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【二人の秘め事】
 




「だって私もこのあと大きな会議があるんだもの。上手くやれるかな?って凄く緊張していた所だし、私も誰かにおまじないして欲しいな〜って思って」

名無しは伏し目がちな瞳でそう言うと、はぁっ…と小さな溜息を漏らした。

この時の名無しの様子から察するに、多分、彼女の言っている事に嘘偽りはないのだろう。

武将達のとりまとめ役として、自分の仕事以外にも沢山の副業を抱えている彼女の事である。

いくら明るくて笑顔を絶やさない彼女のような人間でも、時には疲労感を覚える事もあるだろうなと鍾会は思った。

「あなたの言いたい事は分からないでもないが、何故それをよりによって私に求める?頼めばやってくれそうな人間など、他にいくらでもいるではないか」

確かにこの魏城の男達は世間一般の男達に比べて多少冷たかったりサドっ気がある者が多いような気もするが、それでも司馬昭や夏侯覇、張コウ辺りなら名無しが頼めば快くやってくれるのではないだろうか。

そう思い、彼女の申し出を辞退しようとする鍾会を、ゆっくりと名無しが見上げる。

「そっか…。鍾会にやって欲しかったな…」
「うっ……」
「……そっかぁ……」

縋るような視線が、男を見る。

目に見えてしょんぼりしているように見える名無しの表情は妙に鍾会の男心をそそり、彼女に対する彼の庇護欲を掻き立てた。


はああああ…!?なっ…、なんだ!!このラブ光線!!


「……どうしてもだめ?」


悲しそうな顔でキュッと男の服の裾を掴み、潤んだ瞳をお願いします≠ニばかりにキラキラと輝かせ、懇願するような眼差しで鍾会を仰ぐ名無し。


くっそ!!くっそ!!


こんな風に懇願されて、全力で拒否できる男がいたら見てみたい!!


「……ああもうっ!」


そんな彼女の声と仕草にドキューン!!と心臓を打ち抜かれたように感じ、鍾会はブンブンと左右に大きく頭を振ると叫び声にも似た声を上げた。

ハーッと大きく深呼吸し、自らを落ち着かせる何かの儀式のようにしてゴシゴシと両手を擦ると、鍾会は名無しの前にズイッと両手を差し出した。

「あなたがどうしてもと言うから、不本意ながらだ!」

見るからに真っ赤な顔で、鍾会が言う。

鍾会の言葉と差し出された手を了承の合図と取った名無しは、喜びでパアッと目を輝かせ、自らも男に向かって白い手を差し伸べる。

「はい。鍾会!」
「くっ……!」

ニッコリしながら自分の方へと伸びてきた名無しの両手を見て、鍾会の顔がますます赤くなる。

何かから逃げようとするかの如くしばらく視線を彷徨わせていた鍾会だが、やがて覚悟を決めたようにしてコホンと小さく咳をすると、名無しの両手に自分の手を重ねてギュッと握った。

そして彼女が先程鍾会に対してやったのと同様に、名無しの手を握りながら彼女の顔をじっと見つめる。


「……名無し。あ…あなたならきっと大丈夫だ。あなたには私がついている。だから…その……頑張ってくれっ」


コクン、と喉を鳴らしながら息を飲み込み、モジモジした頬染め顔で、熱い吐息混じりに鍾会が告げる。

おずおずと、普段強気な彼には似合わない口調で丁寧におまじない≠かけてくれる鍾会から彼の生真面目さと誠実さを感じ取り、そんな彼の姿を目の当たりにした名無しの瞳が感動と喜びで濡れていく。

