異次元 | ナノ


異次元 
【略奪遊戯】
 




「ねえ、言ってよ。誰かに何か嫌な事でもされちゃったの?もしそうだとしたら、俺がそいつに仕返ししてあげる!」
「…半兵衛殿…」
「名無しさんを泣かせるなんて、俺絶対にそいつの事を許さないから」

甘くて柔らかい半兵衛の声で名無しさん、と名前を呼ばれる度に、より一層涙で視界が霞んでいくのを感じた。

名無しの顔を向かせた後、右手でくしゃりと名無しの髪を撫で、左手を彼女の手の上に重ねてじっと見つめてくれる半兵衛の真摯な眼差しに、名無しは何もかもほだされてしまいそうになる。


この人はきっと信用出来る人だ。


半兵衛殿は、他の男の人達とは違う。私に対して絶対にあんな事≠ヘしない。あんな目≠ナ私を見る事はない。


半兵衛殿なら信じても大丈夫。



─────半兵衛殿なら。



「半兵衛、殿……」
「ん?なあに?」
「その…、やっぱりこういう軍の世界に私のような女がいるのは…お邪魔、ですか…?」
「……!?」

勇気を振り絞り、恐る恐る尋ねた名無しを、半兵衛が怪訝な目付きで見下ろす。

「城の中にって事?それとも戦場にって事?ええー…別に俺はそんな風に思った事ないよ」
「そう…、ですか…?」
「だって武将の奥さんや娘さんだって戦場に出て戦っているようなのも何人かいるんだよ?まあ、仕事内容によってはどうしても男に負けちゃう部分も『絶対ない!』とは言わないけど、それなりの働きをしてくれているなら俺は普通にアリだと思うけどな〜」

う〜ん、と顔に渋面を作りながら、半兵衛が言葉を慎重に選ぶようにして答える。

自分の問いを否定してくれた半兵衛に、名無しがホッとしたような顔をした。

「何でそんな質問を?」

髪を撫でていた男の手が今度は後頭部に伸びてきて、よしよし≠するようにゆっくりと上下に撫で付け始めた事に、名無しは男が自分の事を慰めてくれようとしているのを感じた。

それがとても嬉しくて、余計に涙が溢れ出る。

「私…、この城の男の人達に、あまり仲間として見て貰えていないような気がするから…」

鉛を吐き出すみたいに重みを伴って口から零れ落ちた言葉に、自分自身で悲しくなる。

実際に言葉にして外に出してみると、その現実は思いの外辛辣で残酷な響きとなって名無しの胸を突き刺した。

認めるのが嫌で、怖くて、今までずっと自分の中に封印してきた言葉だったのに。

半兵衛にこうして手を握られていると、こんなにも簡単に心情を吐露する事が出来たのが不思議だ。

「嘘」

心底驚いたように、半兵衛が目をぱちくりさせる。

「なんで?名無しさん、そんな事ないじゃん。確かにこの城には女性の扱いが下手そうな男共もちょくちょくいるけど、仲間として十分大事にされてるでしょ?」

男の唇が動いて言葉を作り出していく様が瞳に映っても、名無しは悲しげな顔で首を左右に振ることしか出来ない。

自分が相手に対して思う気持ちと、相手が自分に対して向ける気持ちが必ずしも一致する訳ではない事を知っているから。

「仲間として…かどうかは…分かりません…」
「仲間じゃないなら、なんなの?」
「……!そ、それは……っ」

半兵衛の問いに引きつった声を出す名無しを、半兵衛がますます怪訝そうな顔で見つめる。


「仲間としてではなく、女として…とか…、男の人の…目線、とか……」


「え……」


真っ赤になりながら震える声で告げる名無しの返答に、半兵衛は驚いたように双眸を見開いた。


ザワザワッ。


その瞬間、正体不明の何かが己の背筋を這い上がっていくような言葉にし難い感覚が半兵衛に宿った。

彼の体内に埋め込まれていた謎のスイッチが『ON』になり、名無しの前では隠されていた残酷な欲望が瞬く間に彼の全身に広がっていく。


「名無しさん……他の男連中に口説かれてるの?」


ゴクリ、と喉を鳴らしながら半兵衛が尋ねる。

半兵衛の問いにどう答えようか戸惑っていた名無しだが、顔を上げて彼の瞳を間近で見た途端、ゾクリという寒気が彼女の背筋を走り抜け、名無しは言葉を失った。


半兵衛殿の顔が、今……変わった?


「……半兵衛殿。私───…」

名無しを見下ろす男と同様に、名無しもまたコクン、と唾液を飲み込む。

竹中半兵衛という人物は、元々少々吊り目気味の、くりっとした大きな瞳の持ち主だった。

特徴的な眼の印象とつかみ所のない自由奔放な彼の性格がどことなく猫っぽい≠ニ名無しは思っていたのだが、今自分の目の前にいる彼はまさしく猫そのもののような風情を漂わせていた。

「ね…、名無しさん。教えてよ。君、俺の知らない所で実はオトコに迫られているの?」

お互いの鼻と鼻が触れ合いそうな至近距離の中、名無しを見下ろす彼の双眼は行灯の光を反射して、薄い茶色と黄色が入り混じった不思議な色合いに輝いているかのように思えた。

その瞳の奥では、まるで本物の猫目の如く瞳孔がキューッと狭まり、縦線状に変化していくように感じられ、名無しは思わず自分の手で目を擦りたくなる衝動に駆られた。

なんなのこれは。一体どういうことなの。


いつもの半兵衛殿じゃ────ない。


「やばい…、ゾクゾクしてきた。なんだろうね、この気持ち…」


思わぬ半兵衛の言葉に、名無しの体は固まった。

誰に何をされている、という所まで包み隠さず全て半兵衛に伝えようと思っていた訳ではない。

それとなく自分の身に起こっている事を告げて、悩んでいる、仲間として見て貰う為にはどうすればいいのか、と相談した際に多少なりともバカにされたり笑われたりするのではないかという覚悟はあったが、そこに何故ゾクゾクする≠ニいう言葉が出てくるのか名無しには理解出来ない。

震えながら後退りした直後、伸ばされた男の腕で乱暴に手首を掴まれて、名無しは怯えた表情で半兵衛を見た。


[TOP]
×