異次元 | ナノ


異次元 
【略奪遊戯】
 




名無しさん。俺、お世辞じゃなく本当に楽しみにしてるよ。もうすぐ君の部屋にお邪魔して、沢山色んなお話≠ェ出来るのを。

もし君と過ごす時間が俺にとって有意義で、実りある物で、より一層君への興味が深まってしまう……なんて事があったとしたら、俺、君を切れない網で捕獲して虫籠の中に押し込めてやりたくなっちゃうかもしれない。


標本箱の中の幻の蝶の如く、君の心身の自由を奪って、マーブル模様の綺麗な硝子瓶の中に押し込めて、毎日眺めて観察したくなっちゃうかもしれない。


あんまりにも可愛がりすぎて、殺しちゃうかもしれないけど。




月日は過ぎ、二ヶ月後。名無しと半兵衛にとっての約束の日。

一日の業務終了後、半兵衛は城下町の老舗和菓子店で購入した手土産を持参して名無しの部屋を訪れた。

名無しさん

「はーい!今行きますっ」

障子の向こう側から聞こえてくる男の声に気付き、名無しは部屋の入り口の方に駆けていく。

「名無しさーん。こんばんはー」

名無しが静かに戸を開けると、そこには手に小包みを抱え、いつも通りのニッコリ笑顔を浮かべた半兵衛が立っていた。

プライベートな時間という事もあり、普段の仕事着とは違いラフな部屋着に着替えている半兵衛の姿は名無しにとって新鮮だった。

夏の暑さを少しでも緩和するような甚兵衛のデザインをベースにした涼しげな衣装だが、布地の色味や施された模様の組み合わせがカッコ可愛い感じで彼の雰囲気によく似合っている。

「名無しさんすっごい可愛いじゃん!それっ!」
「えっ?この部屋着の事ですか?」

名無しを見るなり、パアアッ…と目を輝かせて賛辞の言葉を述べる半兵衛の視線に誘導されるようにして、名無しは自分の服を見る。

この日の名無しは半兵衛と同じく仕事着から着替えていたのだが、暑さ対策として浴衣に似た衣装を身に纏っていた。

風通しの良い薄めの生地を素肌の上からさらりと羽織り、膝上の辺りでカットされた裾からは彼女の白い足が露出している。

「最近あまりにも暑いので、せめて部屋着くらいは足元も涼しくしたいなと思ってこの形に特別注文したんですけど…。おかしくないですか?」
「おかしくないよ。なんか見てるだけでこっちも涼しくなってきてイイカンジ。へえ…、いいなー。俺も名無しさんみたいに特注してもう一着くらい部屋着作ろうかなあ」
「半兵衛殿の服も凄く素敵ですよ。夏っぽくて、爽やかで。半兵衛殿の雰囲気に凄くお似合いです」
「本当?まあ、俺は何でも上手に着こなしちゃうけどねー。戦国武将の美少年枠参入者として」
「ふふっ。でも本当に半兵衛殿はお若く見えますよね。私達女性から見たら、そういう方ってとても羨ましいんですよ」
「そうなの?若い子には若い子の、熟女には熟女の良さがあるって俺は思っているんだけどなー。まあいいや。じゃあ…、お邪魔します」
「はい。どうぞ!」

名無しに導かれるようにして、半兵衛は室内に入った。

ピシャリ。

部屋の中央へと向かう名無しの後方で、半兵衛が内側から戸を閉めた音がする。

「はーい、これ。つまらないものだけど、名無しさんに」
「ええっ…!なんだか気を遣って頂いてすみません。開けてみてもいいですか?」

半兵衛から小包を受け取った名無しは、男の了承を得た上で箱を開封した。

箱の中には、花や動物の姿を象った色とりどりの約30個ほどの小さな和菓子が綺麗に並んで入っている。

「わあ…!この桜とひよこの形をしたお菓子、可愛い!うさぎにネズミに桃、柿…梅の花まで!」
「可愛いでしょー?ここの和菓子、女性に大人気だっていうから詰め合わせを買ってきちゃった。夏場だからあんまり日持ちしなさそうなのが残念な所だけど、良かったら名無しさんの女官達とかみんなで食べてよ」

こういう所に細やかに気が回るのが、半兵衛が城内でも指折りのモテ男たる所以。

鼻腔をくすぐるほんのりと甘い和菓子の香りに、名無しが頬を緩ませる。

「本当に有り難うございます。でも…、せっかくだから半兵衛殿も今から一緒に食べましょうよ。ねっ?」
「ふふ、今から酒を飲むのに?」
「あっ。そっか、うふふ!ダメでしょうか?」
「んーん、ちっともダメじゃないよ。たまには和菓子とお酒って組み合わせもそれはそれでオツかもね。名無しさんとお揃いなら、俺、何でもいいもん」

女心に心地良く響く言葉を紡ぎ、名無しに話を合わせるようにして半兵衛が微笑む。

「良かった。私、今からお酒とおつまみを持ってきますね!すぐ用意できますので、半兵衛殿は先に座っていて下さい」

名無しはにこやかな笑みを浮かべると、男に軽く頭を下げてから部屋の奥へと向かっていった。

「はーい。それでは、お言葉に甘えて」

半兵衛は部屋の中央にある机の周囲に並べられていた座布団の上に腰を下ろしてあぐらをかくと、お盆の上に酒やつまみをセットしている名無しの後ろ姿に向かって声をかける。

「名無しさん。今日、時間ある?」
「え?何故ですか?」
「俺、今日は目一杯名無しさんとお話したい気分。名無しさんとこうして二人で一緒にいられるの、随分久しぶりだし」
「もちろん…!私も半兵衛殿と色々なお話をしたいです。今日はとことん語り合いましょう!」

テキパキと準備を進めながら、名無しは男に背を向けたままで答える。

「そっかー。嬉しいよー」

名無しと視線を合わせていない今、半兵衛の口元には、もう微笑みのカケラすら浮かんでいない。

半兵衛の瞳は科学者が実験動物を観察している時のような、どこまでもクールで、それでいて湧き上がる好奇心と知的欲求を滲ませた独特の色合いを帯びている。

「俺も今日は君ともっともっと深く知り合いたいな。……名無しさん」

低く、じっとりと舐るような響きを孕んだ声が、誘惑するように名無しに注ぐ。

しかし、手元の作業に意識を集中させていた名無しの耳には、そんな男の声は届いてはいなかった。


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