異次元 | ナノ


異次元 
【有毒男子】
 




彼らとの長年の付き合いにより、このような扱いに対しても不本意ながら慣れっこになってしまっている名無しだが、それでもやっぱり文句を言いたくなる時もある。

しかし、名無しがどれだけ顔を真っ赤にしながら反論しようと、司馬懿は何とも思わない。

「ほう…?生意気にも私に意見をするようになったか、お前」

詰め寄る名無しに、司馬懿は悪びれもせず言ってのける。

「威勢が良いのは結構だが、あまり調子に乗ると痛い目を見るぞ」

含み笑いを浮かべながら名無しの表情を伺う司馬懿の視線に気付き、名無しが『うっ』と言葉に詰まる。

名無しの経験上、こういう顔をする時の司馬懿は怖いと知っている。

何を企んでいるのか全く想像が付かない。だが、これ以上逆らえば何らかの仕置きを受けさせられるのは確実だ。


「……いいのか?」
「そ、それは……っ」


ゾクリ。


赤い唇を妖しく歪め、司馬懿が笑う。

司馬懿と目が合った瞬間、ゴクリ、と己の喉が鳴る音を名無しは確かに聞いた。

どうせなら、司馬懿が単に意地悪でドSな男というだけでいてくれれば良かった。それなら名無しだっていくらでも抵抗出来た事だろう。

しかし、司馬懿は単にそういう男≠ニいう訳ではなく、なまじ頭も良く、見た目も良く、声も良く、女の扱いにも手慣れているハイパーイケメンなものだから一層始末に悪い。

(逆らえない)

特にこの、司馬懿の『いいのか?』という台詞に名無しは弱かった。

妖艶な流し目で名無しの瞳を捉え、微妙に甘さを付加したハスキーボイスでそんなに私にいじめて欲しいのか?≠ニ言いたげに『……いいのか?』と司馬懿に問われると、それだけで名無しの胸はキュンッとときめく。

毎回危うく『はい、そうです!』と答えてしまいそうになるのを、名無しがどれだけ苦労して我慢している事か。

元々マゾ素質のない女性ですらも、たちまちM女に変えてしまう凄腕の司馬懿。

その上容姿まで見目麗しい色男だなんて、あまりにも卑怯ではないか。

考えてみれば、郭嘉もそう。

天から二物どころか四物も五物も与えられている人間が何人もいるなんて、世の中は実に不公平だ。

「……さっきはああ言ったが」

途中で一旦言葉を切り、一呼吸置いてから司馬懿が続ける。

「基本的にはお前が誰と出かけようがどうでもいいし、別にお前の行動を一部始終監視しようだとか、プライベートにまで口出ししようというつもりはない。だが郭嘉だけはやめておけ」

呟きつつ、司馬懿は手近にあった椅子を自分の所へ引き寄せて腰を下ろし、切れ長の瞳にかかっていた前髪を鬱陶しげに掻き上げる。

「同性の目から見てもあいつは相当女慣れしている。火遊び程度では済まん。あいつに近付いた女は文字通り喰われるぞ。骨の髄までしゃぶり取られて用が無くなればポイ捨てだ」

ふうっ…と一つ息を吐いて、司馬懿は椅子の背にゆったりともたれかかった。

男の物言いに一種の親心のような響きを感じ、驚いた名無しは目を丸くして司馬懿を見つめた。

「もしかして…仲達、私の事を心配してくれているの?」
「自惚れるな。客観的な観点から見た事実を述べただけだ。他意はない」
「なんだ…。てっきり心配してくれたのかな、珍しい事もあるんだなと思ったのに。だったらいいじゃない、別に。私がどこで誰とクリスマスにご飯を食べに行って来ても」
「人がせっかく忠告してやったのにその言い草か。他人の話を聞かない女はもう知らん。さっさと郭嘉にヤリ殺されて死ね」
「ちょっと!その言い方、私と郭嘉の両方に対して失礼でしょう!」
「ふん、知るか。文句があるならいつでも相手をしてやる。郭嘉もな。今度あいつに会ったらそう言っておけ」
「もう、仲達ったら…!」

例によって冷酷な言葉ばかり吐く司馬懿だが、名無しは不思議とそこまで強い怒りは感じていなかった。

最初に出会った頃は司馬懿の放つ言葉の一つ一つが全て突き刺さり、なんて冷たい人なのだろうと名無しは思っていたが、数年間司馬懿と共に過ごす事によって段々分かってきた事がある。

司馬懿は、自分が興味のない相手や物事に対してはとことん冷淡な人間なのだという事。

それに気付いてからというもの、名無しは以前とは違った見方で司馬懿の言葉を受け止められるようになった。

名無しがどうなってもいいと本気で思っているのなら、司馬懿は始めから何も言わない。

彼のような男性が、好き好んでわざわざ名無しと郭嘉の関係に口を挟むはずがないのだ。

(郭嘉だけはやめておけ、か……)

男の放った言葉を反芻し、名無しは一人考え込む。

あの司馬懿がそこまで言うというのなら、郭嘉はきっとそれほどに危険な男性なのだろう。

軽い気持ちで郭嘉に近付いた女は彼の美貌と妖艶な眼差し、甘い声、均整の取れた体躯に魅せられて、彼の虜になってしまうのだろう。

そして司馬懿の言う通り、その代償は軽い火遊び程度では済まず、二度と立ち直れないほどに、彼がなくては生きていけないくらいに深い火傷を負ってしまうのかもしれない。

(……でも)

そう思えば思う程、名無しは一つの考えに行き着く。

(やっぱり、あの人は曹丕達と同じ匂いがする)

そんな真似は、ただの頭の軽いチャラチャラした遊び人では到底出来ない。

単に仕事が出来るというだけではなく、顔が良いというだけでもなく。

異性に対してそれだけ強大な吸引力を郭嘉が所持しているというのなら、明るさだけではなく闇の一面も彼が秘めているからだ。

女心を妖しくくすぐる、影の部分を。

「…どうして郭嘉の誘いをその場ですぐに断れなかったのかって、私、自分でも考えてみたんだけど…」
「なんだ」

司馬懿は名無しの呟きに返事をしつつも、不愉快な事でも思い出したかのように顔をしかめた。

「郭嘉って曹丕や仲達に少し似ている気がするの」

ポツリ、と、素直な心情を吐露するように名無しが漏らす。

途端に、司馬懿は横目で厳しい視線を送ってきた。

「は…?どこが?」
「その…、だから、曹丕や仲達と同じくらい郭嘉も頭が良くて、格好良くて、女性にモテて……」
「誰と誰が同等だって?」
「郭嘉と、仲た……」
「あのチャラ金髪年中発情狂の優男と?私が?」
「……!!」

背筋に冷気が走るほどに、硬質で冷淡な司馬懿の声が耳に届き、名無しは思わず『ひっ』と叫びそうになった。

どうやら逆鱗に触れるスレスレの部分に手を伸ばしてしまったようだ。


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