異次元 【頂点捕食者】 (入ってみるか) 清正は何かに誘われるようにしてその店の前まで歩いて行くと、固く閉ざされていた扉に手をかけた。 ギイッ……。 酷く軋むような音がして、ゆっくりと扉が開く。 清正は中の様子に慎重に気を配りながら、店の中へと入っていった。 バタン。 「!!」 清正の体が完全に店内に入った途端、急に入り口の扉が閉まった。 別に強い風が吹いたという訳でもない。誰かが自分の後ろにいたのか? 清正が驚いて背後を振り返ると、店の奥から謎の声が聞こえてきた。 「おや……。これは珍しい。随分久しぶりのお客さんだねえ……」 地の底から響いてくるような、ヒッヒッ、という不気味な笑い声。 清正が首だけひねって声のする方を見ると、店の中央には一つの小さなテーブルが置かれていて、そこには清正と正面から向かい合う形でボロボロの布を身に纏った一人の老婆が椅子に腰掛けていた。 しわくちゃの老婆の顔を見ると、かなりの高齢であろうとは思えるが、正確な年齢は分からない。 売り物屋の店主であれば客の手前自分の身だしなみにはそれなりに気を遣うものだが、ボロ布を纏っている老婆の姿は商人というには不似合いであり、最初から何も物を売る気などなさそうに見える。 人気のない不気味な店。薄暗い不気味な店内。正体不明の不気味な老婆。 清正の研ぎ澄まされた野生の本能が、ここは異常だ≠ニ感じた。 しかし、同時にこの店が一体何なのか、この老婆が何者なのかという事を突き止めたいという衝動に清正は駆られる。 「ここは……」 「わしの店ですじゃ」 ようやく漏れた男の声に応えるようにして、老婆がそっと湯呑みに入れた茶を差し出す。 清正は一瞬躊躇ったが、あいにく喉は渇いていないと告げて丁寧に老婆のサービスを断った。 「……俺はよくこの道を通るのだが、こんな店があったなんて今まで全然気付かなかった。いつからあった?」 一見強面で、目付きが鋭く、野性的な容貌をした男の顔立ちだが、戦場以外で一般市民と話す時の彼は不思議な穏やかさを備えている。 男に敵意がない様子を見て取ったのか、老婆は観察するような目でじっと清正を見た。 「それはもう…随分と昔から、わしの店はここにありますわい。皆さん、誰もお気付きにならないだけで……」 「随分と昔から…?馬鹿な。だとしたら俺が気付かない訳がない。自慢じゃないが、一度通った道や周囲にあった建物は大抵覚えているんだ。現に俺は今まで何度もここを通ったが、この店に気付いたのは今日が初めてだった」 「ひっひっひっ…。ですから、先程も申し上げた通り誰もお気付きにならない≠セけですじゃ。わしの店は少々変わった店でしてな。特別な方しか入れないのです。ひっひっひっ……」 清正の質問に、おかしくてたまらないといった様子で老婆が笑う。 「なんだそれは。まさか『馬鹿には見えない服』『正直者にしか開けられない扉』とかぬかすんじゃないだろうな?」 「ひひっ…裸の王様≠ナすな。あれは単なる嘘っぱちでしたが、わしの店はそんなものとは違います。真に特別な方、選ばれた方しか入れない店なのです。そうですなあ、どう説明させて頂けば良いのやら……」 相変わらずコロコロと笑う老婆の態度に馬鹿にされたと感じ、清正の眉間に不快感を示す皺が刻まれる。 話にならない、とばかりに再度問い詰めようとして口を開きかけた清正の先手を打つようにして、老婆が低い声を振り絞る。 「その心の中に、女が見える」 「!!」 「ここ最近、ずっと一人の女を求めていらっしゃいますな。豊臣軍が誇る戦場の若き猛虎。加藤家の御曹司────加藤清正殿」 老婆の言葉に、清正は驚いて両目を見開く。 戦闘服ではないただの平民服。正則以外、自分が城下町に来ている事など誰も知らないはずのお忍びの行為。 確実にこれが初対面のはずなのに、すぐさま自分を加藤清正だと見抜いた老婆の眼力。そして、女を求めている≠ニいう彼女の言葉。 「あなたほどの方が、ほとほとお困りのようですな。相当思い詰めていらっしゃるようですな?」 「な…、ん…だと……っ」 「そこまで焦がれているおなご。愛しのおなごを、自分だけの物にしてみたいとは思いませぬか。自分の好きなようにしてみたいとは思いませぬか?」 「……!!」 「この婆の言う事を信じて下さるなら。婆の言う通りにして下さるというのなら……その望みを叶えてしんぜよう。差し上げまするぞ……彼女≠」 謎が謎を呼ぶとはこの事だ。 欲しい女?ああ、いるとも。求めている女?いるとも。 だが何故それをこの老婆が知っているのか。何故自分の心が読まれているのか。何故自分の正体がバレているのかという事は、清正には全く持って分からなかった。 「何を馬鹿な」 そう告げる清正の声音が、苦い笑みに掠れる。 これがいつもの自分なら、さっさとこんな店から出て行っている所だった。見ず知らずの不気味な老婆との茶番劇に、ご丁寧に付き合ってやるつもりもなかった。 しかし、何故かこの日の清正は早々にこの店を立ち去る事が出来ず、もっと強い力で老婆の誘いを退ける事も出来ない。 それどころか、先程から清正の視線は完全にこの老婆に縫い止められてしまっている。 「先程も申し上げた通り、ここは特別な方しか入れない特別な店。今ここであなたが出て行ってしまったら、もう二度とお会いする事は出来ないかもしれませぬ。チャンスはこの一度きり。さあ……清正殿。いかがなされますかな?」 老婆の声は、まるで催眠術か何かの如く、彼女の口を通してではなく清正の脳に直接話しかけてくるようなものだった。 チャンスはこの一度きり。 その言葉が、普段は現実主義で皮肉屋で、形のない物は一切信じない清正の心を大きく揺さぶる。 「……俺とお前が会うのは今日が初めてだ。見ず知らずの他人の言う事など、俺は信用できない」 挑むような口調で、清正が言う。 すると老婆は、自分が試されているという事に気付いてもなお、しわくちゃの顔でケラケラと笑うだけ。 [TOP] ×
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