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【ひどいひと】
 




午前中の仕事を一通りこなし束の間の休息を取ろうと名無しが休憩室を訪れた際、そこにはすでに先客がいた。

彼女と同様、たまたま同じ時間に休憩を取っていた司馬師である。

昼食を終えた名無しはデザート用に持参した林檎の皮を果物ナイフでクルクルと剥きながら、意外そうな口調で司馬師に言う。

「そうなんだ。子元って、果物あんまり好きじゃなかったんだね」
「好きじゃないというか、単にそれほど興味がない」

気怠そうに頬杖を付きながら、司馬師は言葉通り大した興味もなさそうな視線を名無しの手の中にある林檎に注ぐ。

すると名無しは少しだけ残念そうな色を瞳に滲ませたが、それでもどこか納得した様子で言葉を続ける。

「そっか…。せっかくだから子元と一緒に食べようと思ったんだけど、だったら仕方ないよね。果物っていうことは、やっぱり林檎も蜜柑も梨も苺も全部だめ?」
「林檎はまだ食べる方だ。まあ…他のも出されればそれなりに」
「あれば食べる、ってくらい?」
「そうだな。心底嫌いとまではいかないし、出されれば食べない事もないのだが、わざわざ自分で皮を剥いてまで食べたいとは思わない」

────そんなものは、聞くだけ野暮。

そう言わんばかりのどうでもよさげな口調に聞こえるが、元来真面目な性格もあってか、名無しの質問に対して的確な返答をする司馬師。

軽く眉間に皺を寄せた彼の顔立ちはいつも通りの大人っぽさと涼しさを兼ね備えた美しいものだったが、『自分で皮を剥いてまで食べたくない』という言い方が少しだけ子供っぽいものに感じられ、名無しの口元に柔らかな笑みが浮かぶ。

「ふふっ」
「何がおかしい」
「ううん。なんでもありません」
「お前な…」

司馬師はくすくすと笑う名無しを見て何か言いたそうに口を開いたが、別段興味もない話題を無理に続ける必要性もないと感じたのか、一旦間を置いた後口を閉じる。

『白馬に乗った王子様』か、『黒髪の貴公子』か、『麗しのご主人様』か。

そういった賛辞の言葉を並べ立てたくなってしまう程の超絶美形、かつ洗練された大人の男性という印象を抱く司馬師のような人間がこんな風にして困惑気味の表情を浮かべたり、言葉に詰まるような姿を見られるのは名無しでなくても滅多に無い機会ではないだろうか。

「だって、子元が自分で果物の皮を剥いている姿なんてあんまり想像出来なくて」

睨む司馬師の視線の先で、クスッと笑いながら名無しが言う。

彼のように身分の高い男性であればそういった身の回りの世話をするのは下女の役目なので、最初からそんな必要などないのだが。

この際身分的な理由を省いたとしても、司馬師のようなイケメンが一人でそんな事をしている光景を目にしたら、黙って座っている女性が多いとは思えない。

「子元はモテ男だから、それを余所で言ったらきっと大勢の女性が『司馬師様のお手を煩わせるなんてとんでもない!』とか『私がいつでも皮を剥いて切り分けます!』って立候補してくれると思うよ」
「なんだそれは。想像するだけで鬱陶しい光景だな」

しかし、そこは司馬懿の血を引くクールな司馬師。

聞く者の鼓膜を妖しく震わせるような極上のハスキーボイスで、司馬師は半ばお約束とも思えるような返事をピシャリと言い放つ。

「知らない女の手垢が付いた汚染物質など誰が食べるか」
「そ、そう…。ちゃんと手を洗ってから剥いてもだめなの?」
「嫌だ。気持ち悪い」
「ちょっと…、何その言い方。普段子元が食べてる食事だって料理人の人達が作ってくれているんだから、それを言うなら全部『他人が触れた汚染物質』になっちゃうよ」
「ふん。素人の行動と職人を同列に扱う気か?衛生管理もきちんとされているプロの料理人と、その辺のアバスレのでしゃばり行為を一緒にするな」
「もう!子元ったら!」

ああいえばこういう。

半ば屁理屈レベルのような感じもするが、名無しの反論を封じ込めるようにして即座に切り返してくる弁舌の巧みさは父親譲りといったところか。

「───あ。果物と言えば、この前子上がメロン狩りの話をしてくれたんだけど」

今まさに何かを思い出したとでもいうような顔で、名無しがポツリと呟く。


『俺、この間連れとメロン狩りに行ったんだけどさー』

回覧物を届ける為に名無しの部屋を訪れた際、司馬昭は挨拶代わりとばかりに名無しに話しかけてきた。

『ええーっ!本当に?いいなあ〜。ねえねえ、どうだった?いいのが一杯取れた?』
『くぅ〜っ、そうそう名無し!それだよそれっ!』

男の口から出たメロン狩り≠ニいう言葉に反応し、興味津々!とばかりにキラキラと目を輝かせながら聞き返す名無しを前にして、司馬昭が嬉しそうな笑顔と共に声を弾ませる。

『ここに来る前に兄上にも報告したのにさ、お前と違ってふーん≠フ一言で即終了。寂しいったらないぜ』
『そ…、そうなの?』
『そうなの。で、それ以上全然話が続かないときたもんだ。普通さあ、可愛い弟がメロン狩りに行ってきた!とか言ってきたら名無しみたいにえっ!本当!?どうだった!?≠チて反応にならねえ?』

子供のようにムッと唇を尖らせながら、不満そうに司馬昭は言う。

いくら司馬師にとってまるで興味のない話題であろうと、司馬昭いわくそこは血の繋がった可愛い弟=B

『多少つまらなくてもちょっとは俺の話を聞いてくれるとか、世間話よろしく表面上だけでも俺に調子を合わせてくれるとかしてもよくないかー?』

名無しに向かって膨れ面でそう言い募る司馬昭の気持ちも、分かるような気はするのだが……。


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