたようなただの義理チョコ。そういう冷たい仕打ちにむしろキュンキュンしなさい、この私から貰えるだけでも有り難いと感じてときめくようなM男になりなさい……とでも言いたいのか?」 名無しに語る司馬師は口元にバツの悪そうな笑みを浮かべているが、それすらもこのシチュエーションの為に作られた仮初めの笑みに見える。 まるで予想していなかった問いかけにどう答えればいいものか、と混乱してその場に立ちすくむ名無しを見て、司馬師はやれやれといった感じで大げさな溜息を漏らす。 「そうだとしたら、私も随分と舐められたものだ」 「違う…、子元…!私、そ、そんなつもりじゃ…っ」 「まあ、そう聞けばそう返す女が多いだろうな。私、そんなつもりじゃなかったの∞勝手に勘違いして、期待する男の方が悪い≠ニかな?やかましいわ。黙って聞け」 「……。」 「悪いが私にはそういう資質はない。そういうのはプライドのない奴隷体質のマゾ男にやってやれ。誰がそんな風にしてお前に調教などされてやるものか」 余裕で会話をしているように感じるが、その実氷のように酷く冷たくて、フツフツと湧き上がる熱いマグマにも似た憤りという相反する要素を同時に孕んだ司馬師の気配。 これは……滅多に垣間見ることが出来ない、司馬師の生の感情だ。 「喧嘩を売るなら相手を選べ。いいか。私をその辺の男と一緒にするなよ……!」 名無しを見つめる司馬師の双眸に、切れるような怒りが過ぎる。 わざと冷たい態度や意地悪行為をして名無しを困らせたり泣かせたりするのは大好きだけど、自分が試される側に回るのは心底我慢がならないということか。 朝一番で司馬師の元を訪ねる訳でもなく、こんな遅い時間まで司馬師を待たせた事。 他の何を差し置いても司馬師を最優先しなかった事。 名無しが司馬昭達と同じような品物しか司馬師に渡さなかった事。 他の男と、同列に扱った事。 その事実に、魏城の女達が憧れる麗しのご主人様────、もとい司馬師は非常にご立腹だったのだ。 (それがそんなに嫌だったんだ、子元……) 名無しは司馬師の怒りの原因が分かった事に安堵するのと同時に、自分の行動のせいで司馬師を不愉快にさせてしまっていた事に気付いて深く反省した。 比較的許容範囲が広く、自分に出来る範囲であれば快く他者に譲る性格の名無しですらこれである。 これがもしご主人様気質の男性と女王様気質の女性の組み合わせだったとするならば、互いに主導権の奪い合いになってとても相性が悪そうだ。 「遅くなっちゃったのは本当にごめんなさい。急な残業が入って、こんな時間まで終わらなかったの…。反省してます」 「……。」 「それで…、今までの事もごめんなさい。チョコレートも今年は大分趣向を変えてみたつもりなの。少しでいいから、中身だけでも見てくれる?」 深い謝罪の意を示すようにして、名無しがペコリと頭を下げる。 [TOP] ×
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