SS 【SとM】 「それをネズミ語で言え」 「はっ、はい!曹丕!!ただちに………えっ。えええ───っ!?」 男に与えられた命令の不可解さに、名無しが素っ頓狂な声を出す。 条件反射的に『はい』と言ってしまったものの、曹丕の命令に従うには一体どうすればいいのだろうか? しかし、ここで曹丕の言う通りにしなければどんな目に遭わされてしまうか分からない。 「───やれ」 戸惑う名無しに追い打ちをかけるかの如く、有無を言わせない曹丕の鋭い目付きと口調。 「はっ…、はいっ!やります。やりますっ!!」 でっ…、でも、いきなりそんな事を言われても……っ。 ネズミ語…!?ネズミ語で言うって何ですか!? 人間の自分に、正しいネズミ語なんて分かるはずがない。 それって一体どういう事なんでチュー!? 「…え…っと…、その……。そ、曹丕は本当に…ドSでチュー…。難しい…人なんでチュー…」 「……。」 「そっ…、曹丕はいつもひどいことばかり言うんでチュー。い、いいい…意地悪なんでチューッ!」 言っちゃった!! 咄嗟に思いついた言葉を口にしてみたものの、これで合っているのかどうかという不安と戸惑いで名無しの頭はパニック状態に陥った。 曹丕の前で失態を犯してしまったという後悔の念、己の情けないと込み上げる激しい羞恥の為か、名無しは真っ赤な顔で両手をプルプルと震わせながら両目に涙を溜めている。 「……クッ」 「!!」 「お前、本当に馬鹿だな。ククク…」 バサリと音を立て、読み終わった書類を机に置きながら曹丕が笑う。 「まさか本気でやるとはな。何だその胡散臭いネズミ語は?クソ真面目な反応で、そんな今にも泣き出しそうな顔をして…ハハハハッ…!」 怒られるかと思ったが、名無しのネズミ語変換はどうやら曹丕のお気に召したようだ。 馬鹿にされた≠ニ思い、名無しは恥ずかしさでカーッと全身が火照るのを感じたが、目の前で楽しそうに笑う曹丕の姿を見ていると、自分の中にあった様々な感情が一気に吹っ飛んでしまった。 嬉しそうに笑う曹丕。楽しそうに語る曹丕。 なんて格好いいのだろう。なんて素敵なのだろう。 いつもの冷たくてクールな曹丕も勿論格好いいが、こんな風にして笑う曹丕も相変わらず涼しげで精悍で男前で格好いい。 普段滅多に声を出して笑うような事がない曹丕が笑ってくれているのがとても貴重な事のように感じられ、そんな彼の姿を間近で見られた事が名無しは心底嬉しくなってしまう。 どんなに恥ずかしい姿をさらけ出そうが、嘲笑されようが、それで曹丕が楽しんでくれるのであれば問題ない。ご主人様の喜びこそ私の喜びです。 そんな風に思い、つい幸福感に濡れた瞳でうっとりとご主人様を見つめてしまうのはM女の性なのだろうか。 ううう…。くっ……、悔しいっ!! 「お前に言われずとも、私がサド男である事は否定せんが」 笑いを堪えるようにして、手元を口に当てながら曹丕が言う。 「サド要素の有る無し≠ニいうテーマで語るなら、それはお前も同じ事だ。お前は確かにどこから見てもドMな女に思えるが、同時に多少のS要素も秘めている」 「…えっ?私がS!?」 男の口から放たれた言葉の意外さに、名無しは驚いて目を見張る。 「多少の、といっただろう。割合でいえばそう多い方ではない。私や仲達が限りなく10に近いSだから、それに比べてみれば大したものではないだろうが」 「私の中にあるSとMの…割合…?」 「そうだ」 男の説明を受けても何が何やらさっぱり、といった顔でポカンとしている名無しに対し、曹丕はさらに続ける。 「程度の差こそあれ、人間誰しも己の中にサディスティックな要素とマゾヒスティックな要素を同時に併せ持つものだ。私も仲達もお前も同様。要はその割合が人によって何対何になるかの違いがあるというだけで、何も不思議な事ではあるまい」 「それは…そうだけど…」 その話は、確かに自分もどこかで聞いた事がある。 人間は誰しもその心の中にS要素とM要素を同時に内包し、そのどちらの割合が色濃く出ているかによってSかMかに分かれるのだと。 「また、同じ人間でも相手との力関係や状況によって違いが出てくる」 曹丕がしてくれた説明はこうだった。 同じ人間でも、今まで付き合ってきた恋人に対してはSだったのに、現在付き合っている恋人に対しては何故かMになってしまう事がある。 これは自分よりも相手の方がよりS度が高かった&自分が相手を好きすぎてつい相手に気に入られようとして従ってしまうため、Mの役を引き受けてしまう。これが相手との力関係による違い。 また、セックスの時にはバリバリのドSでも、日常生活や仕事に関してはドMな生活を送っている人もいる。 もしくはその逆で、職場や友人関係、家庭内ではSな人間で通っているのに、セックスの時はドMになってしまう。これが状況による違い。 人間は様々な要素を持っている。一つの方向からだけを見てSだと思っても、見方を変えればMになる事もある。逆もまた然り。 「まあ、私や仲達のようにどんな時でも常にSな人間もいるけどな」 (うーん。さすがは曹丕。歪みがない) しかし、曹丕達のように安定のSっぷりを発揮してくれる男性に対しては名無しから見ても分かりやすいのだが、自分のような人間にもS要素がある≠ニ言われても今一つピンとこない。 自分で言うのも恥ずかしいが、曹丕や司馬懿に対する己の反応はどこからどう見ても100%ドM路線だと感じる。認めたくはないが、事実だ。 「そんな…。でも曹丕、私がSって…具体的にはどのような…」 どれだけ考えてみても曹丕が言う多少のSっ気というのが思いつかず、名無しは仕方なく男に教えを請う。 「───それだ」 「え?」 「そのおとぼけぶりだ。お前のS要素は」 真摯な名無しの訴えに、曹丕が深い溜息を漏らす。 数多くの女性に愛を告げられても、『どうでもいい』と答えてスルーを決め込む無関心。お前なんかに興味はないと突き放す素っ気なさ。 相手に求められても易々とは応えてくれないハードルの高さ。手に入れようとしても入手困難な高嶺の花。 それが曹丕や司馬懿のように分かりやすい『表のS』だとしたら、名無しのは分かりにくい『裏のS』だ。 男性に思いを寄せられていても基本的に気付かない。総スルー。 思い切って『あなたが好きだ!』と告白しても『私も○○さんの事が好きですよ。一緒ですね!』と単なる友愛台詞のようにして笑顔でサクッと流される。 そうではない、異性として好きなんだ!とさらなる勇気を振り絞って伝えても、『あなたみたいな素敵な方に、私は相応しくないと思います』と切なげに目を伏せられ、やんわりと断られる。 もしくは、間接的に『お前が好きだ』という事を言葉の意味に込めてそれとなく伝えるという方法をとってみても、『?どういう事?』『え?ごめんなさい。今何か言った?』ときょとんとした顔で聞き返される。 [TOP] ×
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