異次元 | ナノ


異次元 
【略奪遊戯】
 




「……っていうのが、俺の最近お気に入りの集中法なんだよねー」

お猪口を口元に近付けながら、半兵衛が告げる。

「それ…すごくいいですね。私、最近仕事中に沢山の文章を読んでいると段々集中力が切れてきているような気がしていたんです。長時間書類と睨めっこしていると、内容が頭に入りにくくなってしまって」
「俺もそうだよ。元々飽きっぽくて同じ事を延々と続ける作業が苦痛な方だからさ、これじゃ仕事にならないと思って。昼寝もさ、息抜きに10分15分やるだけでもかなり違うよ〜」
「昼間の仮眠って、短時間でも結構効果があるって聞きますもんね」
「うんうん。あとはお香かな?集中力を高める匂いとかあるんだけど、そういうのを焚きながら巻物とか読んでると何もしない時より記憶に残りやすい気がする。座布団も結構工夫するよ。座りが良くないと段々肩が凝ってくるからさ。この間左近さんから座布団の専門店を教えて貰ったんだけど、そこで買ったやつがすごい座り心地が良くて、長い間同じ姿勢でいても疲れないの。おかげで仕事の効率も上がってさ〜」
「なるほど…」

半兵衛が語ってくれる話の内容を、名無しは毎回頷きながら聞いていた。

仕事の事、職場の人間関係の事、今流行の物について、料理が美味しいお勧めのお店、行きつけの呉服屋、最近気に入っている勉強法など、半兵衛が名無しにしてくれる話は多岐に渡り、そのどれもが名無しにとってとても興味深いものばかりであった。

軍師という職業柄、普段から様々な情報を集めているのかもしれないが、一つの物事だけに囚われずあらゆる方面にアンテナを広げている半兵衛の話は何を聞いても面白い。

多分、彼のように話の引き出しが多い人間であれば、男女の性差や身分を問わずどんな人間に対してでも相手の興味のある話題を提供し、上手くその場を盛り上げることが可能だと思える。

「半兵衛殿って、本当に博識な方なんですね」
「いやん!そんなことないよ〜。俺みたいなのは単なる昼寝好きの無精者ですから」
「もうっ。半兵衛殿ったら、またそんな事を…」
「あはは。でもさっき言った集中法は本当にお勧めだよ。名無しさんも気が向いたら試してみない?」
「はい、是非。……あっ。気が回らなくてすみません、半兵衛殿」

話の終わりに、半兵衛のお猪口が空になっているのを見た名無しがお銚子の首の部分を掴み、胴の下に左手を添える。

「ん?ああ、俺別に手酌でいいのに!こちらこそ悪いね、名無しさん」

名無しが自分に酒を注ごうとしている事に気付いた半兵衛は、慣れた手付きでお猪口を持って名無しの方へと差し出す。

トクトクと音を立て、液体が半兵衛のお猪口の中に注がれていく。

「……それで?」
「えっ」
「そろそろ聞かせて貰おうかなーと思って。名無しさんが前に言ってた、相談事」
「!」
「昼食時とかじゃなくわざわざこんな場を設けるくらいだからさ、どんな事なんだろう?ってあれからずっと疑問に思ってて」

楽しそうに笑い、男が名無しに視線を合わす。

「あ、あの……」

すると、どうした事か、名無しは途端に困ったような顔をして、衣服の裾をキュッと握り締めている。

「そんなに話しにくい事?や、もーなんでもいいよー。俺、今日はとことん名無しさんの話に付き合うって決めてここに来てるから」
「半兵衛殿……」
「さすがに女の子特有の話題とかだと俺もちょっと困っちゃうかもだけど。それでも俺なりに頑張って答えるよー。竹中半兵衛、名無しさんの友達として精一杯お相手努めます!」


─────友人=B


優しそうな笑みと共に半兵衛の口から漏らされた単語を聞いて、名無しがビクリと体を弾ませる。

「……えっと」
「んー?」
「その…、私……」
「ふふ。いいよー、そんなに慌てなくて。どうしちゃったの?あ。ひょっとして緊張しちゃってる?」

実は、すんごい他人に言いにくい話だとか!?

そう言って爽やかに笑う男の顔を見ている内に、名無しは鼻の奥がツーンとして、自分の中から複雑な感情が湧き上がってくるのを感じた。

弱っている時に他人に優しくされてしまうと心にガツンと響くというのは、きっとこんな状態の事を言うのだろう。

今までずっと我慢してきた物が次から次へと溢れ出してくるかのように、名無しの体内で色々なモノが暴れ出す。


「……はんべえ、どの……」
「!!」


ポロリ。


涙が、頬を伝って零れた。

その事に気付いた名無しは堪えようとして必死で奥歯を噛み締めたが、涙は睫毛を濡らし、両方の瞳からジンワリと溢れてくる。

「名無しさん?」

涙でぼんやりと曇った視界の中、目の前で座っている男がお猪口を机の上に置き、驚いた様子で名無しの名前を呼んだ。

はい、と答えようと思ったのに。

僅かに動く唇から零れ落ちる吐息は言葉にならず、ただ全身がブルブルと震えるばかり。


「────名無しさん」


ガタッ。


男が両手を机に置いて、立ち上がったような気配がした。

半兵衛は自分が座っていた座布団を持って机の周囲をグルリと周り、名無しの隣まで移動してくると、彼女のすぐ横に座布団を敷き直してその上で座り込む。

「あ…。ご、ごめんなさい、半兵衛殿…。どうして…こんな…、私……」

突然泣き出してしまった己を恥じて、名無しは半兵衛から目を背けようとした。

すると半兵衛の手が名無しの顔に伸びてきて、両手で名無しの頬をそっと挟むと自分の方へと彼女の顔を向けさせる。

「どうしたの?名無しさん」
「……っ」
「俺、名無しさんが泣いてるの初めて見たよ。相談って…、何があったの。友達の俺にも言えないような事?」

優しい声だ。

泣いている時にこんな風にして、こんな顔で、こんな声で優しく言われてしまったら、思わず全てをさらけ出してしまいたくなるくらいに魅惑的な彼の問い。


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