SS 【ずるいひと】 「だってさ…。俺がこんな風に思いきってワガママ言えんの、正直名無しだけなんだぜ?」 「……子上」 思ってもみなかった司馬昭の言葉に、名無しがはっと顔を上げる。 「父上の見ている前でワガママなんて絶対言えないし、兄上の前で弱音なんて漏らしたらすげえ叱られるに決まってるし。司馬一族の男子たる者がなんてザマだとか、もっとしゃきっとしろ、昭!とか。いつまでもめんどくせばかり言ってないで司馬家の次男だという自覚を持て!とか」 「……。」 「分かってるんだよ、そんな事。他人に言われなくても自分でちゃんと分かってる。でも、頭では理解出来ていても気持ちがついてこないっていうか、時々休みたくなるっていうか。100%のうち80%か90%くらいまでは我慢出来ても、俺だって愚痴の一つや二つくらい言いたくなる事だってあるよ」 「うん……」 「それが俺の場合は名無しだって訳で。求められれば頑張りますけど、その分どこかで甘えたい。吐き出せる場所が欲しい」 「……うん。分かるよ、子上。その気持ち……」 名無しは、心配そうに眉を寄せて呟く。 右を向いても左を向いても、親も兄弟も親戚も全員優秀な人物だらけの環境に置かれていること。 名門・司馬家の人間として生まれてきたこと。 大国・魏城の中でもかなりの重役に就く司馬懿の息子として周囲から常に好奇の目に晒され、それなりの活躍と能力を期待されていること。 そういう世界に生まれてきたのだから仕方ない、それが己に課せられた人生なのだから仕方ないと分かっていても、その渦中にある司馬師や司馬昭にしてみれば、世の一般人よりもはるかに大きな重荷を背負いながら生きているのかもしれない。 何をするにも何を言うにしても常に司馬の名前がついてまわる。人前で弱音を吐くな、他人につけ込まれるような隙を見せるな、何があっても平気な顔をしろ、私情を捨てろと言われる。 まだ遊びたい盛りの二人にとって、普通の若者のように振る舞う事も出来ず、様々な制限を与えられる不自由さは如何ばかりのことだろうか。 「なあ名無し。お前の彼氏や夫でもない俺がこんな風に甘えるのって、やっぱり本当は良くない事なのかな。本当はお前にウザがられてるとか。俺、そのうち…お前に愛想尽かされちまうのかな?」 端整な顔立ちを悲しげに曇らせ、静かな声で司馬昭が言う。 父親譲りの美貌と、父親とは異なった種類のワイルドでより男らしい魅力を持つ司馬昭。 190pという高身長に鍛え上げられた格闘家のような恵まれた肉体を持ち、武術に優れる反面、面倒臭がりでちょっぴり軽そうに見える色男の彼がたまに見せる真面目な表情。切なげな眼差し。 そんな司馬昭にこんな風にして甘えられてしまうと、普段はバリバリの俺様で、強引な彼のイメージとのギャップも相まって、名無しはつい彼の言うことなら何でも聞いてあげたくなってしまう。 若く、逞しく、美しく、ましてや父親に良く似た魔力を秘めるこんな魅惑的な茶色の瞳で、普段見せない甘えた表情と熱い眼差しと共に見つめられたら、きっとどんな女でも思うがままではないだろうか。 同じ一族の血を引きながら、父親の司馬懿や兄の司馬師には決して真似出来ないこの芸当。 これぞ下の子の強み。弟パワー、恐るべし!! 「……子上の言う通りにしたら、ちゃんと会議に出席する?」 「うー…。する、かも。多分…」 「んもう…。『かも』とか『多分』じゃダメでしょ。きちんと約束して、子上。出席する?」 「ああもう〜。めんどくせ!はいはい、しますよ!すりゃいいんだろぉ〜?」 尋ねる名無しに、司馬昭が投げやりな回答を述べる。 何度目かのやりとりの後、司馬昭はひときわ間延びした声で『あーあ』と漏らすと、ググーッと両手を上に伸ばして背伸びする。 「名無し。俺、行くわ」 意を決したのか、司馬昭は真面目な目付きで名無しを見る。 「……てか、こんなところでグダグダやってたってなんの意味もないもんな。人生、どれだけ嫌な事でも面倒な事でも、結局最後は逃げる訳にはいかないと思うし」 「……うん」 「悪いな、名無し。朝から邪魔ばっかして。俺もう今日はお前の部屋に寄らないから、安心して仕事してくれよな。これ以上お前に甘えんのやめた。……今日の所は」 自らに言い聞かせるような口調で告げて司馬昭が立ち上がろうとした直後、名無しの手が伸びて男の手を掴み取る。 「子上」 「えっ?」 「おまじないだよ」 男の大きな手に小さな白い手を重ねるようにして、名無しは司馬昭の手をギュッと握った。 精一杯の気持ちを込めて。自分の中にある、司馬昭への目一杯の信頼と愛情を込めて。 「子上なら絶対に大丈夫だよ。私、応援してるから頑張って。……ねっ?」 ニッコリ。 司馬昭に言われた言葉を意識しているのか、『ねっ?』の辺りで気持ち語尾を上げ、首を傾けて言いながら優しく微笑む名無し。 名無しの手の柔らかさと暖かさ、笑顔の眩しさとハートマークが飛び交っているような言い方と上目遣いの潤んだ瞳、首を傾げた女の子チックな仕草。 それらの全てが見事なまでに絶妙のバランスを保って折り重なったハイパーレベルの可愛らしさに、名無しと触れ合った部分から司馬昭の体温が一気に急上昇していく。 まさに自分の注文通り。驚く程のハイクオリティ!! なんだこの可愛さは!!けしからん!!実は陰でこっそりこういう仕草やポーズを練習しているんじゃないのか!? なんだこの鮮やかな手口は!!プロの仕業か!! [TOP] ×
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