異次元 | ナノ


異次元 
【頂点捕食者】
 




(……あ)

そろそろ布団に入って寝ようと思っていた清正の目が、執務机の上に置かれていた『ある物』に吸い寄せられる。

謎の老婆から貰ったあのしおり。

風呂に入る時、どこかに落としてきたら面倒だと思った清正は、懐からしおりを抜き取ってとりあえず机の上に置いておいたのだ。


『そのしおりを、寝る時に枕の下に入れなされ。そうすればあなたは夢≠見るでしょう。愛しいおなごと結ばれる夢を……』


(ないわー)


老婆の言葉を思い出した清正は、うんざりしたような目付きでしおりを睨む。


そんな上手い話が世の中にそう簡単に転がっている訳はない。

そう思って布団に入った清正の脳裏に、再び老婆の言葉が蘇る。


『これは言葉で説明するよりも実際に試された方がよくお分かりでしょう。まずは清正殿、騙されたと思ってこの婆の言う通りになされ。そして夢の中で彼女を手に入れなされ』


(……。)


ムクッ。

清正はせっかく入った布団をめくってその中から抜け出すと、大きな手でグシャグシャと軽く髪を掻き混ぜながら机の方へと歩いて行く。

そして、月下美人の押し花が施されたしおりを手に取った。

老婆の言った言葉を丸ごと鵜呑みにしている訳ではないが、効果がある無しは別として、とりあえず試してみるだけならそれもいいのではないかと清正は思った。

(そう言えば最近、夢自体あんまり見ていないな)

子供の頃は眠っている間によく夢を見ていたような気もするが、大人になってからはほとんど見なくなってしまった。

夢を見る暇もないくらい、日々の忙しさに追われていた。長く続く戦争で、緊迫した毎日を過ごしていた。

夢という物が自分の意思で自由自在に見られる物ならば、どんなにかいい物だろう。どんなに便利な事だろう。

望みもしない物は勝手にやってくるというのに、どうして本当に望む物はいつまで経っても手に入らないのか。


『き、よ、ま、さ……』


(名無し。お前に会いたい)


なあ名無し。

現実では無理だとしても、せめて今夜。夢の中でお前と溶け合う事は出来るだろうか?

夢でもいいからお前に会いたい。なんでもいい。

今みたいにあんなよそよそしい態度じゃなくて、前のように俺に笑いかけて欲しい。

もう一度お前の笑顔を見て、話をして、この腕に抱き締めてみたいんだ。

「……。」

期待半分、疑い半分といった面持ちで清正はしおりを見つめると、老婆に聞いた通りに枕の下にそっと押し込む。

よほど疲れが溜まっていたのか、清正は瞼を閉じた後、10分もしない内に深い眠りの海に沈んでいった……。




(なんだここは)

目が覚めた時、清正は今まで目にした事もない光景を目にしていた。

彼の目の前には真っ白な世界がどこまでも続き、どこが始まりで、どこが出口なのかも全く分からないままだった。

今自分が立っているこの場所すら、どこに位置しているのか分からない。

ぼんやりして視界がよく見えず、清正が眠い目を擦りながらなんとか周囲の様子を探ろうとしてみると、時間の経過と共に段々視界がクリアになってきて、よく見えるようになってきた。

視力が戻ってきた途端、さらなる驚愕の世界が清正を襲う。

彼の周囲に広がっていた白い海は辺り一面を覆い尽くす月下美人の花たちで、今まで何故気付かなかったのか、ここにきて急に月下美人の香りが漂ってきた。

(なんでよりによってこの花が、こんなにも大量に咲いてやがるんだ!)

むせかえる程に甘く濃厚で、人の思考を奪い取るような月下美人の香り。

苦手とする花の香りを半ば強制的に嗅がされて、気分が悪くなりそうになった清正は手で鼻を覆いながらキョロキョロと周りを見回す。

すると、これもいつからそこにあったのか、とんでもなく巨大な月下美人の花が清正の正面で咲き誇っている事に気が付いた。

その巨大な月下美人は、花弁の端から端までの直径で考えるとまるでダブルベッド程の大きさで、童話やおとぎ話の世界のようにその上で人が寝る事すら出来そうだ。

そして清正の想像した通り、なんとその花の中央には本当に一人の女性が横たわっていて、すうすうと規則正しい寝息を立てている。

なんだろうと思い、周囲の気配に慎重に気を配りながら近付いた清正の目に、信じられない事実が映し出される。

白い素肌にバスタオルのようにして肌触りの良さそうな純白の布をグルリと巻き付け、裸同然の状態で横たわっていたのは、清正が最も求めていた女性。


夢の中でもいいから会いたいと、眠る直前まで強く願っていた────名無しだった。


「なんで…、お前が……」

言葉にならない、と言った様子で呟いて、清正が半裸の女性を凝視する。

そんなはずはない。

こんな上手い話があるはずがない、と必死に否定しようとする清正だが、目の前に広がる光景は否定が出来ない。

この髪、この顔、この体。

まさに夢にまでに見た、名無しの姿。あの日三成に抱かれていた時に見る事が出来た、名無しの肉体そのものだ。


『そのしおりは特別な品物、見るものはただの夢ではありませぬ。清正殿と彼女の意識と肉体を繋ぐ空間、夢と現実の狭間の魔の夢≠ナすじゃ』


これが老婆の言っていた魔の夢≠ネのかと、清正はしばし考え込む。

夢と現実がどうとか狭間がどうとか何やら小難しい話をされたような気がするが、そんな細かい事は今更もうどうだっていい。

大切なのは、今目の前に名無しがいる事。

そして、白い布を一枚身に纏っただけの悩ましい寝姿で、自分の前で無防備な姿態をさらけ出している。ただそれだけだった。

つい先程まで苦手な月下美人の香りに気分が悪くなりそうな程だったというのに、清正はそんな事などすっかり忘れ、何かに吸い寄せられるようにしてフラフラと巨大な月下美人の中央に近付いていく。


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