異次元 【バレンタイン・ショック(晋)】 〜バレンタイン・司馬昭ver.〜 「あっ…、やっぱりここにいたっ。子上!」 「おーっす。なんだよ名無し。つーかさ、ここの廊下昨日磨いたばっかりだし。そんなに急いで走ってくると危ないぜ?」 束の間の休息が味わえる昼休み。 大会議室を訪れた名無しは、丁度室内から出てきた所の司馬昭に出会った。 司馬昭は今日の午前中ここで行われる会議に出席すると聞いていた名無しは昼休みに入ると同時に急いで駆けつけたのだが、名無しが辿り着く頃にタイミング良く件の会議も終わったらしい。 「そ、そうだよね。廊下は走っちゃダメだよね!」 司馬昭に指摘された名無しは『しまった』という様子で両手で口を押さえると、周囲を伺うようにしてキョロキョロと見回す。 普段に比べて落ち着きがない名無しの行動に物珍しさを感じているのか、司馬昭は男前の顔で楽しそうに名無しを見つめる。 「いつも俺が名無しにそう突っ込まれる役なのに、今日は逆とは珍しいじゃん」 「私ったら…ごめんなさい。今日は少しでも早く子上に会いたくて…」 「うっわ〜…。なにその可愛すぎる理由。叱れねえし!」 しょんぼりと肩を落として心底反省しているような名無しを前に、司馬昭はわざとおどけたような口調で名無しに告げた。 そんな司馬昭のおかげでピンと張り詰めていた緊張が良い感じに解れ、名無しは自然と自分の口元が綻んでいくのを感じた。 兄の司馬師に比べ、普段チャラチャラしていてやる気のないように見える弟の司馬昭だが、その実、やる時はきっちりやる男だというのを長い付き合いで名無しは知っている。 司馬一族の男性ながらも気取らない司馬昭との遣り取りはいつも名無しの全身から余分な力を抜き取ってくれて、名無しは彼のそういう部分も大好きだった。 「しかも、今日は朝から随分いい笑顔ですこと。なんか良い事でもあったとか?」 「…!うん!そうなの。分かる?」 「分かる分かる。名無し、すぐ顔に出るもんなー。……ん?名無しから何だか甘ったるい匂いがするんだけど。何これ。蜂蜜?砂糖菓子?」 まるで名無しの事など何でもお見通しだと言わんばかりに、彼女の心模様をズバリと言い当てる司馬昭。 190pという長身故高い位置から名無しの顔を見下ろす司馬昭は、鋭いのは直感だけではない事を証明するように、五感をフルに使って様々な情報を読み取っていく。 (子上みたいな男の人に隠し事するのって、きっと難しそう) 今日の用事は別段隠すような事でもないし、勿体ぶるような必要もないと感じたので、名無しはすかさず持参した紙袋を司馬昭に差し出す。 「はいっ、子上。バレンタインのチョコレート!」 「おおっ!これは!!」 ニッコリと、満面の笑顔で手渡された名無しの贈り物に、司馬昭の口から喜びの声が出かかった。 だがそれは一瞬の出来事で、バレンタインという言葉とチョコレートで何かを思い出したのか、司馬昭の顔色が瞬く間に変わっていく。 「……ってお前、その笑顔でコレって……」 「えっ?」 「いや、どーせあれか。毎年恒例の義理チョコだよな?あー…、そっ、かぁ……」 今の今まで明るくて元気そうだった司馬昭の声が、明らかに暗い。 男の突然の変化に何が起きているのか分からず、名無しは疑問に思って司馬昭を見上げる。 「あの、さぁ…」 「……?」 「これ、何かの間違いじゃないよな?俺に渡すのは本当は違うチョコの方で、実は手作りと義理をうっかり取り間違えたとか」 「…え…」 「おっちょこちょいの名無しだから、実はそういうオチもありかな、な〜んて……」 頼むよ。違うと言ってくれ。 そう言いたげな司馬昭に真剣な眼差しで見つめられ、名無しは思わず言葉に詰まる。 何か言わなきゃ。 