異次元 | ナノ


異次元 
【鍾会クンの憂鬱】
 




「ど、どうかしたのか」

自分の言葉で好きな女性が黙ってしまった事に一抹の焦りを抱き、戸惑い気味の声で鍾会が尋ねると、名無しの赤い唇がゆっくりと開く。

「私は鍾会から誘われたらきっと嬉しいよ。……何も約束がなくても」

(……うっ)

キラキラと、輝く瞳で自分を見つめる名無しの姿に、鍾会の心臓がドキリと跳ねる。

名無しの眼差しと声は、鍾会にとって凶悪なまでに心臓に悪い。

自分がどれだけ冷たい発言をしようが、素っ気ない態度を取ろうが、変わらずに優しく見つめてくる名無しの目は、そんな自分を丸ごと受け止めてくれるような気持ちにさせる。

自分がどんな我が儘を言っても、名無しなら笑って許してくれるような気がする。

普段ツンツンしている自分がたまに甘えた姿を見せても、名無しなら馬鹿にする事もなく、『そんな鍾会も好き』だと言ってくれそうな気がするのだ。


もっと究極的な話をするなら。


名無しなら自分がある日突然SMプレイに目覚めてしまおうが、Hの時に『何も言わずに黙ってこの格好をしてくれ』と言って女子高生の制服やナース服を差し出そうが、彼女の胸に顔を埋めて『赤ちゃんプレイがやりたいでちゅー!』と言い出そうが、名無しなら『もう、鍾会ったら…』と困った笑みを浮かべつつ、それでもちゃんと要望を聞いてくれるような気がする。


けっ、決して私はそんな事をしたいと思っている訳ではないが。


………言わないけど!!!!


「……?どうかしたの?鍾会」
「あ、いや、その…。べ、別に」
「?」

先程までと立場が一転、今度は自分が黙り込む番になった鍾会を名無しが不思議そうに見つめる。

普段は勉強の事で頭が一杯なのに、名無しを目の前にしていると、お年頃の若い男性らしく鍾会はついピンク色の妄想に耽ってしまう。

どことなく男の色気まで感じる、悩ましげな表情を浮かべて俯く鍾会の反応に、名無しは鍾会、と男の名を再度呼ぼうとした。

……が、皆まで言い終わらないうちに、名無しの持っているバッグの中で突然音楽が鳴り響いた。

♪わた〜し〜に〜か〜えり〜な〜さい〜、うま〜れ〜るま〜え〜に〜♪

その音に気付いた名無しはハッとしたような顔をして、バッグの中に手を伸ばす。

「ごめんなさい。鍾会、ちょっといい?」
「ああ」

二人の耳に聞こえてきたのは、名無しの携帯から流れてくる着うただった。

名無しは鍾会の前で軽く手を合わせて可愛らしくごめんなさい≠フポースを取ると、携帯の通話ボタンを『ON』にして本体を耳元に当てる。

「もしもし。子上?」

彼女の口から聞こえてきた名前に、鍾会の目が僅かに開く。

その人物の名は司馬昭。

鍾会と共に無双大学付属幼稚園からずっとエスカレーター式に進学してきた同級生。

いくつもの会社を経営し、一族全てが所有している総資産を計算すると鍾家を遙かに凌ぐという超が2つも3つも付くほどのお金持ち。名門・司馬一族の次男坊だ。

「うん、うん。そう。えっ、本当?さっきメールくれたの?何時頃?」
「……。」
「ごめんね…全然気付かなかった。そっか、それで電話くれたんだね。ありがとう。子上」
「……。」

名無しの唇が動く様子を、鍾会は食い入るように見つめていた。

彼女の会話を邪魔しないよう、黙ったままで。

だが、彼女が司馬昭とどんな話をしているのか、一言も聞き漏らさないと言わんばかりに神経を集中させていた。

「うん…、うん。今日の約束だったよね、覚えているよ。私もそろそろ子上に電話しようと思っていたところなの。映画が始まる時間、3時からだったっけ?」
「……!!」

耳に届いた会話の内容に、鍾会が目に見えて驚いた顔をする。

どうやら名無しは司馬昭と映画を見に行く約束をしているようだ。

まさか。二人だけで!?

「私?まだ大学にいるよ。喫茶店の中。えっ…、場所?今座ってる位置って事?入り口から入って一番奥の左端の席だよ。今鍾会といて……、あっ!」

カラン。

名無しが上擦った声を上げたのと同時に、喫茶店の入り口の方から音がした。

彼女の目線、そして音のする方に反射的に顔を向けると、そこには扉を開けて中に入ってくる若い男性二人の姿があった。

「よう!名無し〜!」

ブンブンと手を振り、快活な笑顔を見せて名無しの名を呼ぶ男性は、今の今まで名無しと電話をしていた司馬昭。

「私と昭が二人してメールを送ってやったというのに無視とはなんだ。気付かないならもっと着信音量を上げておけ。それか音とバイブの二重にしろ」

司馬昭の隣でキュッと眉間に皺を寄せ、溜息混じりに吐き捨てる男性の名は司馬師。

司馬昭の兄であり、司馬一族の長男である。

「お…、おい。あれ見ろよ。司馬兄弟だぜ!」

両者の登場に、室内にいた男子学生達がギョッとした顔をする。

「え。あれが有名な司馬兄弟?俺初めて見たっ…」
「親も親戚も金持ちばっかりで、うちの大学にも多額の寄付金をしてるっていう話だろう。噂じゃあ、理事長も司馬家の人間には頭が上がらないって話だぜ」
「マジ?てか、男から見ても腹立つくらいに超イケメンなんだけど…。金持ちで頭がいい上に素でイケメンとかどんだけー!?」

鍾会と同様、この司馬兄弟もまた学年問わず知らない人はいないと言われるくらいの超有名人だった。

学生達は男も女もしばらくそうしてヒソヒソと司馬師&司馬昭の話題に花を咲かせていたが、端の方にいた女子グループがふと何かに気付いたように話の矛先を名無しに向ける。

「じゃあ、あれが例の名無しって子なの?」
「なんでも父親の代から司馬家と深い繋がりがあるそうで、あの兄弟とも家族同然の付き合いをしているらしいわよ」
「えーっ!なにそれ!羨ましいー!!」

名無しの話を聞いた女子学生が、ブンブンと頭を振って身悶える。

彼女の友人の話は正解だった。

司馬兄弟と名無しはお互いの家ぐるみで交流が深く、そのせいか大学以外の場所でも普段から互いに連絡を取り合い、一緒に遊びに出掛ける事もあるという親しい間柄だった。


実は、名無しと司馬兄弟に関してはあまり知られていない噂がもう一つある。


無双大学の内外問わず、名無しに必要以上に近付いた男達はその事実が発覚次第、司馬師と司馬昭によって恐ろしい目に遭わされるというまことしやかな噂がひっそりと流れているのだが─────その真相は誰も知らない。


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