異次元 | ナノ


異次元 
【頂点捕食者】
 




ドンッ。

「!!」
「きゃっ!」

ガシッ。

持ち前の反射神経で咄嗟に相手の体に手を伸ばし、危うく転びそうになった人物を支えながらよく見てみると、なんとそれは今朝夢の中で濃厚な情事を展開したばかりの人物ではないか。

清正の意中の相手・名無しだった。

「名無し…!?すまん、丁度考え事をしていたせいで前をよく見ていなかった。大丈夫か?」

清正はスマートな謝罪の言葉を述べて名無しの体を抱き起こすと、心配そうな表情を浮かべて彼女の顔を覗き込む。

夢の中の事だとはいえ、あんな夢を見てしまった後でその相手と鉢合わせるのは何とも言えない気まずさと気恥ずかしさ、同時に照れ臭さがある。

いかんいかん、平常心。取り乱すな俺。

俺があんな夢を見ていた事なんて名無しが知るはずがないんだし、ここで妙な反応を見せて余計に名無しとの関係がぎくしゃくしてしまったら悲しすぎる!

心頭滅却火もまた涼し、心頭滅却火もまた涼し…と清正が内心ブツブツと呪文を唱え、いつも通りのキリッとした精悍なイケメン顔をキープしようと頑張っていると、ここにきてようやく名無しの様子がおかしい事に気が付いた。

これがいつもの名無しなら、清正が言葉をかける前に名無しの方から真っ先に謝罪の言葉を述べてくるはずである。

『ああっ…!ごめんなさい清正!私ったらボーッとしていたみたい。怪我はしていない?大丈夫!?』

心底心配そうな顔で謝りながら清正を見上げる名無しに、清正はいつも『女とぶつかったくらいで怪我をするほど柔じゃない』『お前こそ大丈夫か?』を笑いながら労いの言葉をかけていたものだ。

なのに、今日の名無しは清正とぶつかっても何も言わないどころか、清正が声をかけてもなお無反応である。

咄嗟に抱きかかえたつもりだが、もしかして変な所をぶつけてしまったのだろうか。大丈夫だろうか?

「……名無し?」

不安になった清正は名無しの顔にそっと手を伸ばす。

すると、突然名無しの顔がボボッと音がしたかと思う程に目に見えて真っ赤になった。


「き、き、き……清、正……っ!」


(……えっ?)


カァァァッ…と頬を真っ赤に染めて、不自然なくらいにカミカミな口調で男の名を呼ぶ名無しの姿は、清正が今まで一度も目にした事がないものだった。

いや、清正でなくても城内の誰も見た事がなかったようなものだろう。それくらい、この時の名無しは酷く狼狽えていた。

「なんだお前、変な声を出して。顔も異常に赤いぞ。……熱でもあるのか?」

いつもとは明らかに違う名無しの反応に本気で心配になり、清正がコツン、と自分のおでこを名無しのおでこに当てて彼女の体温を読み取ろうとすると、名無しの肩がビクンッと跳ねる。

「いやっ……!」
「おっと!」

強い力でドンッと彼女に突き飛ばされ、清正は一瞬反応が遅れてよろめいたが、すぐに体勢を立て直す。

(うわ…。ここまで嫌われているとはな)

気の優しい名無しが相手を突き飛ばすなんて、よっぽどでないとしない事だ。

そう思い、清正は内心大きなショックを受けたが、そんな自分の心の内を名無しに知られたくなくて表面上は平静を保つ。

「……悪い。そんなに嫌がられるなんて思わなかった。俺はただ……」

下心抜きで、もう以前のように軽くスキンシップする事すら出来なくなってしまったのかと清正がションボリしていると、名無しがハッとしたような顔をした。

「ご、ごめんなさいっ。違うの、清正は何も悪くないの!私が…私が全部悪いだけなのっ」
「お前が…?」

名無しの言葉に、清正が怪訝な顔をする。

男らしさを全身からビシバシと滲ませ、ワイルド系の代表格とも言える清正のルックスは、多分女性であれば一目で虜になってしまう程の素敵さだろう。

だがそんな清正の優秀な雄フェロモンも同僚武将の名無しには何故か通じず、それ故に名無しと清正は互いに仲のいい友達同士の関係を続けてきた。

それなのに、今日の名無しは清正の顔を見て激しく心を乱し、普通の女達のように上擦った声を出している。

名無しに限って、これはおかしい。

「ほ…、本当に…ごめんなさいっ。こんな事清正に言っても仕方ないって分かっているけど、わ、私…今朝…とても変な夢を見ちゃって……」
「……夢?」

しどろもどろな口調で必死に言い募る名無しの顔は相変わらず真っ赤なままで、酷く動揺しているせいなのか、名無しの瞳は熱に侵されたようにうるうると潤んで今にも泣き出しそうにみえるほどだった。

ますます心配になり、清正は男らしく節ばった手で名無しの頬を優しく撫でながら、名無しの混乱の原因について聞いてみる。

「それって、どんな夢だ?」
「ど、どんな夢って……!?それは……」

清正に尋ねられた名無しは、余計に混乱した様子で言葉を濁す。

「意外な知り合いでも出てきたのか。夢の中でも相変わらず正則が暴れていたとか、三成にまた無理難題を押し付けられたとか。それとも、俺か?」

ハハッ、と笑いながら世間話程度に清正が軽く話題を振ってみると、最後の『俺か?』の部分で名無しが明らかな反応を示した。

「あ…、えっと…実は…その……」
「なんだ?」
「その、えっと…。今朝…私の夢の中で…き…清正が……私、を……」
「!!」

震える声でそこまで言うと、名無しは顔をカーッと顔を赤くしたりサアッ…と青くしたり、手品のようにくるくると顔色を変えていた。

そして声だけでなく、ついにはもうこの場に立っていられないとばかりに全身までガタガタと震わせ始めた。

「ご、ごめんなさいっ。私…仕事で…もう行かなきゃ…!!」
「…!おいっ。名無し!!」

誰が見ても分かる程に、ただ事ではないと思える名無しの姿。

名無しは清正の制止を振り切ると、男に背を向けてタタッと走り出した。

清正といえばそれ以上名無しに何も言う言葉が見付からず、ただ呆然と彼女の後ろ姿を見送るのみ。


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