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【Infinite loop】
 




今まで生きてきて、「もしあの時に戻れたなら」と思った経験があるという人は結構多いのではないだろうか。

もし過去に戻れたら。失ってしまった日々に戻れたら。

二度と会えなくなってしまったあの人ともう一度会えたなら。己の人生を、最初からもう一度やり直す事が出来たなら。

(今の自分なら、きっとあの時選んだ答えとは別の答えを見いだせるはずだ)

そう思いながらも二度とやり直しが利かないのが人生というものであり、過去の自分に後悔しながら日々を過ごすのが世間の人々だと思う。


……が、何の運命のいたずらか、私にそのやり直しのチャンス≠ェ与えられた。


それは驚く程に何の予告すらもなく、突然に。




Infinite loop【無限ループ】




ある日の朝。

いつも通りに目覚めた私は、ただ呆然としていた。

(どういう事だ)

いつも通りの朝。いつも通りの風景。一見何も変わらないように思える自分の部屋なのに、何かが違う。

部屋のレイアウトがどことなく違う。以前片付けたはずの道具が何故かある。

処分したはずの衣服が衣装棚の中に入っている。なくしたはずの物が戻っている。己の髪型や髪の長さが微妙に違う。

そして何より、自分を取り巻く周囲の日付が違う。

壁にかけられている暦は4年前の日付になっており、机の上に置かれている書類の作成日も4年前の物。

よく見ると、その書類自体もかなり古い内容であり、とっくの昔に可決された案件だった。

始めは自分の身に起こった事が一体何なのか分からず、ひょっとして誰かが仕組んだ巧妙な悪戯なのか?と考えた。

そう思い、他の人々に話を聞こうとしてみるも、自分以外の人間全ての言う事がおかしい。

誰に今日の日付を尋ねても全員口を揃えて「○月○日」だと答えるし、4年前に起こった出来事をまるでつい最近の出来事のように語る。

城内の風景も奇妙で、以前取り壊された施設が何事もなかったように復元されている。

中庭に植えられている木々や植物の中には明らかに背丈がおかしい物も混ざっており、昨日まで見ていた高さよりずっと低い。

(……どういう事だ?)

他に言葉が見付からず、同じ疑問がひたすら私の脳内を駆け巡る。

これは一つの想像にしか過ぎないが、私は過去の世界に戻ってきたとでも言うのだろうか。

今まで昔話や書籍の中の話では幾度か聞いた事があるが、それが実際に自分の身に起こるなどとにわかには信じがたい。

日頃の疲れが溜まりに溜まり、ついに自分の頭がおかしくなってしまったのだろうか。

そんな事を思いつつ、一人だけ取り乱している様を見られるのも恥ずかしくて、内心強く動揺しながらも表向きは平静を装いつつどういう事だ。どういう事だ?≠ニ戸惑いながらも仕方なく自室で書類作りに勤しんでいると、誰かが扉をノックする音がした。

誰だろう、と思いつつ開けてみると、そこには一人の兵士が立っている。

「執務中に失礼致します。陸遜様、先程から孫堅様がお待ちです。陸遜様に紹介したい人物がいらっしゃるという事で、急ぎ大広間までお呼び立てするようにとのご命令です」
「……!!」

よく通る声でキッパリと告げられた兵士の言葉を聞いた途端、私の両目はあまりの驚きに大きく見開かれ、喉の奥がゴクリと鳴った。

聞き覚えのある内容。同じ状況に、同じ話の流れ。

そう。私が執務中に孫堅様に呼び出され、『彼女』を紹介された、4年前の─────。




「忙しい所を急に呼び出してすまぬな、陸遜。どうしてもお前に引き合わせたい人物がいるのでな」
「そんな……とんでもありません。殿のお呼びとあれば私はいつでも殿の御前に馳せ参じます。そのような事は……」

昔と同じ孫堅様の台詞に自分も同じようにして過去に自分が告げた言葉を返しつつ、内心酷く緊張しながら孫堅様の前で跪いて頭を垂れていた。

普段通りの冷静さを保ったままでいようと思うのに、どうにも胸の動悸が収まらない。

まるで心臓が口から飛び出るんじゃないかと思うくらい、私の心臓は普段の何倍もの速さでドクッ、ドクッとハイペースな鼓動を刻んでいる。

こうして下を向いたままでも、少しでも落ち着こうと思って深呼吸をしながら目を閉じたままでも、あの時の事がはっきりと思い起こされた。


コツコツコツ。


(────来た……!)


規則正しい足音が大広間の中で響き、私の方に向かってゆっくりと近付いてくる。

ああ、この足音。この空気。

この日、この空間で起こった出来事が私には全て思い出せる。

何度も繰り返し夢に見たこの光景。

慌ただしい執務と激しい戦いに身を委ねる日々の中で、ふとした瞬間に愛しい女性に初めて出会えた運命的な瞬間を幾度となく思い出し、当時の思い出に浸りながら何度切ない思いに胸を痛め、それでも彼女に出会えた喜びに感謝しながら自分を慰め、己を奮い立たせて来た事か。

(彼女だ)

孫堅様に紹介されなくったって分かっている。

緊張と動揺。喜びと切なさで胸が張り裂けてしまいそうです、愛しい人。

(だってここにいるのは、4年前の)

コツコツコツ。

コツン。

柔らかい足音が、私の真ん前で鳴り止む。

相手の顔を見ようとしてゆっくりと顔を上げれば、私の視線の先にあるものは、今まさにここで私の前で立っている人物は─────。


(名無し)


「初めまして。私は名無しと言います。今日から孫堅様の命を受け、この城を任される事になりました。……貴方の名前は?」


あの時と変わらぬ眩しい程の笑顔で私に語りかけてくれたのは、名無し。

当時違和感を覚えた、彼女の雰囲気には不似合いな衣裳の素材もデザインもそのままで、私は自分でも驚く程の大きな感動に胸を打たれていた。

この謁見の為に無理矢理整えられたような煌めかしくも豪勢な衣裳を身に纏い、どこか照れたような表情を滲ませながらはにかむ名無し。

私を見つめるその眼差しは、初対面の人間と話す一抹の緊張感と同時に、共に闘う仲間に対する信頼感と暖かい好意の色に満ち溢れている。

「私は……陸伯言と申します。呉の軍師として、軍事参謀全般を担っております……」
「…軍師…、貴方が…?」

感動で、声が震える。

パッと見るだけならどこから見ても普通の女の子といった外見でありながら、この先孫堅様の配下として私達呉の武将達を取り纏めるという重い任務に就く事になる彼女。

優しげで暖かみのある笑顔と瞳の奥に、女性ながらに男社会の軍という世界で生きていく事を決意した芯の強さと、他人の気持ちを気遣う聡明さや思いやりを備えた彼女。

ずっとただひたすら仕事に打ち込んできた私の人生に、初めての変化をもたらした相手。


……私の、初恋の人。


以前経験した出会いのシーンをただなぞっているだけなのに、今も変わらず過去の名無しにときめきを抱いている自分自身に気付き、彼女への愛の深さを再認識出来た幸せと喜びで胸がズキンと痛む。


同時に、自分でもどうしようもないと思えるくらいに、言葉にならない程の大きな─────絶望感。


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