異次元 【鍾会クンの憂鬱】 帰宅後。 鍾会の掌の中には、買ったばかりのピカピカな新品携帯・NIX007が握られていた。 「おおおお……おおおお……!!」 感動のあまり妙な唸り声を上げて携帯を見つめる鍾会の手は、ブルブルと震えている。 (こっ…、これが噂の最新携帯っ。ついに私も携帯ユーザーに!!) 買う前まではあんなにいらないいらないと思っていた携帯電話だが、いざ買ってみると何万という高額なお金を払って手に入れた分それなりに愛着が湧くものだ。 この美しいフォルム。瞬時に画像が撮影できるというレンズ。防水加工がされた優れ物ボディ。 ミニPCの如く様々な機能が搭載された携帯から放たれるこの燦然とした輝きはどうだ!! 「吟味に吟味を重ね、私に選ばれたという優秀な一品なのだ。英才教育を受けた人間・鍾士季が所有する携帯に相応しく、エリート携帯として最大限の活躍をして貰わねば……!!」 記念すべき携帯初購入の興奮を抱いたまま、鍾会は商品に同梱されていた取扱説明書を取り出して読み耽る。 大好きな取扱説明書。 PCでもTVでもDVDプレイヤーでも、新しい商品を買った時にその説明書を開いて読むのは鍾会にとってたまらなく楽しい一時である。 予想していたよりも分厚いが、私なら大した時間もかけずに読破出来るだろう。 私は世間の凡人達とは違う。この程度の電子機器の取り扱いくらい、1日でマスターしてみせる!! (着信音を何にしよう。かかってきた相手別で異なる音も流せるのか…なるほど…!) (やはりここは優雅にクラシックを選択するべきだろうか。意味不明なアイドルソングだのなんちゃらポップスだのを好む奴らとはレベルが違うからな。他人にナメられないような一流音楽にしなくては!) (待ち受け画面はどうするかな。ここはやはり世界の有名絵画にしておくべきだろうか。そういえば大学の奴でグラビアアイドルの水着画像を待ち受けに設定している男がいたな。ああいう奴らは一体何を考えているんだ。全く持ってけしからん。破廉恥な!!) 鍾会は説明書を見ながら携帯を操作し、本体に備わっている機能について確認していく。 とりあえずコーヒーでも飲むか、と思って鍾会がテーブルに手を伸ばすと、その上に置かれていたロロックマのメモ用紙が目に入った。 (……あ) 名無しの、連絡先だ。 鍾会はドキンッ、と己の心臓が大きく跳ねるのを感じながら、そのメモを手に取った。 そして、胸の高鳴りを必死に抑えつつ間違いがないように一文字一文字確認しながら名無しの名前と電話番号、メールアドレスを入力していく。 PCのキーボードと違って携帯電話のボタン入力は不慣れな分時間がかかったが、鍾会は10分かけて名無しのデータを登録した。 「で…、出来た……!!」 携帯の画面に表示された『名無し』の文字に大きな感動を覚え、鍾会の声と手元が震える。 名無しの登録番号は、『メモリー000』と書いてある。 「……。」 ナンバーを見た鍾会は眉根を寄せ、寂しげな表情を浮かべた。 自分にとっては、名無しは記念すべきナンバー000。 携帯を買った直後にすぐ登録した、初めての人≠セ。 だが名無しはとっくの昔に携帯を購入しているし、司馬師や司馬昭、家族やその他の友人の番号もすでに沢山入っていると思われる。 鍾会が名無しに『携帯を買ったぞ!』と報告した際、名無しが彼のデータを登録するとすればそれは追加という形になる。 ナンバー50番だか100番だか500番だか知らないが、とどのつまりは最後尾だ。 自分から見た名無しは、初めての女性。でも名無しから見た自分は、○番目の男。 別に名無しは何も悪くないし、そんな事を言ってもどうしようもない。 頭では十分理解出来ていているのに、その事実が鍾会には辛い。 『鍾会が今後もし携帯を持つ事になった時とか、本当に気が向いた時に連絡してくれたらそれだけで嬉しいよ』 「……。」 ……無駄に腐っていても仕方がない。勇気を出そう。 名無しが言ってくれた言葉を思い出し、鍾会はグッと携帯を握る手に力を込めた。 そうして何度か深呼吸をし、気持ちを落ち着けると、震える指先で『発信』ボタンをプッシュする。 ピッ、ピッ、ピッ。 電子音が数回鳴った後、携帯の画面が『発信中』に切り替わろうとした瞬間だった。 プルルル、プルルル…という呼び出し音が鳴る前に、鍾会は慌てて電源ボタンを連打する。 (だ…、ダメだ!出来ない!!) 自分は今、名無しに電話をかけている。 この向こうに名無しがいるのだと意識した途端、鍾会の緊張と不安は最高潮に達した。 名無しが出たらどうしよう。何を言えばいいんだろう。 名無しが出なかったらどうしよう。名無しの携帯に自分の着信番号だけ残って、後からかかってきたらどうしよう。 そもそも、今この時間、名無しに電話をしていいのだろうか。迷惑じゃないだろうか。 名無しが出なかった場合、何回くらいまでなら繰り返しかけてもいいのだろうか。しつこい男だと思われたりしないだろうか。嫌われたりしないだろうか……。 (ダメだ…、本気でドキドキする……!!) 鍾会は両手で携帯を掴み、自分の胸元に引き寄せてぎゅうっと握り締めた。 好きな相手に電話をかける事が出来ず、哀れな程に真っ赤な顔をして、切なそうに下唇を噛み締めながら両手で携帯を握り締めて塞ぎ込む様は、その辺の女子よりもよっぽど乙女チックオーラが全開である。 無双大学の入学試験をトップクラスの成績で突破してきた私が、何故こんな『ボタンを押す』という簡単な作業が出来ないのだ。情けない!! そう思い、鍾会はその後も何度か『発信』ボタンを押してみたが、やはり呼び出し中のコール音に切り替わる前に電話を切ってしまう。 (────くそっ……。今度こそ!!) チャレンジする事25回目。 この時にしてようやく鍾会は電源ボタンを連打せずに、そのままじっと耐える事に成功した。 ううう…、緊張する!! プルルル、プルルル、プルルル、プルルル……。 (……?) せっかく意を決して名無しに電話をかける事に成功したのに、鍾会の耳元では無機質なコール音が鳴り響くだけで一向に名無しが出る気配がない。 [TOP] ×
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