異次元 | ナノ


異次元 
【略奪遊戯】
 




「美味しい?」
「あ…、その…っ、はい!とっても美味しいです!」
「そう?良かったあ。仕事で疲れた後の甘い物って格別だよねえ〜」

あたふたした口調で告げる名無しに微笑みながら返すと、半兵衛はスプーンの上に白玉をすくい取ってそのままぱくりと食べる。


これって、いわゆる間接キスというものではないのだろうか。


半兵衛の赤い舌がペロリとスプーンを舐め取る光景を目撃して名無しはより一層体温が上昇するのを感じたが、半兵衛と言えばそんな事など全く気にするような素振りも見せず、旨そうに白玉ぜんざいを食べ進めていくだけ。


こういう事がごく自然に出来てしまう男。それが彼。


(ひょっとして、半兵衛殿って天然の女タラシ≠ニいう存在なのでは……?)


自分だけが勝手に一人で男の行為を意識してしまってドキドキし、反対に男の方は何も気に留めずバクバクと食事をしている状況に、名無しは思わずそのような事を考えた。

名無し自身が気付いていないだけで実際は半兵衛のそれ≠ヘ全て計算済みの事であり、この男に限って天然要素など有り得ない事なのだが。

「どうしたの?名無しさん。さっきから何だかボケーッとしちゃって」
「えっ?その…。ごめんなさい、ちょっと考え事をしていたものだから…」
「ええーっ。俺といる時に余計な考え事?やだなあ、焼いちゃうよ!なになにっ!?」

ムッとしたような顔をして、半兵衛が名無しに問いかける。

その反応がなんだか彼の年齢に合わずとても子供っぽくて可愛いものに思えて、名無しは思わず笑みを零しながら名無しに告げた。

「半兵衛殿みたいな男の人が女の人にドキドキする時って、一体どんな時なんだろうな〜って思いまして」

女官達の羨望の眼差しを一身に集め、こんな風にして無邪気に女心を翻弄する彼のような男性が心を乱すとしたら、それは一体どんな相手で、どんなシチュエーションなのだろう。

そう思い、ふと浮かび上がった素朴な疑問を名無しは半兵衛にぶつけてみた。

「ドキドキねえ。う〜ん…どうだろう。俺はどっちかっていうと相手をドキドキさせるのが得意な方なんだよね。で、逆に自分が相手にドキドキさせられる事はあんまりない方だから、答えるのが難しいなあ…」

眉間にキュッと皺を寄せ、困ったように半兵衛が答える。

(うーん。さすがは半兵衛殿)

自信たっぷりにそう言い切る男の態度がいかにも半兵衛らしいと感じ、名無しはなんだかちょっぴりおかしかった。

さもありなん、と納得している名無しを見つめ、半兵衛がおもむろに口を開く。

「じゃあ、試しに名無しさんが俺をドキドキさせてみてよ。上手く出来たらご褒美をあ・げ・る!」
「えっ!?な、なんで急に!」
「いーじゃん。ただの軽いゲームだと思って。ほら、やってみて」
「わ、私、そんな…男の人をドキドキさせる方法なんて…」

半兵衛という男は、どうしていつも突拍子もない事を言い出す人間なのだろう。

唐突に振られた男の要求に心底戸惑い、名無しは混乱した。

「やだ…。困ったな。どうしよう…?」

言葉通り困ったようにそっと瞳を伏せ、火照った頬を隠すようにして自らの頬に両手を添え、はぁっ…、と熱い吐息混じりに漏らす名無し。

困惑と恥じらいが絶妙に入り混じったようなその表情を認めた半兵衛の瞳が、音もなくスッと細められる。

「いいねー。今の、ちょっとだけドキドキしたかな?30点」
「うっ。ひ…、低い…!」
「うん。普通の男なら今の名無しさんを見たらきっと可愛いなあって思って、やばいくらいにドキドキしたと思うけど。残念ながら俺にはまだまだだなー。もう一声!」

そんな事を言われても、と。

羞恥心で瞳を潤ませ、恨めしそうな口調で反論する名無しの視線を正面から軽々と受け止めて、半兵衛は意味深に口端を吊り上げる。

「ドキドキさせるっていうのはさ、こうやってやるんですよ」

ずいっ、と上体を前に出し、名無しとの距離を一気に縮めながら半兵衛が告げる。


「……ね、名無しさん。俺、もっと名無しさんと仲良くなりたいんだけど。場所を変えて話をしようよ……」


周囲の人々のざわめきが聞こえる、食堂の中。


急に何を言い出すかと思えば、ほとんど鼻先がくっつきそうなほどの至近距離に、半兵衛の端整な顔がある。

「場所、ですか…?」

ドクンッ。

(ち、近い……っ!!)

先程半兵衛が放った『ゲーム』という言葉がまだ脳裏に残っているためか、ああこれも彼一流のお遊びにすぎないのだなと結論付けた名無しは咄嗟に悲鳴を上げるような真似は免れたものの、一気に跳ね上がった心臓の鼓動を嫌でも感じてしまう。

だが、半兵衛にしてみれば、他の人間に聞かれずに名無しと内緒話をする為には思い切り彼女に顔を近付けねばならない。

彼にとってただそれだけのこと……、なのだろうか?

「そう。暗くて、誰の邪魔も入らなくて、静かで、二人っきりになれる所」
「え……」
「もっと近付いても平気な所。肌が触れるくらいに近くて、至近距離で見つめ合えるところ。朝までずっと二人でいられる所」

スッ。

「!!」

気が付いた時には、なんと半兵衛の手が名無しの方に伸びていた。

ビクンッ、と肩を震わせて手を引っ込めようとする彼女の行為を遮るようにして半兵衛は名無しの手を掴み、彼女の指の間に自分の指を差し込んでしっかりと絡め取っていく。


「ね……、いいだろ?」


言葉に出来ないくらいに凄まじい色気を帯びた男の瞳が、名無しを見る。

キュッ、と絡められた男の指からは彼の体温が伝わり、名無しは一気に自分の体が茹で上がるような熱を感じた。

それまで可愛くて中性的なイメージの強かった半兵衛が見せた、強引で強気な眼差し。

この時の半兵衛の顔立ちと雰囲気が今までにないくらいに男性的で、凛々しくて、それでいて溢れるような男の色気に満ちていたものだから、名無しはかつてないくらいの混乱状態に陥った。


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