異次元 | ナノ


異次元 
【籠の鳥】
 




「寝苦しいのですか?名無し」
「……!ら、蘭丸?まだ起きてたのっ」
「いえ。さっきまで普通に寝ていたのですが、名無しがゴソゴソしてるので、ふと目が覚めまして」


さっきまで普通に寝ていた、なんて。


嘘八百もいいところ。


顔色一つ変えずにこういう事をさらりと言えるのが私の長所の一つでもあり、短所でもあるのだろう。

私の言葉を聞いた名無しは自分のせいで私が目覚めてしまった事を悟り、消え入りそうに小さな声で『ごめんなさい』と謝罪の言葉を述べる。

自らの行為で隣人の眠りを妨げてしまった事に、恥ずかしさを感じているようだ。


もっとも、名無しがそのように感じるような言葉をわざと選んで言ったのは私ですけどね。


「起こしちゃってごめんね。最近…全然眠れなくて…」


申し訳なさそうに呟いて、唇を静かに引き結んだ名無しが再度襖の方に視線を向ける。

外の様子が気になって仕方がないようだ。

彼女の視線を追うように私もそちらの方向に目を向けると、先程から思っていた疑問を名無しにぶつけてみる。

「そんなにも例の犯人が気になるんですか?」

また来るのかもしれないと。

また自分の知らない間に現れて、あんなものをこっそり置いていくのかもしれないと。

図星を突かれてしまったのか、名無しがギクリとした顔をする。

そんな分かりやすすぎる名無しの反応を目に留めて、私は内心ニヤリとほくそ笑む。

全てが自分の思い通りに行き過ぎていることにたまらない満足感を味わいながら、私はバサリと音を立てて掛け布団を片手で上げた。



「───名無し。こちらへどうぞ」
「……っ!?」



唐突に名を呼ばれ、名無しが弾かれたように私の方を振り返る。

予想外の事を言われて何が何だか分からない、といった面持ちで私を凝視する彼女の視線をさらりと受け流し、誘い文句を口にする。

「離れた位置で寝ていられるよりも、近い位置にいて下さった方が私も名無しの事が守りやすくなります」
「で、でも、蘭丸…。それは確かに…理屈上はそうかもしれないけど…」
「それに相手が男の犯人だというのなら、女性の場合は目眩まし効果も含めて『別の相手がいる』と思わせた方が何かと都合がいいですよ」
「え…。それってどういう事?」

こちら側に顔だけ向けている名無しに尋ねられた私は、この時の為に予め用意していた返答を述べる。

「ほら、よく聞くじゃないですか。一人暮らしの女性が男性の下着をわざと外に干しておくとか。知り合いの男性に恋人の振りをして欲しいと頼み込み、家まで送り届けて貰うとか」
「……あっ」
「今まで散々貴女の周囲をウロウロしていた相手なのですから、貴女が一人で寝ている事もよく分かっていると思います。それなので、昼間の警護に付け加え、就寝の時も貴女の傍には男の武将が付いていると目に見える形で主張してやる事は、決して損な事ではないと思いますが」

二人で床を一つにして眠りにつく事の有意義さを、名無しに向かって流暢な口調で説明する。

こういうのは少しでも語尾が乱れてはならないし、しどろもどろな話し方をしてしまったら、例え名無しでなくとも女達はたちどころに不信感を持つ。

あくまでも自分の発言に他意はなく、心の底から相手の事を心配して言っているのだという姿勢を決して崩さないのが大事な点だ。

「でも……蘭丸……」

口にしようと試みた言葉を、名無しが半ばで飲み込む。

私の言っている事は理屈として理解が可能だが、それよりも本能的な部分で私と同じ布団に入る事を躊躇っているのだろう。

それはそれでいいんです、名無し。むしろ私はそちらの方がよっぽど好ましく感じます。

いくら相手がこの私とはいえ、私の誘いに二つ返事でホイホイと乗ってくるような尻軽女は最初からお断わり願いたいと思うので。

これが普通の女官なら皆嬉々として私の布団に潜り込み、あわよくば…といったよこしまな期待感に胸を膨らませている事かと思います。


しかし名無しはどうでしょう。


この調子だと、あと一押し。もしくは二押しはしてやる必要がありそうですね。


「今頃何をしているんでしょうね、その犯人。こうも貴女の行動パターンを知り尽くしているばかりか貴女の部屋に何度も侵入しているなんて。部外者の私でも、話を聞いただけでちょっと不気味な印象を受けますよ。一体どんな奴なんでしょうね?」


戸惑う名無しを安心させるが如く、彼女の頭にそっと手を伸ばす。

私の指先が彼女の髪に触れる前に、私の台詞を耳にしただけで名無しがビクリと体を震わせた。



「今この瞬間も、どこからこの部屋の様子を伺っているのか───知りませんけどね」
「!!」



ガタン。



私の言葉が終わると同時に、廊下の向こうで何やら怪しい物音がした。

驚いてそちらの方向を注視する名無しの後を追い掛けるように、私も視線を巡らせる。

ガタガタッ、と何度か襖が揺れる音が響いたが、別段誰かが外にいるという訳でもなく、また誰かがこの部屋に入ってくるというような気配もない。


どうやらただの風の音のようだ。


しかし、この状況で風の音とはさすがの私も驚きです。


あまりにも偶然過ぎて、タイミングが良すぎて───笑える。


「どうやらただの風の音のようですね。ふふっ…私もびっくりしました。本当は犯人がすぐ傍にいて、貴女の寝込みを襲いにきたのかと思いましたよ」
「そ、そんな……」


僅かにかすれた名無しの声の響きに、明らかな狼狽の色が見て取れる。

私の台詞と不審な物音の両方に、二重に不安感を煽られてしまったのだろう。

これ以上の恐怖に耐えきれなくなったのか、次の瞬間には名無しが私に向かっておずおずと手を伸ばす。

名無しはすがるような仕草で私の袖をキュッと掴むと、遠慮がちな声で私に救いを求めた。


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