異次元 【バレンタイン・ショック(晋)】 〜バレンタイン・鍾会ver.〜 (鍾会、どこにいるんだろう?) 全体朝礼を済ませ、武将達が自室や会議室、訓練場などそれぞれの予定に従って散り散りになった後。 先刻チラリとだけ目にした鍾会の後ろ姿の記憶を頼りに、名無しは魏城の長い廊下を歩いていた。 (確かこっちの方に向かって行ったような気がするんだけど…) 着痩せする体型のせいか、鎧を着ていると実際の筋肉量よりも細く見えるスラリとした体躯。 動きに合わせてヒラヒラと優雅になびく右肩掛けのマント。触れたらたまらなく気持ち良さそうな癖っ毛と動物の尻尾のような一房の後ろ髪がトレードマークの鍾会。 常日頃から私は選ばれた人間≠ニ唱えてやまない彼の主張を裏付けるように、エリート然としたオーラを身に纏った彼は城内でも割と目立つ存在であり、その気配を追うのは比較的楽な方なのだが…。 「おい、名無し」 背後から突然聞こえてきた声に、別に悪さをしているという訳でもないのに、名無しは半ば本能的にビクッと身をすくめる。 「何をビクビクしている。私だ」 「…!鍾会っ!」 振り返る名無しの視線の先には、鍾会が立っていた。 「どうしたのだ。さっきからあちこち行ったり来たりと不穏な動きをして」 鍾会を探して周囲をキョロキョロしていた名無しとは対照的に、彼の方はそんな名無しの姿を完全に捉えてどこかから観察していたらしい。 「ふん…、当ててやろう。どうせあれだ。名無しも他の女性と同じように、この鍾士季に捧げ物をするつもりで私を捜していたのだろう」 「えっ」 「下手な強がりなど必要ない。今日はバレンタインデーだからな!あなたもこの国一番のモテ男である私にチョコを渡したくて渡したくてたまらないと見えるが?」 若干胸を反らせた姿勢で腕組みをしつつ、当然と言わんばかりの強気な眼差しと口調で名無しに詰め寄るのはいつも通りのキング・オブ・ナルシスト・鍾会だ。 通常、こういったタイプの男性は『鼻持ちならない奴』として女性陣からも総スカンを食らうのが定番であるが、鍾会の場合は彼自身が恵まれた容姿の持ち主であるイケメンであるという事と、若きエリートとしての城内における彼の地位、そして妙に母性本能をくすぐる所がある種の強力な魅力となって多くの女性ファンを獲得していた。 多くの美形武将が集結する魏国で一位を手にするのは困難な事に感じるが、それでも女性人気の高さという点で言えばモテ男と名乗る鍾会の発言はあながち嘘ではないだろう。 「あなたも…って事は、鍾会は今の時点でもう沢山の人からバレンタインのチョコを貰っているの?」 パチパチッと目を瞬かせながら男を仰ぐ名無しに、満足げな笑みを浮かべながら鍾会が答える。 「ふふ……まあな。朝から数えて軽く80個は超えた所だ。しかし、これだけ行く先々で手渡されるとさすがに持って歩くのが面倒だから、私へのチョコは今年から全て爺やを通して貰う事にした」 「80個!それは凄いね!!…って、鍾会の爺やさん?」 「そうだ。こういうの、貰った以上はお返しとやらを用意しなくてはならないだろう?貰った個数と所属、名前を全て集計するのはそれなりの手間がかかるのだ。私も世の冴えないモサ男達のようにチョコを貰う機会すらなければ爺やに頼む必要もなかったが、昼夜問わず女共からの貢ぎ物攻めに遭うのは将来を有望視された若きエリートたる私が背負う宿命のようなものだ。仕方あるまい」 フウッ…、と、わざとらしい溜息と共に漏れる鍾会の台詞は、世の多くの一般男性が聞いたらこめかみに青筋が立ちそうなくらいに自信過剰なものばかり。 しかし、名無しにとってはこんな鍾会の言動は慣れっこなのか、男の言葉に素直に頷いている。 「そっか…、そうなんだ。じゃあ、私も鍾会に直接じゃなくて爺やさんにお渡しした方がいいのかな」 「は?何が?」 「その、私のチョコ。