SS 【白黒世界】 初恋は実らないものだと、誰かが言っていたような気がした。 私は名無しの事が好きだった。 この数年間、私はずっと彼女の事を思ってきた。彼女の事だけを考えてきた。 こんなにも誰かの事を好きになったのは初めてで、仕事が手に付かなくなるくらいに誰かの事で頭が一杯になってしまうなんて初めての経験だった。 この城にきて、軍師という職業に就いてから。ただひたすら仕事に打ち込んできた私の頭上に突然舞い降りた────初恋だった。 生まれて初めて芽生えたこの想いをどう処理していいのか分からず、長い間何も言えずに過ごしてきた反面、そんな自分の姿を不甲斐ないと感じていたのも事実。 だからこそ、思い切って前に進もうと思った。 例え今の関係が壊れてしまう結果になったとしても、このまま自分の気持ちを伝えられないまま全てが終わってしまうよりはよっぽどいい。 勇気を振り絞って、名無しに対する積年の想いを伝えよう。 嘘偽りない己の気持ちを、彼女に面と向かって告白したいと思った。男らしく。 「大切な話があります」 よく晴れた日の朝、私はそう言って城の屋上に彼女を呼び出した。 女性からの呼び出しを受けて愛の告白をされたのは数え切れない程経験してきた私だが、逆の立場になったのはこれが初めての事だった。 生まれて初めてする自分からの告白。その為の呼び出し。 好きな相手に告白をするのはこんなにもドキドキする事なのだというのを初めて知った。 何もかもが未知の事だらけで、事前準備も心構えもあったものではなくて、極度の緊張と不安、そして一抹の期待を胸に抱きながら私は昼休みに屋上へと向かっていった。 万に一つの可能性でもいい。 どうか名無しが私の気持ちに応えてくれやしないだろうか、と。 この決断と行動が私と彼女の関係を新たな世界に導いてくれないだろうかという淡い期待を込めて。 私が息を切らせながら階段を駆け上がって約束の場所に辿り着いた時には、すでに私より先に来ていた名無しの姿がそこにあった。 「陸遜」 私の到着に気付いた名無しが、柔らかい微笑みを浮かべながらゆっくりと振り返る。 いつも通りの名無し。 いつも通りの光景。 そしていつも通りの私と名無しの関係。 世界中に私と名無ししか存在していない限られた空間の中で、名無しの視線は真っ直ぐに私に注がれていた。 ─────私だけに。 「名無し。あなたが好きです」 「初めて出会ったあの日から、私はあなたの事が好きでした」 「急にこんな話をされたらビックリすると思いますが、決して嘘なんかじゃありません。本当なんです」 「あ…あなたの周りにいる他の男性達に比べて、私は年齢的にまだ若いかもしれません。それなので、少々頼りなく感じる部分もあるかもしれません…」 「ですが…、ですが、あなたを思う気持ちは誰にも負けないつもりです。あなたを愛するこの気持ちも、あなたの事も誰にも譲りたくないのです」 「私以上にあなたの事を好きな男なんてこの世にいません、絶対に……!」 普段軍師の仕事をしている時と違って打算も駆け引きも余計な事は何も無く、ただひたすら正直に想いを伝えた。 一生懸命言葉を選び、真剣な眼差しで名無しを見つめ、自分に出来る限りの精一杯の告白をしたつもりだった。 必死だった。 私の告白を受け、始めは驚いた顔を見せていた名無し。 だが、やがてその表情に悲しみの色が宿り、困ったように視線を彷徨わせると、名無しは無理に作ったような微笑みを浮かべて『ごめんなさい』と告げた。 その後も二言三言、名無しが何かを言っていた気がする。 陸遜の事は大好きだけど……≠ニいうような、俗にいうフォロー的な何か。 私が名無し以外の女性から愛を告げられた時に否定の言葉に添えて述べてきた、幾度となく身に覚えのある言葉を。 そして彼女は私の横を静かに通り過ぎ、階段を下りていった。 広い呉城の屋上に、茫然と立ち尽くす私を置き去りにして。 私の何よりも大好きな名無しの微笑みと優しい眼差しに加え、彼女の体からいつも漂う、ほんのりした甘い香料の匂いだけ残して。 私の想いは叶わなかった。一世一代の告白に挑み、そして破れた。 『傷心』という言葉があるが、まさに文字通り私の心は大きな傷を負い、木っ端微塵に砕け散った。 最愛の女性からの拒絶の言葉に、私は自分で想定していた以上に、想像を遙かに凌ぐほどに大きなショックを受けた。 こんな想いを引きずったままではダメだと、自分でも分かっているはずなのに。 あなたへの想いという消せない火種を抱えたままの私は、全身に冷や水を浴びせられてしまった今でも完全に恋の炎を消火する事が出来ない。 今まであなたと築き上げてきた親密な関係が、あなたとの間にある沢山の思い出が、抜けない棘のようにいつまでも私の記憶に留まり続ける。 なんだったの? 二人で見上げた満開の桜。 あなたが私の為に作ってくれたお弁当を食べながら一緒に過ごした、春の花見。 なんだったの? 毎年夏になるとあなたと出かけた海。砂の上に腰を下ろし、二人で色々な事を語り合った夜の浜辺。 周囲の人々に散々冷やかされながらも、二人で一緒に海に泳ぎに行って来たのだ、と笑いながら水着の跡を披露してみせた夏の思い出。 なんだったの? 落ち葉を踏む音を楽しみながら、転ばないように手を繋いで山道を歩いた栗拾い。 物売りから焼きたての焼き芋を買って、二人で半分に割って食べた秋の夕暮れ。 なんだったの? 降り積もる雪を窓から眺め、私の部屋で暖かい白茶を飲みながら一緒に過ごした大晦日の夜。 吹雪の中、遠征から帰った私を見るなり私の傍に駆け寄り、労りの言葉と共に私の手を握ってくれた小さな両手から伝わるあなたの体温。 そんな色々な事が次から次へと私の脳裏に甦ってきて、それが余計に切なくて、私は満足に呼吸すら出来なくなる。 [TOP] ×
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