異次元 | ナノ


異次元 
【頂点捕食者】
 




「……そのおなごは、どうやら狐に魅入られているようですなあ」
「……っ!」
「狡賢く、知能犯で……他人の心を操る術に長けた、それはそれは美しく、世にも妖しい……妖狐の化身と見える……」

老婆の放った『狐』という言葉に、清正は一層驚いた顔で老婆の顔を凝視した。

主君秀吉の元で配下武将としての優秀さを互いに競い合うだけでなく、今や清正にとって恋愛方面においてもライバルと言える存在となった石田三成は、『佐和山の狐』という通り名を持っていた。

狡賢く知能犯で、他人の心を操る術に長けた美しい妖狐の化身と、狐に魅入られた女。まさに清正の中で思い描く、三成と名無しのイメージそのものではないか。

この老婆は、自分達の事をどこからどこまで知っているというのだ。

「今の清正殿の心境は、さながら魔物によって囚われの身となっている姫君を救出せねばという使命感に燃える騎士の如し。そしてあわよくば、その姫君を己のモノにしたいと願っておられる」
「……。」
「しかし自分は何一つ間違った事はしていない、この戦いは正義であるというお考えじゃな。他人の物を横取りしようとする泥棒根性もちょっぴり、おなごに対する助平根性もちょっぴり、だが清正殿ご自身の心境としては俺はすこぶる道徳的だ=v

まるで占い師のようなその口調。

完全にこの老婆に己の心を読み取られている事を悟り、清正は内心とても焦ったが、世の一般男性のように目に見えて狼狽えるような醜態はさらさない。

ただ相変わらず挑むような鋭い眼光で、老婆を正面から射抜き続けている。

「おやおや……。その顔は……さては図星ですかな?」
「……。」

老婆の質問に、清正は答えなかった。

何とも言えない重い空気が辺りを包み込み、微妙な緊張感が両者の間に流れる。

しばしの沈黙の後、険しい目付きでじっと老婆を見つめていた清正の双眸が、瞬きもせぬままスイッと意味深に歪められる。


「────女を手に入れる為の方法は?」


清正の問いを受けた老婆はニヤッ、と人の悪い笑みを浮かべると、己の懐をゴソゴソと探って何かを取り出した。

「これを清正殿に差し上げましょう」

老婆に差し出された品物を見ると、それはどうやら手作り風のしおりのようで、中央には何かの植物のような白い押し花が施されていた。

(この花、どこかで見た覚えが……)

そう思ってしおりを凝視している清正に、またしても老婆の予想外の声が降り注ぐ。

「……それは月下美人の花ですじゃ。ようく覚えておりましょう?」
「!!」

唖然とした表情で老婆としおりを交互に眺める清正に、老婆が眼を細めるようにして笑う。

「そのしおりを、寝る時に枕の下に入れなされ。そうすればあなたは夢≠見るでしょう。愛しいおなごと結ばれる夢を……」
「……夢……?」

清正は大きな掌でギュッとしおりを握り、半ば呆れているような口調で老婆を責めた。

「夢では話にならん。夢で会えたら、とか、俺はそんな子供のおままごとみたいな事で満足するような男ではない。あいつを確実に手に入れたいんだ。夢じゃなくて現実で。なんとしても……」
「人の話は最後まで聞きなされ。そのしおりは特別な品物、見るものはただの夢ではありませぬ。清正殿と彼女の意識と肉体を繋ぐ空間、夢と現実の狭間の魔の夢≠ナすじゃ」
「魔の夢……?」

聞き慣れない言葉を耳にして、清正はますます訝しげな顔をする。

すると老婆は清正の疑問を悟ったのか『ああ』と短く呟くと、大人が子供に説明する時のように丁寧な口調で魔の夢≠ノ関する補足を続けてくれた。

「いかにも。普通、他人の夢の中は他の者には覗けぬものですが、それを使えば清正殿は思い人と夢の時間を共有する事が出来まする。そしてそこは夢ではなく現実でもない、また、夢であって現実でもあるその両方の意味を持つ特殊な世界なのですじゃ」
「夢でなく…、夢であり…両方…?」
「これは言葉で説明するよりも実際に試された方がよくお分かりでしょう。まずは清正殿、騙されたと思ってこの婆の言う通りになされ。そして夢の中で彼女を手に入れなされ。成功したら、それを何度も繰り返しなされ。しおりの効果はあなたが現実で実際に彼女を手に入れるまでずっと続きます。見事成功した暁には、そのしおりは自然にあなたの前から消滅しますゆえ……」

再度老婆に説明を受けても、清正には未だに彼女が言わんとする事の意味が全くもって読み取れず、なにがなんだかよく分からない。

「……作り話じゃ、ないのか?」

詰るような、それでいて求めるような男の声が、形の良い唇から吐き出される。

なんとなくどころか、どう好意的に捉えようとしてみてもやっぱりウソ臭いな、と感じる老婆の話。

まず、『ここはわしの店ですじゃ』といい、立派な商売人を名乗っているくせに、自分に対して一銭も金銭の類を要求してこないのがそもそも怪しい。

それに、こんなしおり程度で好きな女を手に入れられるという謳い文句がさらに怪しい。本当にそんな凄いアイテムがこの世に存在するというのなら、決してタダで譲って貰えるなんてあるはずがないし、世界各地の殿様や武将、貴族達がなんとかして入手しようと躍起になっているはずだ。

会った事もないはずなのに自分の正体を知っているのもおかしい。名無しに対する自分の思い、そして三成の存在も知っているのもおかしいし、考えれば次から次へと怪しさ満点。

だが、何故か老婆の言葉は甘い蜜のように清正の心に染み渡り、まるで催眠術にかかってしまった観客のように清正の視線は手元にあるしおりに縫い止められる。

「好きなおなごを思い通りに出来る秘宝。喉から手が出るほど欲しがる殿方は世の中に大勢いるじゃろうて。ただし、誰にでも手に入れられる物ではない。この婆のいる『狭間の店』を探し当てる事が出来た者だけが、他人の夢≠支配出来る力を手にするのじゃ。清正殿よ。おぬしは本当に運が良い……」

ひっひっひっ、とくぐもった声で老婆が不気味に笑う。

そんな事、ある訳がない。

そう思いつつも、反論したい清正の気持ちは老婆の呪文のような言葉によってかき消され、思いは上手く言葉にならない。


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