異次元 | ナノ


異次元 
【鍾会クンの憂鬱】
 




「鍾会が今後もし携帯を持つ事になった時とか、本当に気が向いた時に連絡してくれたらそれだけで嬉しいよ。鍾会から貰える電話やメールなら私はいつでも歓迎だけど、これ……必要なかったら破いて捨てちゃっていいからね」

微笑みながら鍾会を見つめる名無しの眼差しに、押しつけがましさは微塵も見られない。

口下手な自分がいつも言葉で失敗しても、つい心に反して素っ気ない対応をしてしまっても、名無しは彼女なりの言葉で毎回その穴を丁寧に埋めようとしてくれる。

優しい、ひとだ。

「名無し……」

うっすらと頬を紅潮させ、鍾会が小さく呻く。

どうして名無しは、こんなにも素直になれない自分をいつも優しく迎えてくれるのだろう。

鍾会が何か言おうと思った矢先、凛とした男の声が場の空気を破る。

「名無し!いつまで待たせる気だ。行くぞ!」
「はーい。ごめんなさい、今行きます!」

遠くの方から聞こえてくる司馬師の声に、名無しが懸命に声を張り上げて答えた。

「鍾会、映画は好き?」
「えっ?あ、ああ」

メモ用紙とペンを片付けながら短く尋ねる名無しの問いに、鍾会は反射的に言葉を返す。

「じゃあ、次に会ったら今日のMI3の感想を伝えるよ。鍾会のお勧めの作品が何かあったら、良ければ私にも教えてね!」

名無しは笑ってそう言うと、鍾会に軽く手を振ってバイバイの仕草をしながら司馬師達の方に向かっていった。

カラン。

司馬師達が中に入って来た時と同じ音をさせ、名無しは鍾会の前から姿を消した。

扉がゆっくりとしまる光景を、鍾会は僅かに熱を帯びた瞳でぼんやりと見つめていた。



『えーっ!鍾会先輩、今時携帯持ってないんですかー!?チョー受けるー!!』
『ねえねえ、士季君。何で携帯買わないの?そうしたらいつでも士季君に連絡出来るのにー。お願い。私の為に買ってよー!』
『鍾会、携帯持ってないから全然捕まらないんだよな〜。今度計画しているギャルサークルとの合コン、あっちの幹事が鍾会君を連れてきて!!≠チてうるさいんだよ。お前目当ての女が沢山いるって話だぜ。チクショー、羨ましい奴!ここは人助けだと思って協力してくれよっ。1回顔出してくれるだけでいいから。んで、頼むから携帯買ってくれよ!なっ!』

自分に携帯を持つ事を熱烈に勧めてきた人間達の声が、鍾会の脳裏をよぎる。

大学の知り合いだけでなく、親からも連絡が付くように≠ニ似たような事を言われてきたが、鍾会は何だかんだと理由を付けては頑なに拒否し続けていた。

一つは、選ばれた人間であるはずの自分が他の奴らと同じ≠ノなるのが嫌だった為。

自分も携帯を持つ事で、『変わった人』から『凡人』になってしまうのが嫌だったからだ。

二つは、赤の他人に自分のプライベートな空間や時間にまで割り込まれるのが嫌だった為。

これが社会人であるというのなら、仕事で必要なのでどうしても携帯を持たなければならないという場合もあるだろう。

しかし、学生の身分で携帯電話など何故必要があるのか分からない。

子供なら防犯上の理由の為に親が持たせるという理由もあるが、自分はもう大学生である。

小さい頃から武道も習ってきているし、現在進行形で体を鍛えているので自分の身くらい自分で守れる自信がある。

よって、今の生活で無理をしてまで携帯を持つ必要もない。


だが─────。


『もしもし。子上?』


司馬昭からの電話に出た時の名無しの笑顔が、鍾会の記憶に蘇る。


嬉しそうだった名無し。


……楽しそうだった、名無し。


『そっか、それで電話くれたんだね。ありがとう。子上』

いかにも仲良さげな雰囲気だった、名無しと司馬昭。

『今日の約束だったよね、覚えているよ』

『私もそろそろ子上に電話しようと思っていたところなの』

まるで恋人同士の会話のような会話を交わしていた、名無しと司馬昭。


「携帯さえあれば……、私もあんな風になれるのだろうか」


誰にも聞こえないくらいに小さな声で、ポツリ、と鍾会が呟く。

携帯なんていらないと思っていた。

でもそれがある℃魔ナ、少しは自分も変われるのだろうか。

今の名無しと自分の関係にも、何か変化が訪れるのだろうか。


「携帯さえ……、携帯さえあれば……」


女子に人気だという『ロロックマ』という可愛らしいクマの絵が描かれたメモ用紙とそこにある名無しの携帯番号とメアドを見つめながら、鍾会は喫茶店の片隅で携帯購入に向けてこっそり決意を固めていた……。




携帯なんていらない、と思っていた今までの鍾会の意思は、それはそれで固かったが。

一旦携帯を買うぞ≠ニ決めてからの鍾会の行動は、驚く程に早かった。

名無し達と別れた後、鍾会は大学の帰りに各携帯電話会社のショップに立ち寄り、その日の内に全メーカーの商品カタログをGETした。

裕福な家に生まれた事もあり、大学の近くのマンションを借りて花の一人暮らしを満喫している鍾会は、帰宅するとさっそく自室にこもって全携帯電話の比較を始めた。

(今人気の型はこのシリーズか。これは…、なるほど、動画再生や画像撮影に特化しているのだな。こっちは防水携帯か。風呂場でも使えるとは便利だな。こっちが通常のモバイル、こっちが今話題のスマートフォンか。……考える事がありすぎて悩む)

携帯電話メーカー各社のカタログをテーブルの上で一度に広げながら、鍾会はそれぞれの利点や欠点、特徴や性能を一つ一つ見比べていく。

他人から見れば気が遠くなるような地道な作業に思えるが、根っからのマニュアル人間である鍾会はこういった確認作業≠ェ大好きだった。

似たような例を挙げてみると、鍾会は自分の部屋で一人チラシを眺める作業が好きである。

各電器店やスーパー、宅配ピザ等のチラシを同じジャンル毎に並べてどの店が一番品揃えが豊富なのか、良い商品を扱っているのか、値段が安いのかをそれぞれチェックしていく。

(今週はエース電器がセールをやっているな)
(新春初売りか…、狙い目だ)
(土曜日はCマーケットで卵が安くなる。時間があったら買いに行こう)

調べ物が大好きな鍾会にとって、携帯電話のカタログ比較などお手の物。

鍾会は三時間かけて全ページと契約プランの確認をすると、今度はキッチンに移動した。

お気に入りのマグカップに暖かいコーヒーを入れた鍾会は、零さないように気を付けながらそれをPC机の端に置くと、静かに椅子を引いて着席する。


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