SS | ナノ


SS 
【Infinite loop】
 




(私……、私は……)

いつも思っていた。この出会いは罪だったのではないのかと。

4年前のこの日、彼女と私が出会ってしまった事がそもそも全ての間違いだったのではないのかと。

もし私が、名無しの願いを拒絶したら。

彼女の専属軍師になるという未来を放棄し、ここで私が彼女の問いに『NO』と言ったら。

(理由なんてどうにでもなる)

そうなのだ。理由なんて何とでも言える。

今は仕事が忙しいとか、他の事で手一杯だとか、彼女の専属軍師を勤めるには自分のような若輩者では荷が重いとか、恐れながら今の自分には名無し殿のご期待に添える自信がない、とか。

これは別に孫堅様が言い出した事ではないし、国王命令でもない。あくまでも名無しの口から出た彼女個人の要望であり、選択権は私の自由意思に委ねられている。

ここで名無しの願いを退ければ、今後私と彼女の関係は大きく変わるだろう。

私の代わりに名無しの傍には専属軍師として周瑜殿か呂蒙殿辺りが付くのだろうし、彼らとの交流を深めていくのだろう。

『今』の私のように仕事の関係上彼女と密な時間を過ごすという事もなく、仕事上最低限な口を利く以外は廊下で擦れ違っても軽い挨拶程度しか交わす事もなく。

これからの私は彼女以外の女性と恋をしたり、見合いをしたり、結婚したり、別の女性と愛を育み、子供を作ったりもして……。

「……ふ」

……なんてね。

そんな考えを巡らせた直後、私の口から自嘲気味な声が漏れる。

意識的に行った事ではなく自然と歪んだ私の笑みを見て、不審に思ったのか名無しが不安げな眼差しを私に注ぐ。

「ど、どうされたのですか?陸遜殿……」
「……いいえ。何でもありません」

咄嗟に呉の女性陣から爽やかでステキ≠ニ高評価を受ける私お得意の営業スマイルを浮かべながら答えてみると、名無しの頬がポッと染まる。

「なら…いいのですが」

名無しは大きな目をパチパチとしばたかせながら穏やかな声でそう言うと、彼女自身赤面している事に気付いているのか、気恥ずかしそうにそっと睫毛を伏せた。


名無し。


貴女が好きです。本当に。


やっぱり私は貴女という女性を愛しているのです。悲しいほど。


貴女との出会いさえなかったら、あの時違う道を選んでいたらと、思い悩んだ事もありました。

この先訪れる二人の未来を、私は良く知っている。自分だけではない、私と彼女二人の恋の運命を知っている。

名無しを愛してしまった事で、どれほど辛く切ない思いを抱いて藻掻き苦しむのかを知っている。

名無しを深く愛するが故に、歯止めが利かなくなってしまう事も知っている。

そのせいで彼女を傷付けてしまう事も知っている。何度も彼女を泣かせてしまうであろう事を知っている。


ここで私が『YES』と答えれば、きっとまた名無しを苦しめてしまうという事を十分承知している上で。


二人の人生の歯車が狂ってしまう事を分かっていて、それでも私は名無しと共に歩む道を選ぶ。


いいえ……、そうじゃない。


私の愛を捧げる女性は、後にも先にも貴女一人しか選べない。


「陸遜殿」
「はい」

あの時と同じようにして、名無しが私の手をそっと握る。

過去の私の手は、名無しの柔らかい掌の感触と彼女の行為に戸惑いを覚えて震えていた。

だが、今は違う。

名無しが私に告げる言葉を一言も漏らさないとでもいうように、彼女が私の手を握るよりも幾分強い力を込めてしっかりと握り返す。

「……お傍にいます、名無し殿。これからはずっと、貴女だけの軍師として…いつまでもずっと、貴女の傍に……」

例えどんな困難が待ち受けていようとも、決して繋いだ手を離さない。

もしここで名無しのこの手を取らなかったら、彼女は私の目の前でたちまち海の泡みたいに消えてしまうような気がするから。

そして何より、名無しと出会った事を後悔するよりも、彼女を失う事の方が私は一層後悔すると思うから。

「───剣に誓います」

ガンッ。

彼女に対する誓いの言葉と共に、私は自分の腰から引き抜いた二本の双剣を大広間の床に突き刺す。

そして私は名無しの白い手を取って、そっと自らの唇を寄せて彼女の甲に口付けする。

4年前に名無しに伝えた時よりも何倍も重く、遙かに強い思いを込めて。

(貴女を愛しています。名無し)

そもそも、何故私はこんな所にいるのだろう。何故、過去の出来事を再現しているのだろう。

これは私に課せられた罰だとでもいうのだろうか。

初めて経験した恋にすっかりのぼせ上がり、一人舞い上がって我を忘れ、己が何よりも愛する最愛の女性を力ずくで無理矢理手に入れた事への、罰。

(そうだとしても、どうでもいい)

これが罰だろうが何だろうが、今更もうどうだっていい。

私の命が尽きるまでに一秒でも長く名無しに触れられて、彼女の存在を一番傍で感じる権利が得られるなら理由なんかどうだっていい。

そんな事を考えていた矢先、何故か私の脳裏に結婚式で新郎新婦に向かって告げられる誓いの言葉が浮かぶ。

その健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか

(……誓います)

まだ付き合ってもいないのに突然何を、と他人から見たら笑われてしまうかもしれないが、もしこの場で問われたら私は迷わずそう答える。

例え名無しからの返事が得られなくて、今も昔もこの先も、私の一方的な思いにしか過ぎなかったとしても、それでも私は彼女を愛する事でしょう。

名無しと過ごした数年間の様々な出来事が記憶の海から溢れ出て、私の体内を駆け巡る。

私と彼女を結び付ける全ての記憶と思い出が、最初からなかった事になんてしたくない。

「ありがとう、陸遜殿。同じ軍に所属する仲間として今日からよろしくね。死が二人を分かつまで……」
「約束します、名無し殿」

約束します

太陽のように暖かい笑みを浮かべ、心底嬉しそうに話す名無しの言葉に承諾の意思を告げた途端、何だか無性に切なくなって、泣きたいような気持ちが募る。

胸がギュウッと締め付けられるような強い痛みに息苦しさを覚えながら、それでもまた名無しと一緒にいられる幸福感と安堵感に包まれた笑みを浮かべて、私はずっと彼女の瞳を見つめていた。




何度神様が私にチャンスを与え、過去の世界に戻してくれたとしても、私はやっぱり彼女と共に生きていきたい。

健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、許されるなら私は貴女と一緒にいたい。

我々に与えられる全ての感情を、貴女と共に分かち合いたい。

そしていつまで経っても一向に脱出できず終わりも見えず、何の救いもないかの如く感じられる、無限ループのような世界の中で。


私は彼女に対する愛憎が生み出すこの耐え難い喜びと苦しみの連鎖を、永遠に繰り返すのだろう。




─END─
→後書き


[TOP]
×