「嬉しい…!ありがとう、鍾会っ。私すごくやる気が出たよ!」

男の手を優しく握り返し、満面の笑顔で告げる名無しに鍾会が照れたような顔で返す。

「そ、そうか。なら良かった」
「うんっ。本当にありがとう。鍾会って本当は優しいね。もう大好き!!」
「そうか。なら良か……、はいっ!?」

感極まった声で言い募る名無しのお礼の言葉の最後が耳に届いた瞬間、鍾会の声が咄嗟に裏返る。

鍾会は何かに弾かれたようにして再度名無しの手を振り解くと、そのまま両手で彼女の肩をガシッと掴み、強い眼光で名無しの瞳を真正面から貫く。

「待て!名無しっ。そういう事……他の男にも言うのか?」

酷く動揺しているような、上擦った鍾会の声。

名無しは少し驚いたようにぱちぱちと睫毛をしばたかせると、きょとんとした顔で聞き返した。

「えっ…。どうして?なにか気になるの?」
「は!?ばっ、馬鹿を言うな!だ、誰が気にしてなんか!!」
「そっか、なーんだ」
「そうだっ。……じゃ、なくて!いいから質問に答えろっ。私以外の奴にも言うのか!?」
「本当は優しいね、ってこと?」
「違う!その後だ」
「その後って?」
「……っ!!」

真面目な顔で即座に尋ねる名無しに、鍾会が『うっ』と言葉に詰まる。

その瞬間ドキッと心臓が跳ねたのは、男の気のせいではないはずだ。

「ふ、ふんっ。上手くやったつもりなのかもしれんが、私からその言葉を引き出そうとしても無駄だぞ。こんな風に…誘導尋問に引っかかったような形で…誰がそう簡単に言ってやるもんか!」

このまま名無しに聞かれるままに自分から答えてやるのが癪に感じ、鍾会は咄嗟に適当な理由を並べ立ててこの場を上手く収めようとした。

しかし、クスクスと楽しそうに笑いながら語られる名無しの言葉が、鍾会の意識を現実世界へと引き戻してくれる。


「ふふっ。子上もだけど、男の人ってみんな同じ事を聞くんだね。なんか不思議!」


ピシッ。


男の人ってみんな≠フ辺りで彼女にこのおまじないを教え、他の男にもやっているのか?≠ニ尋ねたという司馬昭の話が鍾会の記憶に呼び戻された。


♪ピ〜ンポ〜ンパ〜ンポ〜ン♪


鍾会の脳裏で、謎のチャイム音が鳴り響く。


『ただいまより、鍾会終了のお知らせを致しま〜っす。関係者以外の方は全面立ち入り禁止となりますので、部外者の方々はただちにご退場願いま〜す!』


……と、人の悪そうな笑みを浮かべ、愛用の天龍刀を手に自分の方へと近付いてくる悪魔の化身の如き司馬昭の姿がまざまざと目に浮かぶ。


やばい。これはやばい。危機的状況だ。


北斗二千年の歴史…、もとい、司馬一族に刃向かう者は死・あるのみ!!


「……フ。フフフ……今日は北斗七星が良く見える。その脇に輝く小さな星までも……」
「?」

どんよりと暗い顔をして、ブツブツと独り言モードに入っている鍾会を、心配そうな顔で名無しが見つめる。

「どうしたの?鍾会。なんだか顔色が悪いように見えるけど…」
「はっ!?い…、いや!なんでもない!!」

やたらと鋭い名無しの観察眼に、鍾会は言葉を濁しつつ仰け反った。

こいつ!普段は男の反応なんて気持ちいいくらに総スルーするくせに、なんでこういう時だけ敏感なんだ!

「本当に?これから会議だっていうのに…。体調が悪いならあまり無理をしないでね、鍾会」
「だ…、大丈夫だ。それよりその…、名無し。さっきの事は私とあなただけの秘密という事にしておいてくれないか。なんとなく…、いや、絶対!」
「…?はい、分かりました。鍾会がそう言うなら」

『?』と怪訝な顔をしながらも、それでも男の言葉に素直に頷く名無しを見て、鍾会は一人でホッと胸を撫で下ろす。


あ、危ないところだった……!



────今日の事を司馬昭殿に知られたら殺される!!




─END─
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