異次元 | ナノ


異次元 
【父親譲り】
 




「先に名無しに声をかけたのは俺なんだから、後から出てきてルール違反しないで下さいよ、兄上!」
「こんな事にルール違反もクソもあるか。お前こそ先に声をかけたくらいで偉そうに権利を主張するな、昭」
「何言ってるんですか。早い者勝ち≠チて言葉があるように買い物でもナンパでも何でも先に手を出した方が勝ちってのは世間でも正当に認められている権利なんですよ。兄上、ご存じないんですか!?」
「何かあった時は年上の者を敬う、年下の者は遠慮するっていうのも世の中の礼儀作法の一種なんだがな。兄の命令に弟は無条件で従う。お前こそ知らないのか?」
「はぁ…?意味が分からねぇし!年上っつったって、俺よりちょっと兄上の方が先に生まれたってだけなのに兄上こそ偉そうに。大体、こういう時だけ兄貴風吹かせないで下さいよ。都合良く!」
「ほう…、そう来たか。私にそう言うならそっちも調子のいい時だけ弟である事を利用するな。兄弟間で揉めた時には、年上なんだから上の者が下の者に権利を譲ること。それが長男長女の勤め≠ニかなんとか言って、今まで父上が土産に買って来て下さった肉まんを私から散々奪い取ってムシャムシャ食っていたくせに」
「うわ…、どんだけ昔の事を覚えているんですか兄上…。そんなの子供の時の話なのに〜」
「現在進行形だろ。とぼけるな。この間も私に隠れて勝手に食べたな。次やったらケツバット100回の刑だから覚悟しておけ」
「げっ…、なんなんですかその冷たい目付きっ。兄上が言うと冗談でも冗談に聞こえないんですよ。怖ぇ〜!!」

(………。)

午前中の仕事を終え、食堂から出前を頼んだ肉まんセットを自分の机で食べながら名無しが一息ついていた初夏の昼下がり。

昼食中の名無しの前で、昼休み開始と共に突然彼女の部屋を訪ねて来た司馬師と司馬昭が延々と不毛な口喧嘩らしきものを続けていた。

「いいか昭。お前が何を言おうと名無しは後で私の部屋に連れて行く。分かったら下がれ」

軽く眉間に皺を寄せ、兄の司馬師が美しい顔を鬱陶しそうに歪ませて司馬昭に告げると、

「!!……ちょっと待ったっ。兄上、何なんですかその言い方は?」

……と、弟の司馬昭も兄と同じようにしてキュッと眉根を寄せ、男前の顔で即座に聞き返す。

「その言い方とはなんだ」
「それですよ。さっきから聞いていればまるで名無しは兄上のモノだと言わんばかりの口調じゃないですか。本人の同意もなく、それっておかしくないですか?」
「お前だってそうだろうが。名無しに返事を聞く前からまるで名無しの所有権は自分にある、この女は自分のモノだと言わんばかりの態度じゃないのか」
「それは…だって…そうですもん。てか、実際に俺のモノですし。だから俺、別に間違ったこと言ってないですよ?兄上がおかしいんです。さっきから」
「は?誰がお前のだ。寝言は寝て言え」
「残念ながら起きてますし。ていうか、事・実・で・す・しっ。兄上がなんと言おうと名無しは俺のですっ。俺の!!」

昼休み前まで静かだった室内で、真夏の暑い太陽光をものともしないギラギラとした熱量と、全ての物を凍らせるような真冬の北極海の如きビリビリとした冷気が複雑に絡み合い、部屋の主である名無しの心を大いにハラハラさせる。

名無し様が心底羨ましい
あの司馬懿様のご子息という若きエリートで、その上司馬懿様に良く似た類い希な美形兄弟として有名な司馬師様や司馬昭様二人に挟まれて所有権の奪い合いをされるだなんて
なんて幸せな事でしょう。これぞ女の夢だわっ。ああっ…、考えるだけで体が火照って卒倒してしまいそう!!

女官達が名無しに対して羨望と嫉妬の入り混じった眼差しで口々に告げる内容をぼんやりと思い出しながら、名無しはまるでこの空間に私はいません。私は何も聞いていません。空気です≠ニでも言うように無言で肉まんを頬張っていた。

名門・司馬一族の出身であり、父親である司馬懿譲りの才能と女心を惑わせる端整な顔立ち、引き締まった若い肉体を持つ司馬師と司馬昭は城の女達の憧れの的だった。

そんな彼らに『自分の物だ』と二人揃って主張され、互いに意見を衝突されているのであれば、普通の女性からすればまさに女官の言葉通り『これぞ女の夢』『考えるだけで卒倒しそう』な事なのであろう。

だが、当の名無しと言えば、ほとほと困り果てたようにして眉間を寄せ、そんな二人の姿を見つめている。

(端から見れば確かに子元と子上が私を奪い合っているように見えるのかもしれないけど、多分この二人の場合は女官達が考えているのとは全然違う意味だと思うんだよね…)

司馬師達に気付かれないようにして、名無しは小さな溜息を漏らす。

例えば、の話だが。

これが司馬師と司馬昭の両者から名無しが一人の女性として熱烈に口説かれているのだとしたら、女官達の言う事もまだ分からなくはない。

けれども、名無しがこの二人の話の内容をよく聞いてみると、どうやらそういう色っぽい話題を展開しているようではないように思える。

「だーかーらー、俺、今日の晩飯は名無しに作って貰いたいんですってば!さっき食堂に行って夜のメニュー見て来ましたけど『本日はピーマン祭り』とかマジ有り得ないですよ。俺がピーマン全然食えない事知っての嫌がらせなんですかね、あれ。大量の食事を用意するのに一生懸命な食堂のおばちゃんに俺の分だけ別メニューお願いってワガママ言うのもなんか悪い気がしますし、その点名無しなら頼みやすいじゃないですか。今までにも何度か作って貰ってるし」
「お前の食事より私の部屋の片付けの方が先だ。仕事用に集めた本が大量に集まりすぎて本棚に入らない状態だし、この間の休みに服を買いすぎたせいで衣装棚も許容量を超えた。いい加減整理しないといけないと思っていたが、私一人でやるのは面倒なのでこの女をコキ使う」
「部屋の片付けだけなら、女官に命じてやらせればいいじゃないですか」
「余計な人間を自分の部屋に入れたくない。司馬師様のお部屋ってこんな風になっているの!≠ネどと調子に乗った女共に吹聴されるのも嫌だしな。その点、この女なら私が不愉快に思うような事はしないだろう。そこだけが唯一の美点だ。昭こそ晩飯くらいで名無しを使うな。女官を使え」
「ええ〜…!?だって…晩飯の用意を頼んだくらいで司馬昭様のお部屋に呼ばれちゃった!晩ご飯も私がお作りしたのよ!ウフッ!≠ニかって調子に乗った女達に色々言われたら面倒臭いじゃないですか〜。その点、名無しならそういうのは絶対ないし。黙ってご飯だけ作ってくれますし!」

部屋の主そっちのけで勝手に話を進める男達の会話を聞いている名無しのこめかみの辺りで、ピキピキッと、何かが弾けそうな音がする。


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