鍾会に渡す分」 ニッコリと笑いながら暖かい眼差しで見つめられた鍾会の体が、一瞬固まる。 鍾会は数秒の硬直時間を経た後、過去の記憶をたぐり寄せるようにしてゆっくりと視線を彷徨わせ、おもむろに唇を開く。 「……あ、ああ……。私へのチョコか。そう言えば、あなたからも毎年貰っていたな……」 普段弁舌巧みな彼にしては珍しく思えるほど、歯切れの悪い鍾会の口調。 一生懸命頑張って作った手作りチョコを鍾会に渡したい!と意気込む名無しとは異なり、どうやら鍾会にとってはあまり名無しからのバレンタインチョコには良い思い出がないらしい。 「毎年司馬昭殿や司馬師殿にも同じ物を配っているのだろう。バレていないと思っているのかもしれないが、ご苦労な事だ」 先程までの取り澄ましたイケメン顔から一転、ムスッとした顔付きで鍾会が言う。 「そうだけど…、鍾会、知っていたの?」 バレるも何も、別に深い考えがあってそうしていた訳じゃないんだけど……。 単純に皆に対する日頃の好意と感謝の証だし、それが鍾会や他の男性達に知られた所で名無し自身としては何も後ろめたく思う所はないのだが、見るからに不満そうな男の態度が気にかかり、優しい声で名無しが問う。 「当たり前だろう。こういうの、男同士でも結構話をしたりするのだからな。……あなた達女の知らない所で!」 どことなく苛立ちを含んだ声でそう告げて、鍾会が恨めしそうな目付きで名無しを睨む。 バレンタインの到来に過去の忌まわしい記憶が再燃したかの如く吐き捨てる鍾会の様子から察するに、よほどその『毎年みんなと一緒』が鍾会の気に障っていたようだ。 「あなたのその律儀さには感心する。それに、名無しの立場も分かっているつもりだが、私にだって男の意地がある」 口では分かっているつもりと言いながら、言葉とは裏腹に、鍾会は内心さっぱり理解出来ないと言いたげな眼差しを名無しに注ぐ。 「実際、チョコなんて名無し以外の女からだって山ほど貰っているのだからな!ただのお義理程度なら、無理に用意して貰わなくたって────……」 名無しの事など、どうだっていいのだからな!! そんな思いを言葉の外に滲ませながら、拗ねたようにしてプイッと顔を背ける鍾会を、『えっ?』 という顔で名無しが見上げる。 「義理じゃないよ」 「そう。名無しのはただの義理だ。大体名無し、あなたという女性は……、はっ?」 興奮気味の口調でまくし立てた後、ワンテンポ遅れで名無しの言葉が脳内に届き、鍾会の声が途切れる。 「今までも義理じゃなかったよ」 「……義理、じゃ、ない……?」 はっ? 何が? 義理じゃない?えっ? だって明らかに他の奴らと同じ内容のチョコレートだった気が……。 えっ……。 …………ええっ!? 鍾会の脳内で、ひたすら自問自答が繰り返される。 名無しの放った台詞があまりにも突然すぎて、しかも全く予想していなかったものだから、咄嗟に理解出来ずに鍾会は呆然と立ち尽くす。 「今年は特にそうなんだけど…、でも手荷物になるなら私も爺やさんにお渡ししておくから。また後で鍾会の気が向いた時にでも見てくれたら嬉しいな」 思考停止状態に陥る寸前の鍾会をよそに、名無しは背中に隠していた小さな紙袋を取り出すと、微笑みながら『これだよ』とでも言うように鍾会の目の前で僅かに揺らして見せた。 そして鍾会に背中を向け、あっさりとその場から立ち去ろうとする。 「ちょっ…、ちょっと待て!名無し!」 そんな名無しの姿を目の当たりにして、弾かれたように鍾会が叫ぶ。 「直接私が検品する!今すぐ寄越せっ!!」 「け、検品!?」 そう言うが早いか、鍾会は素早い動作で名無しの手から紙袋を奪い取っていく。 そんな男の行動を、呆気に取られた顔付きで名無しが見つめる。 [TOP] ×
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