異次元 | ナノ


異次元 
【理想郷】
 




まさに司馬師の言う通り、鍾会はそのプライドの高さから他人に恋愛相談を持ちかけたり、自分が好きな相手の正体を明かす事が苦手な男性だった。

実際には、鍾会がそうなってしまったのには高いプライド以外にももう一つ大きな理由があったのだが。

赤くなりつつどう答えようか迷っている様子の鍾会を見て、司馬昭がプッと吹き出す。

「超図星じゃねーか。これで我らが鍾会クンにも春が来たって事ですな。めでたいめでたい!」
「そっ…、そう言えば!!私ばかり答えていますけど、司馬師殿や司馬昭殿には好きな女性はいないのですか!?」

自分がからかわれている事に気付いた鍾会が、咄嗟に話の矛先を司馬兄弟に向けて話題の転換を図る。

「好きな女、ねえー…」
「……。」

すると司馬兄弟は、何やら思わせぶりな目線を周囲に燻らせた。

二人はしばらくそうして考え込むような仕草を見せた後、お互いに顔を見合わせると、ゆっくりと口を開く。

「……それを『好き』と言うかどうかは知らないし、お前の気持ちと同じ種類の物かどうかは知らないけど、気になる女ならいるかもな」
「興味のある女はいる」

今一つ感情の読み取れない、どうでも良さげな二人の口調。

てっきりいない≠ニ返されるか馬鹿にされて終わりだと思っていたのに、彼らの口から漏らされた内容は鍾会にとって大きな驚きだった。

城中の女達から羨望の眼差しで見つめられつつも、自由を愛し、束縛を好まず、決まった相手を作らずに新しい女を次から次へと取っ替え引っ替えして楽しんでいるだけに見える司馬師と司馬昭にそんな風に思う相手がいたとは。

「嫌がる女が好きなんだ。セックスの際、相手に泣かれたり必死で抵抗されると燃えるタチだ。私自身、元々サド男の気があるのでな」

鍾会の疑問を見透かしたように、彼から聞かれる前に司馬師は自分好みの女性のタイプを淡々と告げる。

わざわざ司馬師が自認してくれなくても、彼の言動を普段から目にしている人間であれば、彼がドSだというのは十分想定の範囲内だと思うが。

「そうですか…。お二人が気になっている相手は、両方とも私が知っている女性ですか?それとも全然知らない方ですか?」

本当はズバリ誰かと名前を聞いてみたい所であるが、先程司馬師に聞かないでおいてやる≠ニ言われた事を踏まえ、鍾会もわざとボカした聞き方で尋ねてみた。

だが司馬師と司馬昭は、そのレベルの質問ですら全く答える気はないようだ。

「秘密。童貞君の手には落ちないイイ女」
「……お子様の手には落ちないイイ女だ」

男前の顔でニヤッと笑い、二人が語る。

元々の顔の作りだけならこれ以上ないというくらいの美男子といった二人だが、年齢以上の威圧感を放つ怜悧な眼差しと彼らの全身から漂うダークな雰囲気は父親譲りのものだった。

一癖も二癖もある美形兄弟。そんな言葉が彼らにはとても似合う。

「だがそんな風に思う女がいるのなら、モタモタしないでさっさと行動に出た方がいいと思うがな。お前とて、過去のような失敗はもう繰り返したくないだろう?」

司馬師の声に、鍾会の肩がピクッと跳ねた。

彼が告げた最後の言葉に鍾会が過剰な反応を示しているのは、ブルブルッと拳を震わせている鍾会の姿を見れば一目瞭然だった。


「気に入った女を独占したいと思うのは男の性だ」


そう思う事自体は何も悪い事ではない。


だから────そう≠キれば良い。


悪びれた様子もなくそのように語る司馬師の赤い唇を、食い入るような眼差しで鍾会が見つめている。


「兄上の言う通りだって鍾会。ちんたらやってる間に他の男に取られちまったらどうすんだよ。女ってさー、ちょっといい男に声かけられたら簡単にコロッといっちまうのが多いんだから。こんな事になってしまうくらいならあの時無理矢理にでも自分の女にしておけば良かった、って後になってから後悔しても遅いんだぜ?」


からかう素振りもなく、真面目な口調で語りかけてくる司馬師と司馬昭の言葉が、まるで何かの魔法や呪文のように鍾会の心を絡め取っていく。


「────いいか鍾会。俺は友達だから言ってやってんだぜ」


そうなのだ。

司馬師や司馬昭の主張は多少強引なようにも聞こえるが、確かにその説には一理ある。

欲しいと思った女性がすでに他の男性の物になっていた事は過去に何度もあった。

愛する女性との幸せな未来を思い描いていた矢先、その幸せが他人によって奪われる事も何度かあった。

信じていた相手に裏切られ、絶望を抱いた事もあった。己の計画が台無しになり、言葉に出来ないくらいに激しい怒りと憤りを感じた事もあった。何度も何度も。

「……酒が切れました。今、代わりを持ってきます」

いつの間にかすっかり中身がなくなっていた酒瓶を自分の方に掻き集め、数本まとめて手に持つと、鍾会はゆっくりと立ち上がった。

司馬師達と共に大量の酒を飲んでいたはずの鍾会だが、酒豪が多い魏の武将の例に漏れず未だ意識ははっきりしているようで、特に乱れた様子は見受けられない。

ガチャッ。

バタン。

そして鍾会はしっかりとした足取りで扉の方へと歩いて行くと、そのまま背後を振り返らずに扉の向こうに消えていった。

「……。」
「……。」

鍾会が出て行った後、司馬師も司馬昭も黙り込み、室内にはしばらくの間静寂の時間が訪れた。

二人とも、何やら考え込む様子で静かにグラスに口を付け、残りの酒を飲んでいた。

互いに何も話さないままの沈黙状態を破り、先に口を開いたのは司馬師だった。

「前のような事にならなければいいが」
「普段冷静そうに見えて一旦思い詰めるとヤバイですからね。あいつ」

司馬師の言わんとする事を理解しているのか、司馬昭は兄の言葉にそう付け足す。

司馬昭の言う通り、鍾会は過去に恋愛関係で『ヤバイ事』になった事が何度かあった。



鍾会は見ての通り完璧主義で、高潔な理想家だ。己の信念や価値観、理想を曲げることを良しとせず、またそんな自分の生き方を疑問に感じる事もない。

それは仕事や周囲の人間関係に限った事ではなく、恋愛に関しても同じ事だ。

鍾会は自分の中に己が理想とする『カップル像』『恋愛観』を持っている。そして、彼はどこまでも完璧を求める。

その頑なで決して融通が利かない、頑固なまでの完璧主義が、時として彼自身のみならず相手の女性にも悲劇をもたらす。


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