異次元 【籠の鳥】 親鳥らしき野鳥が口元に餌をくわえて自分の巣に舞い戻り、その姿を認めた雛鳥達は皆一様にピーピーと鳴き声を出しながら、クチバシを大きく開けて親鳥に餌をねだっている。 「……あの小鳥達とて、いつまでもああして親鳥の元にいる訳にもいきますまい」 「…光秀殿…」 「自分一人では生きていけない非力な雛鳥だって、次第に成長するのが世の常です。羽が全て生え揃い、自力で餌を取れるようになったら、どんな雛鳥もいずれは親鳥を捨てるのが当然の事でしょう?」 「!!」 そう告げて唇を引き結んだ彼の表情には、謎めいた影がある。 彼の言う言葉そのものが理解出来なかったとでもいうようにじっと光秀殿の瞳に目線を合わせると、光秀殿の両目が冷たい輝きに満ちていく。 「今のは、鳥の話です。あまり……お気になさらず」 光秀殿は最後にそう一言告げて、私の前から立ち去った。 ドクンドクンと、耳障りな程に大きな音を立てて心臓が鼓動を刻む。 喉の奥からドロリと何かが吐き出されそうな不快感が胸を襲ったが、その原因を作った主はもうここにはいない。 このままではいけないと、虫の知らせにも似た不穏な気配が私の全身を包み込む。 (早く…しなくては。名無しが『あの事』に気付く前に……) 残された私はその場でチッと舌打ちすると、今後の予定を再度頭の中で練り直し、計画の変更を考えた。 そういえば、今月に入ってからやけに感情の高ぶりを感じている。 別にこれは私に限った事ではなく、若い男は元来血の気が多い生き物なのかもしれないが、最近の私は何をしていても妙に苛々してしまい、心が休まる時がなかった。 昼間自分の仕事に精を出していても、深夜一人で鍛錬に励んでいても。 愛用の長刀を握り締め、この身を敵の血で真っ赤に染めても。 大好きな、戦場を駆けても。 その翌日。 午前中の仕事を無事終えた私は食堂で食事を済ませ、一旦部屋に戻ろうとしていた所だった。 自室へと続く長い廊下を何気なしに歩いていると、昨日の私と同じく縁側に腰掛けて、ぼんやりと中庭を見つめている女性の姿が目に入った。 その人物の正体に気付いた直後、私は慎重に気配を消しながらその女性に近づいていく。 私は彼女との距離を一定まで詰めるとその場でスッと腰をかがめ、何の予告も無しに背後からガバッと手を回し、その女性の両目を覆う。 「だ〜れだ」 「きゃっ…!だ、誰っ…!?」 突然の出来事にびっくりした女性は小さな悲鳴を上げると、私の手に自分の手を重ね合わせ、何とかして外そうと試みる。 「後ろの正面、だぁ〜れだっ」 「その声は…ひょっとして…蘭丸?」 「本当にそう思います?」 彼女の耳元に唇を寄せて再度答えを求めるように囁くと、彼女の肩がピクンと跳ねた。 「だって…蘭丸でしょう?この声に、この手の大きさ…。後ろにいるのは……」 半分は自信がありそうな、それでいてひょっとして違っていたらどうしよう、とでも言う遠慮がちな口振りで彼女が私に質問する。 そんな彼女の態度が予想以上に楽しく感じられ、満足した私はこの時点でようやく彼女の望みを叶える為に両手をそっと外してやった。 「ふふっ。その通り。後ろの正面は─────蘭です」 「やっぱり蘭丸…!もう、いきなりだからびっくりしたじゃない。どうしたの?」 振り返ると同時に私の顔を食い入るように見上げてきたのは、私の最愛の女性────名無しであった。 こうして彼女と二人きりで話が出来るなんて、あの夜から数えてみると随分久し振りの事のように感じられる。 その事がとても嬉しくて、また名無しの顔を間近で見られた事が幸せで、私は自然な動作で彼女の隣に腰を下ろして名無しに語りかけていた。 「いえ、別に。大した訳でもないのですが、丁度ここを通りがかったら、何やら浮かない顔をしている貴女を見かけたもので」 「……え……」 「何か悩み事でもあるのですか?普段の貴女らしくないものですから。心配で」 「蘭丸……」 私の問いを受けた名無しの瞳が微かに曇り、その中に私には分からない程の哀しみを宿していく。 だがそれはほんの一瞬の事で、次の瞬間にはまたいつも通りの穏やかな面持ちを名無しは取り戻していた。 「実は……最近ちょっと変な事ばかり続いているの」 「変な事、とは?」 一度開いてしまった口は、閉じることは出来ない。 しかし、名無しはあえてそれ以上の事を語る事はせず、何やら周囲をしきりに気にしている素振りを見せる。 彼女の放った言葉尻を捕らえ、その続きを言って下さい、と詰め寄る私の迫力に気圧されたのか、名無しが困ったような顔をする。 名無しはしばらく黙り込んだ後、諦めたようにフーッと大きな溜息を漏らすと、再び中庭に視線を向けた。 名無しが私に語り聞かせてくれた『変な事』は大きく分けると三つの事だった。 まず一つ目は、最近妙に他人の視線を感じるようになったという。 自分の部屋で仕事をしている分には何もないのだが、彼女が部屋の外で何かをしていると、どこかから誰かが自分を見ている視線を感じる。 ただの思い過ごしだろう。 そう思って最初は特に気にせず日常生活を送っていたのだが、次第に彼女の周囲では不思議な事が起こり始めた。 それが二つ目。名無しが愛用している仕事道具や私物の数々が、彼女の前から忽然と姿を消している事だ。 最初は筆一本。重し一個。硯一つ。普段から使用している道具が急に見当たらなくなった事に名無しは気が付いた。 しかし、高価な調度品や金目の物が無くなっているというならいざ知らず、ただの筆記具を好んで盗むような泥棒なんてそうそういるものではないだろう。 きっとただ単純に、自分の不注意か勘違いでどこかに置き忘れてしまっただけに違いない。 そう思った名無しはそれ以上深く考えることもなく、その時はそんな程度で結論づけた。 だが、話はそれだけでは終わらなかった。 紛失物は次第に机の上から彼女の身の回りの品々にまで及び、お気に入りの髪飾りや衣装までいつの間にかなくなっている。 さすがに、これはおかしい。 どう考えてみても誰かが意図的にしている犯行ではないかと悟った名無しだが、肝心の犯人像がどれだけ考えてみても思い浮かばない。 [TOP] ×
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