異次元 | ナノ


異次元 
【頂点捕食者】
 




「じゃあその3。彼女はもう人妻?それとも彼氏持ち?独り身?」
「結婚はしてない。だが…彼氏がいるかどうかは分からない。絶対にいないとも言い切れない」
「へえ〜。そりゃまた微妙な所だねえ。何でそう思うの?彼女の口から何か思わせぶりな台詞を聞いた?それとも他の男と仲良くしている所でも目撃したとか?」
「それは……」

随分と言いにくい事をピンポイントで聞いてくる男だ。

実際は他の男と仲良くしているどころか、三成と名無しのセックス現場を目撃した訳なのだが。

それを認めるのが悔しくて、そんな事を半兵衛に告白するのも悔しくて、清正は無意識の内に奥歯をグッと噛み締める。

黙ったままの清正の態度に、何やら不穏な気配を感じたのだろう。

察しの良い半兵衛は、それだけで清正が抱えている複雑な悩みと事情を読み取ったようだ。

「うわあ…。何だかややこしそうだなあ〜。凄い面倒臭そう。俺、もう部屋に戻って寝てもいい?」
「人がせっかく相談してるのに途中で切り上げるつもりかよ、お前っ!」
「やー、そんな怖い顔しなくたっていいじゃん!冗談だって〜!!」

吐き捨てた男の双眸から逃れるようにして、半兵衛が柱の陰に隠れる。

太い廊下の柱ごと半兵衛を切り捨てかねない清正の勢いに負けたのか、半兵衛は仕方ないといった顔付きで柱の前に進み出ると、小さな溜息と共に新たな質問を投げる。

「じゃあ最後。もう餌≠ヘ撒いた?」
「……えっ」
「だからさ、文字通り餌だよ。彼女を釣り上げる為の餌。何はともあれ、これが一番肝心じゃん。もう撒いた?」

混乱する思考に、脳が全くついてこない。

半兵衛の質問の意図が読めずに清正がちんぷんかんぷんといった顔をしていると、半兵衛は長い指で耳の後ろをポリポリと掻きながら言葉を続けた。

「……清正さん。君、釣りってした事ある?」
「まあな。だが正則と一緒に遊び程度にやった事があるだけで、そこまで本格的に挑戦した事は無いんだが」

釣りがどうした、と言わんばかりの口調で返す清正に、半兵衛はふぅん、そうかと短く漏らす。

「釣りにかけては太公望って人が超名人らしいから、その人に直接指導を受けられたら俺よりもっといい助言が受けられると思うけど」

まあその人、俺達みたいな人間じゃなくて仙人みたいだから、実際に会うなんて相当難しいと思うけどね〜。

そんな事を言いながら、半兵衛は何やら考え込むような素振りで睫毛を伏せる。

「大物を釣り上げる為には、まずはそれ相応の効果がある餌を用意することから始まる。狙う魚によって調達する餌の種類が色々あるように、女を釣る時も相手によって餌は様々さ。いい餌が手に入ったら、水中に投げ入れてあとはじっと待つ。とにかく待つ。待ちの一手」
「なんだと…?こっちから行動は起こさないのか?」

半兵衛の助言が自分の求める物と違ったのか、清正が不満そうな声を出す。

狙った獲物を目の前にしながらとにかくじっと待つなんて、清正のようなハンター気質の男性には非常に我慢と忍耐を求められる苦行ではないか。

「ん〜、それはもちろん時と場合によるけどね。でも、釣りの基本は餌を投下した後はむやみやたらに竿を動かさない事だよ。様子を見ながら、たま〜にちょっとだけ動かす。じゃないと魚がビビッて逃げちゃうし、罠だと気付く。相手も警戒するからね」

半兵衛は非難めいた清正の言葉に少しも心を乱す事もなく、いつも通りの流暢な口調でスラスラと言葉を紡ぐ。

「相手にあった餌を選択し、ここぞという場所と場面で垂らす。たま〜に少しだけ動かして反応を見る。何度やってもダメなら餌を変える。後は気長に待つ。俺はただの置物です。人畜無害な存在ですよって顔をして、でも釣り竿は決して離さずに握ったままで、ひたすら獲物を仕留める機会を伺う……」

ゾクリとした悪寒が、清正の背を走る。


「……釣りはそうやって待つのさ」


普段の感情を押し殺したような低い声で、半兵衛がポツリと呟く。

毒を含んだ男の声の響きには、他人をゾッとさせるような凄味が滲んでいた。


「そして釣り上がったが最後、獲物はもう助からない。釣り人のいいように料理され───食われるだけだ」


恐ろしくも獰猛な輝きを放つ眼光をニイッと歪ませて、半兵衛が笑う。

見た目のイメージに反して、この美しい小悪魔のような男が自らの言葉を実行するに足るに十分な行動力と知能と残忍さを持ち合わせているという事を、清正は知っていた。

戦場であれだけ見事な戦略を披露する半兵衛なのだ。

彼が一度本気でどこかの女を手に入れたいと思ったら、それこそ知らぬ顔をしながら相手を罠に誘い込み、確実にモノにするのだろう。

「ま、詳しい事は太公望さんとやらに聞いてみて〜。って事で、俺のニワカ釣り講座はこれで終わり!」

つい数秒前までのドス黒い微笑みはどこへやら、今の半兵衛はすっかり普段の飄々としたノリとにこやかさを取り戻している。

半兵衛が見せる眩しい程のニッコリ笑顔は、まさにアイドル級の完璧さ。

何かを企んでいる時の腹黒い笑みと、彼が普段見せている外向け≠フ作られた笑み。そのギャップ具合がかえって恐ろしい。

「狡賢い奴だな、お前」

溜息と共に絞り出された清正の声に、半兵衛が楽しそうにコロコロと笑う。

「あったり前でしょう〜?俺はこう見えても軍師だよ。謀略、計謀、姦詐、イカサマ、術策、一芝居、インチキ、計略、巧詐、トリック。狡賢くて他人を騙す為の策略は、俺達軍師の専門分野でございます、ってね」

あっけらかんと言い放つ、自信に満ちた半兵衛の声。

そんな事は言われるまでもなく清正自身分かっていたつもりだが、こうして改めて半兵衛の口から言われると、清正は『確かにそうだな』と認めざるを得なかった。

常日頃から他人の心を読み、操り、自分の思い通りに動かす為の術を探求し、日夜その技を磨いている半兵衛のような職種の男達は、まさに心理戦のエキスパートに違いない。


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