異次元 | ナノ


異次元 
【籠の鳥】
 




当時の気持ちを言葉で言い表すのだとしたら、どう表現すればいいものか、今の今でもマシな台詞が思い浮かばない。

それでも、もし一言で示すのだとすれば、≪世界を手に入れた≫とでも言うような。

彼女を我が物にする事で、私の欠けていた部分がスーッと埋まっていくような気がした。



名無しと共に、二人で寄り添ってこの戦乱の世を生きることで、私は自分の中で何かが≪完成する≫とこの時思った。





「ふふふっ…。蘭丸…情熱的で狂おしい子。貴方のような男性に本気で望まれた女はそれこそ百年目よね。賢く強い貴方の事だから、きっとどんな手段を使ってでも相手を手に入れようとするんでしょう?」
「いやですよ、濃姫様。何か物凄く私の事を誤解していませんか?そんな事はしません。いくら私がせっかちな男でも、好きな女性に無理矢理迫るような真似は出来ませんからね」
「あら。なかなか殊勝な事を言うのね。でもそれって…ただの建前でしょう?貴方の本音じゃないわ。蘭丸に魅入られてしまったが最後、もう他の殿方との恋愛は死ぬまで許されないと覚悟した方がいいわね。地獄の道だわ」
「これはまた…濃姫様も冗談のキツい事をおっしゃいますね。何だかんだで恋愛は相手の気持ちがあってこその事ですから、相手にその気がなければこちらが身を引くしかないと思いますよ。いくら私でも、本当に愛する女性の精神の自由まで無理矢理奪い尽くすのは…とても……」


実際は、濃姫様の仰っている事の方が全て正しいと思いますが。

私の本心をズバリ言い当てるような濃姫様の口振りに、私はお得意の愛想笑いを顔に浮かべて対抗する。

『男にとって真に恐ろしきは女の第六感』とは良く言ったものですが、別に私の恋人だという訳でもないにも関わらず、濃姫様の意見はなかなか的を射ていると思う。

今までの豊富な恋愛経験と人生経験に裏付けされた濃姫様の鋭い観察眼に、さすがは覇王の妻だと感心した。



しかし現実問題、私の恋はそう上手くいってはいなかった。



同じ内政担当者として常に名無しと一緒にいる光秀殿とは違い、主に信長様のお側で仕事にあたる私が彼女に会えるのは週にほんの数回程度。

廊下ですれ違う時や食堂でたまたま時間帯が一緒になる時くらいしか彼女の顔が見られなくて、一向に進展しない自分達の恋愛事情とは裏腹に、日に日に親しさを増していく名無しと光秀殿の関係。

そんな光景を遠くから指をくわえて見ているだけの自分を心底歯痒く思いながら、私は何とかしてこの状況を打開しようと様々な画策を巡らせていた。



いいですか、名無し。私の愛は絶対無二。


例えこちらがどれだけ名無しの事を思っていても、貴女と光秀殿が少しでも親密な仲になっているのだとしたら、蘭はそのような光景をただ黙って見ているのはいやなのです。



再度言います。名無し。この蘭丸を本気にさせたらどうなるか。




────ゆめゆめお忘れ無きように。





「か〜ご〜め〜、か〜ご〜め〜。か〜ごのな〜かのと〜り〜は〜」
「い〜つ〜い〜つ〜で〜や〜る、よ〜あ〜け〜の〜晩〜に〜」


城の敷地内にある中庭では武将や公家の子供達が互いに手を取り合って輪を作り、きゃっきゃっとはしゃいでいる。

位の高い人物を親に持つ子供達は、農作業に明け暮れる一般市民の子供達とは違い、幼い頃から余計な肉体労働に励む必要はない。

無論、その代わりに幼少の頃から専属の教師の元で英才教育を受けていたりするのだが、それでも朝から晩までずっと勉強させられているという訳でもないので必然的に暇な時間も多くなる。

もう少し育てば剣術や武道を本格的に習う事も可能だが、まだ幼く体が出来ていない子供達はああして身分の釣り合った子供同士で遊んで余暇を過ごす。

思い思いに遊ぶ彼らの姿を貴族女の連中がニコニコしながら嬉しそうに見つめている。

自分の子供の成長ぶりが楽しくてたまらないとでもいいたいのだろう。

天気のいい昼下がりの中庭ではいつも見慣れた光景だが、私はそんな子供と親の姿をいつもぼんやりと目で追っていた。

「まぁ…!玉姫様の可愛らしさといったらどうでしょう。あの愛らしいお顔ですもの。きっと将来は絶世の美女になりますよ!」

あの小娘のどこが可愛らしいと言うのですか。どこからどう見ても、ただの下ぶくれのブスじゃないですか。あの顔から判断するに、将来が楽しみどころか、彼女の将来像はお先真っ暗。絶望的です。


私から見ればですが。


「何をおっしゃいます。お宅の雪乃丞様のはつらつとした事…!雪乃丞様こそ将来が楽しみなお子様だと思いますわ。きっと今に利発な好青年に成長されますことよ」

あのハナタレ小僧のどこがはつらつとした顔に見えるのですか。貴女は一体どこを見てそんな事を言い出すのですか。その目玉は濁ったガラス玉ですか?

あの間の抜けた不細工な顔。しまりのない表情。ヨダレが垂れてだらしのない口元。どこからどう見ても、典型的なボンクラ息子の幼少時の姿ではないですか。

利発な好青年になるどころか、目先の欲に目が眩んで汚職に手を染めていそうな予感がしますけどね。冗談は顔だけにしておいて下さいよ。


────私から見ればですが。


そんな事を思いながら縁側に腰を下ろして子供達の遊びを眺める事は、私にとって仕事の合間の息抜きとでも言うか、いわゆる気分転換の一種だった。

柔らかく微笑みながら子供達の姿に視線を注ぐ私の顔立ちからは、きっと誰も私のどす黒い本心に気がつくことはないだろう。

「つ〜ると、か〜めが、す〜べった〜」

かごめ歌を歌いながらグルグルと回っていた彼らの速度が次第に落ちてくる。

円を描くように回転する彼らの中央には一人の子供がしゃがみ込んでいて、じっと黙ったまま両手で顔を覆っていた。

「後ろの正面、だ〜ぁれっ?」

歌の終わりと同時に子供達の足がピタリと停止したのを見届けて、私はすぅっと大きく息を吸う。

縁側の上で座っている格好は崩さずに、私は正面に見える子供達に目線を向けたままで、はっきりとした物言いでその台詞の正解を告げる。


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