異次元 | ナノ


異次元 
【鍾会クンの憂鬱】
 




(そうなのか……!!)

いつか名無しをデートに誘おうと思い、鍾会が勇気を出して本屋で買ってきた『これで君も彼女が出来る!完全☆女GETマニュアル』という本には、確か

女性を映画に誘う時に最も効率が良いのは恋愛映画です
最初からアクションや任侠映画、ヒューマンドラマ系の作品に女性を誘うと断られる可能性が大です
男が楽しいと思う物と女性が好む物は別物です。空気を読みましょう

……と書いてあった。

来る日も来る日もイメージトレーニングを重ね、そのページをすでに100回くらい読み込んでいた鍾会は、記念すべき初デートの際には女性の好みに合わせて名無しをベタベタ・甘甘の恋愛映画に的を絞って誘いをかけようと考えていた。

しかし、どうやら名無しのこの反応をみると、必ずしも恋愛映画でなければならない!という訳でもなさそうである。

完全☆女GETマニュアルにはああ書いてあったのに、名無しの口からマニュアルとは違った答えが出るなんてっ。

(そ、そうなのか……)

根っからのマニュアル人間である鍾会は、あんなに読み込んだマニュアルがもしかしたら通用しない事もあるかもしれないと思い、自分でも驚くくらいにオロオロしていた。

その事に気付いたと同時に、司馬師や司馬昭に対してより一層大きな劣等感を抱いていた。

きっと司馬師や司馬昭なら、あんなマニュアルは必要ないのだろう。

自分とは違い、ごく自然に女に声をかける事ができ、簡単に誘えるのだ。


─────名無しの事も。


「……。」

ギュッ。

誰にも見えないような位置で、鍾会が硬く拳を握る。


(私だって、本当は名無しに名前を呼んで欲しい)


名無しに電話だってしたい。メールもしたい。

あんな風にして、彼女といつでも繋がりたい。

大学で顔を合わせていない時でも、名無しの声を聞いてみたい。授業後とか、休日の約束だってしてみたい。


携帯、持ってないけど────……。


「じゃーな、鍾会。また会おうぜー」
「行くぞ。名無し」
「あっ…、待って!」

司馬師に呼ばれた名無しが、バッグを持って立ち上がる。

そしてそのまま鍾会に背を向け、その場から立ち去っていく。

(……っ)

行ってしまう。

声にならない哀しみをたたえた瞳で鍾会がそんな名無しの後ろ姿を見送っていると、何故か途中で名無しが引き返す。

「ごめん、先に行って。後から追いかけるから!」

名無しは一旦振り返り、司馬師達に向かって声を張り上げると、再び鍾会の方に体を向けて走り寄ってきた。

「忘れ物か?」

名無しにもう一度接近できた喜びを感じつつも、鍾会は彼女の手助けをしようと自分のテーブル周辺を覗き込む。

すると名無しは素早く椅子に腰掛け、バッグから小さなメモ用紙とペンを取り出して自分の携帯を見ながら何やら文字を書くと、そのメモ用紙を鍾会に手渡す。

「これ、私の携帯番号とメールアドレス。鍾会にはまだ教えていなかったと思うから、渡しておくね」

(……あ……)

ドキンッ。

予想もしなかった衝撃が、鍾会を襲う。

名無しをデートに誘うには彼女の携帯電話の番号やメールアドレスを知っていた方がいい事は分かっていたが、そもそもどうやって聞き出せばいいのかと鍾会は悩んでいた。

先程の完全☆女GETマニュアルに載っていた『女の子の連絡先をさりげなく聞き出す方法』のページを熟読したつもりだが、頭で理解するのと実際に本人に声をかけるのでは必要とされる勇気の度合いが違う。

『よ、良かったら私とメアドを……。気軽に連絡を……。く、くそっ…!こんな恥ずかしい事言えるか!』

想像しただけで恥ずかしくて仕方なくて、思わず本を床に投げ捨ててしまった瞬間、自分には到底無理なのではないかと半ば諦めていた。

好きな女性の連絡先を自分から尋ねるなど、プライドが高い上に女性の扱いに慣れていない鍾会にとってまるで42.195Kmのフルマラソンに挑むくらいにパワーのいる行為。

それをまさか、名無しの方から教えてくれるなんて!

「じゃあね鍾会。また今度!」
「あ…!名無しっ。ま、待てっ。待ってくれ!」

椅子から立ち上がり、今度こそ本当に立ち去ろうとする名無しを、鍾会が必死に呼び止める。

「その…、名無しっ。せっかくの話だが、こんな風にしてあなたが連絡先を教えてくれても私は携帯を持っていないっ。知らないのか!?」

叫ぶようにして放たれた鍾会の言葉に、名無しの睫毛がぱちぱちっ、と上下にしばたく。

「……え……」

切なそうに眉間を寄せる名無しの顔付きに、鍾会の胸は強い力で締め付けられたようにズキンッと痛む。

(なっ…、何を言っているんだ、私はっ!!)

確かに携帯を持っていないのは事実であるが、もっとマイルドな言い方があるではないか。

これではまるで『携帯を持っていないから、お前のアドレスなんて必要ない』『余計な世話だ。いらない』という断り文句のようにも聞こえるではないか。


くそっ…!!バカバカバカ!!私のバカ!!!!


「あ…、いや…、け、決していらないと言っている訳では……」
「……。」
「だ…、だから、私が言いたいのは、そのっ……」


訂正したい気もするが、こういう場合、なんて言えばいいのか分からない。

邪魔者の司馬兄弟も、今はここにいない。

神様が与えてくれた、せっかくのチャンスだったのに。

(もうダメだ)

自分の気持ちを思うように伝えられないもどかしさと己の不甲斐なさをひしひしと実感した鍾会は、名無しの顔をまともに見られずに俯く。

名無しを傷付けたい訳じゃない。

こんな風にして、好きな女性の好意を跳ね除けるような真似がしたい訳じゃないのに。

「……っ。違うんだ、名無し。私は……っ」

鍾会が半ば涙目になりながら言葉を紡いでいると、名無しは震える鍾会の手に自分の手を添えてそっと包み込む。

「────知ってるよ」
「……えっ?」

想定外の名無しの返答に、鍾会が驚いて顔を上げる。

「鍾会は携帯を持ってないって、子元達が教えてくれたから。別にいいの。メールならパソコンからでも出来るし、電話だって、本当に鍾会が何か用事があった時にくれればいいし、緊急連絡用くらいの意味合いでいいから」

優しい声で、名無しが囁く。

鍾会の手を握る名無しの手元に、先程よりも少し力が込められた気がした。

名無しの手の平から伝わる暖かい体温に、鍾会の指がビクッと震える。


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