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【ずるいひと】
 




「ハァ…、行きたくねえ。行きたくねえったら行きたくねえ〜」

吐き出すようにして呻きながら、司馬昭が冷たい机の上に突っ伏す。

この日司馬昭は朝から名無しの部屋を訪れていた。

何か嫌な事があった時。面倒な事から逃げ出したい時。

名無しが仕事中、勝手気ままに彼女の部屋に入って来たかと思えば使われていない椅子を勝手に移動させて名無しの執務机の前にセットし、机を挟んで彼女と正面から向かい合うような形でその椅子に腰掛けて居座るのは、司馬昭のいつものパターンだった。

「なんで今日は朝から四つも会議が入ってんだよ。あーめんどくせ!」

一回あるだけでも面倒なのに四回とかマジありえねえとぼやく司馬昭に、名無しは筆を走らせていた手を止めて顔を上げる。

「あれ?確か子元も今日は会議が沢山あるから忙しいって言ってた気がするけど。ひょっとして同じ内容?」
「そ。兄上も四つとも全部ご一緒です。だから余計に緊張するってのもあるんだけどさ」
「ふふっ。それは確かにあるかもね。でも、子元が出るならやっぱり子上も参加しなければいけないんじゃないの?」
「そこなんだよ。兄上が出るならサボる訳にはいかねえし、かと言って出たら出たで適当な事言うわけにはいかねえし、真面目に考えなきゃいけねえし、臣下達を説得できるくらいの『司馬家の次男としての責任有る発言』とやらをひねり出さなきゃならねえし…。それが四回連続。あーもう、考えるだけで朝から憂鬱だよ。ハァ…」

言葉通り憂鬱で仕方ないという顔をして、司馬昭が何度目かの溜息を漏らす。

会議に出るのが好きで好きで堪らないといった人は確かに少ないのではないかと思えるが、彼の言動から察するに、司馬昭は本当に苦手なようだ。

兄の司馬師は父親である司馬懿によく似て論理的な思考を好む性格もあってかそれほど会議を毛嫌いする傾向は見られないが、堅苦しい雰囲気が苦手でじっとしている事の苦手な弟の司馬昭にしてみればとても窮屈な空間に感じるらしい。

(うーん。どうしたものかな)

そんな彼の性格と気持ちを理解している為、どう答えようかと名無しが悩んでいると、突然司馬昭がガバッと体を起こす。

「そうだ。名無しがおまじないしてくれたらおとなしく会議に出てやってもいいぜ!」
「えっ…。おまじない!?」

何の事やら分からずに、名無しが目を見開く。

「それって、簡単なこと?私にも今すぐ出来るような事であれば、いくらでもやってあげたいと思うけど」
「ああ。簡単簡単。すぐ出来る」
「そっか。だったらいいよ。どんなもの?」

おまじないという言葉を聞いて名無しの頭に真っ先に浮かんだのは、手の平に三回『人』という漢字を書いて飲む込むというものであった。

確か緊張している時に効果があると言われるおまじないだったような気がするが、司馬昭が言っているのもそういう類のものだろうか?


「子上なら絶対大丈夫。応援してるから頑張って。ねっ?≠チてアイドル級の超可愛い声で言って。ポイントとしては、最後の『ねっ?』の後にハートマーク10個くらい連打でつけること。んで、トドメにちょい上目遣いで俺を見上げて、ついでにちょい首を傾けながら言う感じでヨロシク!」


男前の顔でニカッと笑う司馬昭の返答に、名無しの眉間に皺が寄る。


……なんじゃそれ……?


と、言うか、ねっ?っていう「?」の疑問符の後にハートマークをつけるってどんな言い方なのだろう。それって結構難しい発音じゃないだろうか。


『ねっ?』の後にハートマーク10連打で飛ばしまくり、トドメとばかりに上目遣いで男を見上げて首を傾げる。


そんな芸当を簡単にやってのけるだなんて、一体どこの萌えキャラだ!!


思わず名無しが訝しげな視線をジトーッと司馬昭に注いでいると、司馬昭がすねたような顔で言葉を続けた。

「なんだよ名無し。可哀相な生き物を見るようなその冷たい目付きは!」
「……それ、本当におまじないなの?」
「ほ、本当だって!これ世間では凄い有名なやつじゃん。俺が子供の頃、すげえ流行ってたんだってば。父上もやってくれたし!名無し知らないの?ハハハ!バ、バッカだなー!」

身振り手振りを加えながら慌てたように説明する司馬昭の姿を見て、名無しの疑問が確信へと変わっていく。

(絶対ウソだ!)

彼の話の中には名無しでも分かる明らかなウソがある。

そういうやり方が実際にあるかどうかは別として、語尾にハートマークを10連打しながら首をかしげて『ねっ?』というなんて、まずあの司馬懿はやってくれないと思う。と言うか、絶対にやらない。

咄嗟の反論とは言え、完全に墓穴を掘った感がありありの司馬昭に半ば呆れながらも、同時にこんな事を言い出した男の気持ちも理解出来るような気がして名無しは複雑な思いを抱く。

(でも、子上の気持ちは何となく分かるかも)

弱気になっている時。やる気が出てこない時。緊張している時。本当はやりたくないのに、嫌々でも何かをやらなければならない時。

そういう時に誰かにそっと背中を押しして貰いたい。応援して貰いたいという気持ち自体は、名無しにだって分かるような気がする。

別にそこまで深い意味を込めた言葉でなくても、誰かに一言『頑張って』『応援してるよ』『無理しないでね』と言われるだけで随分気持ちが軽くなった、という経験をした事があるという人は世の中にもいるのではないだろうか。


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