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【愛の発光】
 




「ご名答。蛍が何故光るのかと言えばその求愛活動の為。コミュニケーションの為なんだ」

甘いハスキーボイスに誘われるようにして顔を上げた名無しの視線の先で、郭嘉の瞳が宙を舞う蛍たちの姿を捕らえる。

「もっと言えば、光り方にも色々な種類があるんだよ」

郭嘉によると、蛍はその光り方によって様々なシグナルを使い分けているのだそうだ。

好みのメスを見付けた時、オスが『あなたが好きです』と求愛する。

今度は、そのシグナルを受けたメスが『はい。私もあなたが好きです』『あなたを受け入れます』というOKのサインを出す。

もしくは、『ごめんなさい。あなたのこと、好みじゃないです』『拒否します』というNGの意味の光を発してオスの求愛を退ける。

その他にも驚いた時や敵から身を守る為に光るなど、蛍の発光には色んな種類の意味が隠されているのだ。

「そうなんだ…!さすがは郭嘉。色んな事に詳しいんだね」
「はは、そんな事はないよ。単に蛍が好きなんだ」
「うん、私も好きだよ。じゃあ今度は私からの質問ね。郭嘉は蛍のどんなところが好きなの?」
「どんなところ?そうだね……」

名無しの質問を受けた郭嘉は、しばし考え込むような素振りを見せた。

少しの時間をおいた後、やがてゆっくりと口を開くと、郭嘉は静かな声で語り出す。


「……成虫になってからの短い命。その一瞬しかない時間を争うように、オスはメスに求愛する」


そう告げて蛍の群を見つめる郭嘉の瞳に、言葉に出来ないほど複雑な色が滲む。


「そんな彼らの姿を見ていると、まるで自分を見ているように思うんだ」


早死にする事を宿命付けられた種族。己に残された僅かな時間。


その僅かな時間を争うようにして懸命にメスを追いかける蛍の姿が、まるで今の自分と同じように思えると郭嘉は言う。

蛍の発光は『求愛行動』だ。

成虫になった若いオスが、その短い生涯の間に少しでも己の遺伝子を残そうとしてメスを引き寄せるために必死になって己の体を光らせる。


見事に結ばれた蛍たちは、時間を惜しむようにして一晩中延々と交尾を行う。


交尾が終わると、オスの発光は次第に弱くなり、やがてそのまま─────死んでしまう。


「ふふっ。どうしてそんな事を言うの?郭嘉。郭嘉の人生にはまだまだこれからも一杯時間があるじゃない!」

笑いながら語る名無しを、郭嘉の切れ長の瞳がじっと見返す。

「本当に……そうだといいね。今夜は素敵な夜だ。このままずっとこうしてあなたと居られれば……。来年もまた同じように、あなたと二人で蛍を見に来る事が出来るなら……」
「……郭嘉……?」

男の手が名無しの顔に伸ばされ、長い指先が彼女の頬をそっと撫でた。


ゾクリ。


その瞬間、名無しは何とも言えない不安を抱いた。

普段は暖かいはずの男の肌が、今日はとても冷たいものに感じられたからだ。

きっと外に出ているからだ。夜風で体温が下がってしまったのだろう。

そう思おうとしているのに、何故か今日の名無しにはそんな風に楽天的な考えは微塵も浮かんでこなかった。

ただ目の前に立つ男の美貌がどことなく憂いを帯びていて、その眼差しがとても切なくて、その甘い声がなんだかとても寂しそうに聞こえる。

普段は名無しを優しく包み込んでくれる彼の大きな掌が、今日はまるで死人の肌のように冷たくて。

彼の存在そのものが泡沫のように水辺に溶けて、このまま消えてしまいそうなほどに儚く感じられて……。


─────郭嘉?


「郭嘉…、どうしてそんな事を」

伸ばされた男の手に自らの手を重ね、郭嘉の手を優しく包み込みながら、名無しは郭嘉の端整な顔を見上げる。

「急にどうしたの?郭嘉」
「……。」
「心配しなくても、私と郭嘉はずっとずっと一緒だよ。郭嘉さえ良ければ、来年も再来年もそのまた先も、こうして二人で一緒に蛍を見に来ようね」


来年も再来年も、そのまた先も、ずっとずっと─────。


二人で一緒に蛍を見に来よう、と語る名無しの笑顔が暖かくて、自分を見つめるその眼差しがとても優しくて、どこまでも愛情深い輝きに満ちていて、郭嘉は眩しそうに目を細めた。

「そうだね……。本当に、その希望が叶うなら……」

どこか含みのある言葉を発すると、郭嘉はぎゅっと名無しの手を握り返す。

郭嘉はそうしてしばしの間名無しの手を繋いだまま、黙って名無しを見つめていた。

こんな風にして真正面からじっと見つめられ続けたら、居心地の悪さを感じる人間がいてもおかしくない。

それなのに、少しも不躾な視線に感じられないのは、郭嘉の瞳が黒ではなく、神秘的な輝きを宿す淡い色だからかもしれない。


「……好きだよ。名無し」
「!!」


突然の告白に、名無しは驚いて目を見張った。

「名無し。もう一度言う。あなたが好きだ」
「……か、郭嘉……っ」

薄く形のいい唇から響くのは、どこまでも女心を惑わせる、色っぽくて甘い声。

騙されてはならない。

きっと郭嘉の事だから、こんな台詞は自分だけじゃなくて他の大勢の女の人にも言っているんだ。

そう心の中では分かっているのに、この手を振り解かなきゃと思っているのに、どうしてもこの魔性の瞳に名無しの全てが吸い寄せられる。

視線が、離せない。


「あなたを残していかなければならない事が、私にとって大きな心残りだよ」


どこか哀愁を帯びた瞳で、切なそうな表情を浮かべて郭嘉が言う。


(どうしてそんな事を言うのだろう)


心の中に生まれる疑問は外に出す勇気を持たず、名無しの内部で渦巻くだけで形にならない。


(……あ……)


瞬間、名無しはドキッとした。

己の目に映った光景の奇妙さに息を飲む。

丁度角度が合ったのか、位置的なものなのか、夜空に輝く月の光が郭嘉の背後から降り注ぎ、男の全身を照らし出したのだ。


……そんな彼らの姿を見ていると、まるで自分を見ているように思うんだ


月光を背に浴びて、その輪郭に沿って淡い光を放っているような郭嘉の肉体。

その現象は、まるで郭嘉が自分の力で己の体を内側から発光させているかのようにも見える。


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