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【ひどいひと】
 




「弟だろうが興味がない」

だが、案の定と言うべきか、名無しの回想話を聞いた司馬師はきっぱりと答える。

「大体、メロンとかやたらと値段が高くないか?」

しばし名無しに考える余裕を与えてから、司馬師は形の良い唇を開く。

「先日鍾会が贈答用に何個か注文しているのを見かけたが、得意げな顔で1個一万円近くする物だと言っていた。一万だぞ?果物がだ。あいつは坊ちゃんだからそれくらいなんでもない買い物なのかもしれないが、それにしても高すぎる」

呆れたように告げる顔は、彼の言葉が本心から出ている事の表れだろう。

(まあ、確かに…。でもそれを子元が言うっていうのが何だか不思議に思えるかも)

司馬師自身も世間から見れば十分すぎる所か、上から数えた方が早いくらいのハイクラスに位置するお金持ちのお坊ちゃんだ。

だからこそ、そんな彼の口から高すぎるという言葉が出るのが名無しには妙に新鮮な事に感じられた。

「普通の八百屋さんで売っている物とかなら安いのも置いてあるけど、確かに贈答用みたいな物になると値が張るよね。でも、私も前に一度お祝い物で頂いた事があるけど、やっぱり高価なだけあって食べてみたら本当に美味しかったよ!メロン農家さんが一生懸命手間暇かけて育ててくれた物だけあって、それだけのお値段がする価値があるというか」
「当り前だろう。高い金を出した挙げ句、それでまずかったら話にならん」
「まあ、そうだけど…」
「確かに味は美味いと思うが、だからといって積極的に買おうという気は起こらない。同じ金額を出すのなら、私なら断然肉まんだな。1万円分肉まんを買うなら納得する」

どこまでも冷静で現実的な口調で持論を述べながら、当然とばかりに肉まんを推す司馬師。

(よっぽど肉まんが大好きなんだね、子元)

彼の肉まん好きは城の者であれば誰もが知っている公然の事実だが、それでも彼の中で肉まんが高級メロンと同じくらいの位置付けにまでなっているとは名無しも恐れ入った。

鍾会も司馬師も共に金に不自由しない身の人間同士とはいえ、金持ちだから何でもかんでもお金を使うという訳ではなく、どういうものにどれだけつぎ込むかという基準に関しては人それぞれという事か。

「あ…、そうだ!果物を丸ごと食べるのと、ジュースやお菓子みたいな加工品を食べるのとなら、子元にとって少しは違う?」

生のトマトは嫌いでもケチャップは好きだとか、栗きんとんは好きだけど甘栗は苦手、のように同じ物でも元の姿と加工品で好みが変わるというタイプの人間が名無しの周りに数名いる。

その事を思い出し、もしかして司馬師も一緒かも?と考えた名無しは、その疑問を司馬師にぶつけてみた。

「ケーキやゼリーの中に入っているような細かく刻まれた物ならまだ食べやすい。……多分」

いつも歯切れの良い口調で述べる彼にしては珍しく、迷うようにして司馬師が告げる。

普段あまり好きではない野菜でも細かく刻んでカレーに混ぜてあったらまだ平気≠ニいうような、これまた子供にありがちな主張と彼の発言が名無しの中でどことなく重なり、名無しの心がホワッと暖まる。

彼のような男性には決して似合わない言葉だと重々承知の上ではあるが。

そんな司馬師の反応も全て含めて、名無しは今日の子元は何だか可愛い≠ネどという感想を抱いてしまった。

「良かった…!じゃあ、仕事が終わったら私この林檎でアップルパイを作ってみるよ!それなら子元、少しくらいは食べてくれる?」

目から鱗が落ちたような顔をして、名無しがポンッと手を叩く。

司馬師にも食べて貰えるかもしれないという喜びと期待を全身から滲ませて、名無しは嬉しそうに輝く瞳で男を見つめた。

すると司馬師は眩しい物を見るように切れ長の目を少し細め、角度を変えて頬杖を付き直しながら、名無しにゆっくりと視線を合わせる。


「……お前が私の為に作るなら」


(うっ……!!)


緊張に、名無しの喉がゴクンと鳴った。

命令的な口調で、どうでも良さそうな素振りで、一見冷たく聞こえるような声質で、でも、何か裏があるような甘い響きを内包し、司馬師の声が名無しの心を妖しく震わせる。

「先に言っておくが、昭の分は作らなくていいからな」
「……え……」
「我が弟ながらあいつの食い意地の汚さは天下一だ。どっちの分がデカいとか林檎の量が多いとか、均等に切れていないだとかなんだとか、どうでもいい事で文句を言ってくるに決まっている」

せっかく作るんだから他の人の分も∞どうせならみんなで食べよう≠ニ。

自分達以外の分もまとめて作ろうと思っていた名無しの思考パターンを完全に読み取るようにして、司馬師は事前に名無しに釘を刺す。

「いいか。他の男の為に時間を割くな。その分、お前が私の面倒を見る時間が減るのが気に食わぬ」

司馬師の言葉が耳に届く度に、名無しはトクン、トクンと胸が鳴る。

司馬師はいつもこうなのだ。

司馬師だけではない。正しく言えば彼の父親である司馬懿もそうだし、名無しの仕える曹丕もそう。

単に名無しを下に見ているだけのような、下女扱いのような発言でありながら、見方によっては別の意味にも受け取れるような台詞を予告なく振らせてくる事がある。

意味深で、甘く。

ただの奴隷対象としてではなく、自分の事を一人の女性として求めてくれていると錯覚させるような、女心を惑わせるような危険な台詞を。


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