異次元 | ナノ


異次元 
【有毒男子】
 




「……何の話だ?」

静まりかえった部屋の空気を破ったのは、疑念に満ちた司馬懿の声だった。

(あ…、言いやすい)

司馬懿の方から尋ねてくれた事に、名無しは内心ホッとしながら正直に話す。

「えっと…。さっき郭嘉にクリスマスの事を聞かれたの。その周辺、何か予定があるかって」
「それで?」
「普通に仕事だと思うって答えたよ。せっかくのクリスマスだから、本当は仕事が終わってから何か美味しい物でも食べに行きたいな〜っていう気持ちはあるけれど、多分年末調整の時期だから残業しなきゃダメかもしれないって話をしていて……」
「で?断ったんだろう」
「えっ?」
「だから…無理だと即答したんだろう?聞かれた事に対してすでに返事をしたのであれば、それ以上相手に付き合う義務もないはずだ。郭嘉がしつこく食い下がってこようが放っておけばいい。この話はもう終わりだ」
「えっ?あっ…その…、えっと……」

有無を言わさぬ口調でキッパリと告げる司馬懿の迫力に気圧されるようにして、名無しの口調が段々と乱れていく。

名無しは気まずそうな顔をしてしばらくの間視線を彷徨わせていたが、やがて覚悟を決めたのか、重い口をようやく開く。

「その…正確にはきちんとした形で返事をしていないの。ただ単に聞かれただけの段階で、今の時点ではまだ予定が読めないから郭嘉にはそれ以上の事が言えていなくて……」

名無しはこの事実を言うか言うまいか散々迷ったが、それでも司馬懿に隠し事をする方が良くないと思ってやはり説明する事にした。

正しくは、良くないと言うよりも後からバレた方が余計に怖いと思ったからなのだが。

その結果。

「……は?」

名無しの話を聞いた司馬懿の眉間に、不快感を表す皺が瞬時に刻まれる。

「────どういう事だ」

いつもよりも一オクターブくらい低い、司馬懿の声。

常に威厳に満ちていて、男性的な色気も兼ね備えた司馬懿の魅惑的な低音の声だが、こうして詰問される側に回るとその声の低さが威圧感へと変換されて名無しの背筋を震わせる。

(ううっ…、やっぱり正直に言って良かったっ。でも…、でも…っ!)

素直に言ってこれなのだ。

司馬懿に内緒でコソコソと隠れて郭嘉と連絡を取り合っている姿を万が一何かのきっかけで知られたら、どんな仕置きを受けるか分かったものではない。

自分の判断は間違っていなかった、と半分は安堵しつつも、残りの半分は別の恐怖を感じて名無しは内心冷や汗をかきまくる。

「愚かな部分もあるが、それなりに知恵も働くお前の事だ。私や殿に予定を空けておけ≠ニ命令されたならいざ知らず、他の男の誘いなどその場ですぐに断ったものだと思っていた。……と言うか、我々の所有物である以上、そうするのが当たり前だと思っていたが?」

名無しを問い詰める司馬懿の口調に、頭ごなしに怒鳴りつけるような乱暴さはない。

無駄に声を荒げる事もなく、あくまでも普段通りの平静なものであったが、その代わりに司馬懿は名無しを目で殺す。

正面からじっと名無しを射抜く司馬懿の瞳の奥では、野生の豹のような細い光彩がギラリと輝く。

「お前がそこまで尻軽のアバズレだったとは失望した」

スイッ、と不意に名無しから目を反らし、司馬懿が呆れたように溜息を漏らす。

「だ…、だからー!なんでいきなりそうなるの!?普通にクリスマスの話をしていただけじゃない!」
「聖夜だか性夜だか知らんが、クリスマスに男が女を誘うなんてどう見てもやる気満々だろう、常識的に考えて。それが分かっていながら返事に迷うとか、その時点で軽く見られても仕方ないだろうが」
「違います!だって、どうするかなんて具体的な事はまだ全然決まっていないんだよ?郭嘉と泊まりで出掛けるとかって話だったら仲達の言いたい事もまだ分かるよ。でも郭嘉に聞かれて、私は単に美味しい物を食べたいって話をしていただけで……」
「食事の誘いなど釣り餌にすぎん。予定はいくらでも変わる。相手はあの郭嘉だぞ?もう一軒行かないかとか、ちょっとそこの建物で休憩していかないかとか、時間も遅くなってしまったから適当な所に泊まろうとか、口八丁手八丁で思い通りの展開に持ち込むのはたやすい事だ」
「そ、そんなぁ〜っ!」

まるで実際に見てきたかのような口ぶりで話す司馬懿に、名無しが目に見えてショックを受けた顔をする。

その反応が余計に気に食わないのか、司馬懿はさらに名無しにたたみかけた。

「魚が餌に食い付いたが最後、ホテルに連れ込まれて三枚おろしにされて終了なのは目に見えている。お前みたいに男を見る目が無くてすぐに他人を信用する単純馬鹿は、郭嘉にとってはカモネギどころかネギを大量に背負いすぎて背中からポロポロ落としながらその辺を歩き回っている隙の塊だ。分かったか、この売女!」
「うぐぐ…。人の事だと思って言いたい放題……。そういう自分達はどうなの!?仲達!!」

好き勝手に暴言を吐いて名無しを責めまくる司馬懿に対し、名無しも負けじと気力を振り絞って言い返す。

魏の皇子である曹丕は各地から探し出された美姫達を集めたハーレムを所持しているし、司馬懿もまた一流の調教師として曹丕に差し出す美姫達や高級娼婦達の教育係を任されており、二人とも数え切れないくらいに多くの女性を抱いているはずだ。

それも、過去の話なんかではない。バッチリ現在進行形で。

そんな自分達の奔放な生活はそっくりそのまま横に置いておいて、名無しが郭嘉と食事に出掛けようかと迷っているだけで尻軽呼ばわりしてくるなんて酷い話だ。

どこまでも唯我独尊で自己中心的な価値観で動くのは、目の前の男だけに限った事ではなく曹丕と司馬懿の共通点だった。


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