『あ』、と、名無しの口から小さな声が漏れた直後、そんな彼女の行為を遮るようにして司馬昭が溜息を吐く。 「いや……、いいって。こういうのは気持ちだもんな。完全無視より貰えるだけまだマシって思っとくか。やっぱり間違いじゃなかったんだよな。ハァ……」 名無しの返事を待つ事もなく、司馬昭はそう言って一人納得した様子で勝手に結論をまとめていた。 司馬昭の話から察するに、どうやら司馬昭の中では名無しからのチョコは義理チョコ認定されていたらしい。 市販品とはいえ、日頃お世話になっている事へのお礼と司馬昭への好意も込めて名無しなりに奮発した高級チョコレートを贈っていたつもりだった。 しかし、種類が違っても同じ店で購入した商品だったり、同じ包装紙だと男性の目から見ればその他大勢と一緒≠ニしか思えないという事なのだろうか。 自分の気持ちが通じていなかったのはちょっぴり寂しい気持ちだが、それ以上に普段明るい司馬昭がこのように傷付いた顔を見せる方が名無しにとっては数倍悲しい事だった。 子上……、ひょっとしてすごく落ち込んでる? 「あ、あの…、子上…っ」 「うん?」 「私なりに、今年は結構頑張ったの。去年までとはきっと違うと思う」 「……。」 「ねえ子上。良かったら中身だけでも見てくれる?」 これ以上司馬昭を刺激する事がないようにと、名無しは慎重に言葉を選びながら彼に請う。 言葉よりも結果。口約束よりも行動。 下手に言い訳みたいな事をするよりも、彼のような男性には実物を見て貰った方がよっぽど説得力があるのではないかと思ったからである。 「ふぅ〜ん…」 名無しに促された司馬昭は、始めあまり気乗りがしていなさそうな感じだった。 だが名無しにすがるような上目遣いでじっと見つめられ、『ねっ?』と可愛い声と仕草で駄目押しのようにお願いされ、仕方なさそうな素振りで軽く頭を掻く。 「あー、ハイハイ。開けます、開けます。さーてと、今年はどこのチョコレートですかね?」 去年や一昨年に貰ったチョコレートも、それ自体は決して悪い物だった訳ではない。 名無しの事だから、きっと義理とはいえその辺で数百円で買えるような安物チョコという訳ではなく、4〜5粒で数千円はするような美味しいと評判の有名店のチョコをわざわざ買って来てくれたのだろう。 (まあ、それも立派な気持ちだよな) そう考え、半ば自分を納得させるような思いで紙袋に入っていた小箱を司馬昭は取り出す。 (……お?今年はなんかカワイイっ) いかにも自分で結びました、というような可愛らしいピンクリボンのラッピングを見て、司馬昭の双眼が微かに開く。 そして、箱を開いて中身を確認したその瞬間。 目に飛び込んで来た光景の意外さと予想外の驚きに、司馬昭の瞳がより一層大きく見開かれていく。 「これ、手作り…、だよな…!?」 興奮気味に掠れた声で呟く司馬昭の視線の先にあったのは、見た目にも何とも可愛らしいラブリーカップチョコレート達だった。 丸やハート、星を象ったチョコレートの表面は色とりどりのドライフルーツやナッツでカラフルに彩られていて、名無しの手書きなのか、中には白やピンクのペンのような物で小さな花柄やクローバー柄が描かれている物もある。 いかにも女の子らしくて可愛らしい。 そういう雰囲気を好みそうな司馬昭に合わせて作った、女子力全開の作品だった。 「マジで!?えっ…、なんで!?本当に!?」 司馬昭が、感極まったような様子で名無しに尋ねた。 見るからに全身から喜びの感情を発散させているような司馬昭の姿が見られた事が嬉しくて、名無しもまたそんな彼につられるようにして『ふふっ』と笑う。 [TOP] ×
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