異次元 | ナノ


異次元 
【バレンタイン・ショック(晋)】
 




「本当はもっと早くに手作りチョコを渡したかったの。でも、議事録作ったりとか仕事関係でお渡しする人の分とか用意してたら、今まではなかなかチョコ作りする時間が取れなくて」
「それで、今年が初お目見えってこと?」
「うんっ。去年までの反省を踏まえて今年出来るだけ早め早めに仕事を終わらせるようにしたんだよ。そうしたら空いた時間でやっとこうして手作りチョコに挑戦する事が出来て、私もすっごく嬉しくて!」

凄く嬉しいという言葉通り、喜びに満ちた名無しの表情。

しかし、司馬昭はそれでもまだどこか心の中に引っかかる物があるようで、納得いかないといった顔をする。

「けど、どうせ他の奴にも同じようにして作ったんだろ?兄上とか、鍾会とか、夏侯覇とかさぁ……」

薄情な恋人を責める時のような、ひどく拗ねたような甘ったれ声。

ムスッとした顔でまるで駄々っ子みたいに『他の奴は?』『兄上達は?』と聞き返して名無しの気持ちを確認しようとする司馬昭に、名無しは柔らかい笑みを浮かべながら真実を口にする。

「ううん。子上だけだよ。頑張って早起きして作ったつもりなんだけど、私要領悪いせいかそんなに一度に沢山作れないし、子上一人の分を作るだけであっという間に時間が過ぎちゃったの。だから、こうやって手作り出来たのは子上だけ」
「…名無し…」

無意識の内に零れ落ちた男の呟きに、小首を傾げながらなあに?≠ニ聞き返す名無しの仕草に変なスイッチが入りそうになって、司馬昭は高ぶる感情を必死で抑え込む。

名無しのこういう素直で真っ直ぐな所は本当に可愛い、と司馬昭は思った。

彼女はいつも誰かの為に一生懸命何かをしようとしている。

事前の残業処理も普段以上の早起きも初めての手作りチョコも、それが他ならぬ自分の為の努力だというのなら、余計に微笑ましくて愛おしい。

「これ…、今年限りって事はないよな。今年の事で俺に期待させるだけ期待させておいて、来年になったらやっぱり義理チョコ戻りとかそんな小悪魔プレイは勘弁な!」
「し、子上…」
「ヤバイ……。本気で嬉しいんだけど、俺……!あ〜もう、この喜びを全身で表現するにはどうしたらいいんだか……。なあ名無し、今晩お前の部屋に夜這いかけてもいい!?」
「ダメです」

何の躊躇いもなくオープンに誘いをかける司馬昭も、ニコニコ顔のままあっさりと断る名無しも、いつもの二人の通常運転。

この日もまた『何でだよ』『ダメです』という同じ遣り取りを二、三度繰り返した後、司馬昭はふと何かを思いついたような顔で名無しに言う。

「そうだ。名無し、お前今日仕事が終わった後って何してる?」
「えっ…、別に今の所予定はないけど。どうして?」
「なんかさー、こんなすげえの一人で全部食べるの勿体なくて。暇なら一緒にメシ食おうぜ。そんでもって、メシ食った後でこのチョコ半分こしよ」

全部自分で食べるのではなく、名無しにも半分分けてくれるというのは彼なりの心配りなのだろうか。

そういった些細な気遣いがとても嬉しく感じられ、名無しは笑顔で司馬昭の誘いを了承する。

「うん、いいよ。じゃあ出来るだけ早く仕事を終わらせて、子上の部屋にお邪魔するね」
「そんなの気にしなくていいって。むしろ俺の方からお前の部屋に迎えに行くから。もし仕事が溜まってんなら手伝うし。あ。あとさー、来月の3月14日だけど、今から予定空けといてくれよな!」
「えっ…?」
「いい所に連れて行ってやるよ。ちょっと雰囲気のいい店知ってんだ。俺もつい最近連れから聞いて2〜3回遊びに行ったばかりなんだけど、まだ兄上とかにも教えてない隠れ家的な場所。今日の礼って事で」

名無しを正面から見下ろしたまま、ゆったりと壁にもたれかかりつつ司馬昭が語る。

恵まれた長身、広い肩幅、厚い胸板。現れては消えるその辺の役者やモデル達よりもよほど端整な美男子である司馬昭はあちこちに知り合いが多く、普段から交際範囲も広かった。

持ち前の好奇心と行動力で城下町にも頻繁に繰り出しているおかげか、彼はこういった夜遊び系情報に滅法強い。

「そんな…、気を遣わなくて良いのに!」

そんな事をしたら司馬昭の負担になる、彼の迷惑になるとでも考えたのか、名無しは驚いたように目をパチパチッと瞬かせながら返事を述べる。


「お返しなんていらないし、子上が食べてくれるだけで十分嬉しいよ」
「……名無し」
「子上が傍にいてくれるだけで、私……」


ぎゅうっ。


名無しは強すぎず、弱すぎもせずの力加減で司馬昭の手を握りつつ、彼への感謝の気持ちと親愛の情で満ち溢れた瞳で男を仰ぐ。


「……ハァー……」
「?」
「────つーか、もう何なの?このカワイイ生き物……!」
「……え?」


熱い吐息と共にボソリ、と独り言のようにして吐き出された男の言葉に、名無しの声が途中で止まった。

「あー…めんどくさい…メンドクセ…。こんな細々した手順とか余計なやりとりとか全部すっ飛ばして、光の速さで名無しとの関係を先に進めたい…。いっそ既成事実を作って他の奴らの前で公表してやるとか…。ああもう…焦れったい…メンドクセェ…!」

不満そうに歪められた男の唇から、獣の唸り声のように低い声が聞こえてくる。

空腹度MAX、目の前の獲物に食らいつきたくて仕方がないとでもいう具合に獰猛な輝きで濡れていく男の眼の色を訝しみ、名無しがおずおずといった口調で声をかける。

「子上?」
「!!メンド……くさくないです!こっちの話!」
「……?」
「ハハハッ。いやいや、なんでも?我慢、我慢〜」

両手を後ろに回して名無しから貰ったチョコを背中に隠し、何事もなかったかのように鼻歌交じりで名無しに返事をする司馬昭は、いつも通りの清涼感たっぷりの好青年モードにすっかりチェンジしていた。

「あ。やっべ!昼休みが終わっちまう。名無しもそろそろも戻った方が良くないか?午後から全体演習だろ」
「そうだね、私も今から戻るよ」
「旨そうなチョコありがとさん。全力で兄上達に自慢してこよーっと!じゃっ、そういう訳で。また後でな!」

司馬昭はそう言って名無しに軽く手を振ると、自室の方へと向かって行った。

名無しもご機嫌な司馬昭の笑みに応えるようにしてニッコリと笑い、男から見える位置まで高く手を挙げてお返しのバイバイ≠する。

まるで春風のように爽やかで、一見『ご近所の気の良いイケメンお兄さん』という感じに見える司馬昭。


だが、さっきは何やら狼の牙や尻尾のようなものがチラチラと見え隠れしていたような気が……。


ただの幻覚だろうか?


(子上、すごく喜んでくれたみたい…。頑張って手作りして良かった!)



─END─


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