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【特別】
 




「ううん。違う。全ての男の人にそう思われたいなんて思わないから、せめて一人くらいには女性として見て貰えたら嬉しいなって…」
「ならいいだろう、別に。お前をいいと感じる男にとってはいいんだろうし、そう思わない男にとっては何の魅力も感じない。ただそれだけだ」

煩わしそうな仕草で司馬懿が額にかかる前髪を掻き上げた際、フワリと良い香りが漂ってきて名無しの鼻腔をくすぐる。

(いつも思うけど、これ、何の匂いなんだろう。仲達の使っているシャンプーの香り、とかなのかな…?)

女性である自分の目から見ても羨ましく思えるくらい、司馬懿の髪は綺麗だ。

きっと彼のような男性が使うのであれば、普通の店では売っていない高級商品か、もしくは司馬家御用達の特別製シャンプーなんてものまであるのではないか。

けれど、例え彼と全く同じ物を使っていても自分の髪からはこんなに魅惑的な香りなんてしないだろうなと、目の前にいる美しい男を見ながらしみじみと名無しは思う。

誰から見ても特別な人。

誰から見ても、素敵な人だ≠ニ感じる人。

司馬懿のような人間になる事など到底敵わないと知っているけど、せめてこの広い世界のどこかに、誰か一人くらいは自分の事を特別だと思ってくれる男性がいるとしたら。

きっとそれは自分にとって、十分幸せな事だと言えるのではないだろうか?

「世の中には変わり者がいる。よって、お前みたいな女をいいと思う珍しい男も絶対にいないとは言い切れん。確率論だが」

そんな名無しの気持ちをいやという程的確に見抜いて、司馬懿はどこまでも傲慢で尊大な台詞を、神の手で作られた彫像の如き美貌でもって名無しに投げつける。

深海の底のように神秘的な輝きを宿す瞳で、見る者を惑わせるような妖艶な眼差しで、ビターチョコレートのようにほんの僅かな甘さを秘めた、蕩けるような低い声で。

「でも、仲達も私から見れば結構変わった男性に感じるよ」
「ふん。心外だな。私は変わり者ではない。単にひねくれているだけだ」
「ふふっ。仲達ったら自分で言ってる!」
「人に指摘される前に自分から言う。お前に突っ込みの隙を与えてやるのが癪だっただけ」
「もうっ!」

皮肉った司馬懿に、名無しの口元から困ったような笑みが零れる。

その気になれば、一日中でも休まずに他人と弁舌バトルを繰り広げるのも可能だが、残念ながら私はそれほど暇ではないのだと言いたげな態度でさっさと名無しのお悩み相談コーナーを切り上げようとする司馬懿。

司馬懿は決して気が長い質ではない。

一見冷たい対応に見せかけて、そんな彼が仕事の合間にこうして自分の打ち明け話に付き合ってくれているという事が、普段の彼を知る人間からすればどれだけ貴重な事なのかというのを名無しは知っている。

「ありがとう、仲達。私、凄く元気が出たよ!」
「ほー、そうか。だったら今日はお前が私の分まで残業しろ。その無駄な元気を報告書作成と表計算に全て費やせ」

そうは言っても、どんな時でも尊大で意地悪な台詞を降らせてくるのは司馬懿の標準装備なのだが。

「はいっ。頑張ります。……あ、そう言えばもうそろそろ3時だね。一旦休憩にしようか。お茶を入れるね、仲達」
「ああ」

そんな司馬懿の態度などもう慣れっこだとばかりにさらりと受け流し、笑顔で尋ねる名無しに司馬懿が短く返事をする。

「そうだ…!確かこの間、張コウから凄く美味しいお茶を貰ったの!仲達と一緒に飲もうと思って大切に取っておいたんだよ」

いい事を思い出した!というように、名無しの瞳がパァッと輝く。

「あと、甘い物が苦手な仲達でも食べられるようにと思って柳花堂≠フおかきを買って来たの。ごまと、海苔と、エビと、ホタテと、醤油味と…。沢山種類があったから、張り切って色々買ってきちゃった。どれか一つでも仲達が気に入ってくれると嬉しいな!」

名無しはそう言って机の一番下の引き出しから柳花堂≠ニ書かれた紙袋を取り出すと、大切な宝物を扱うようにしてギュウッと両手で抱きかかえる。

その仕草がとても可愛くて、ニコニコしながら仲達、仲達と何度も自分の名を呼ぶ名無しの姿がとても愛らしく思えて、司馬懿は思わず目を細めて名無しを見た。

……が、男は不意に苦い表情を浮かべて彼女から顔を背け、代わりに手元の書類に視線を戻す。

「分かる奴にだけ分かればいいんだ、お前の良さは」
「うん。私もこれからはそう思う事にするよ。ありがとう、仲達」

笑顔で礼を述べ、お茶とおかきの袋を抱えて部屋の奥へ向かう名無しの後ろ姿を、司馬懿は横目だけでチラリと追う。

「この私ですら気付くのに数年かかったのだからな。他の奴らに、私と同じだけの理解度を求めるのは到底無理な話だ」

司馬懿の声に丁度被せるようにして、ガタガタッ、と名無しが戸棚から茶器を出そうとしている音が重なる。

微かに聞こえてきた男の声に気付き、名無しは途中で作業を止めて背後を振り返った。

「え…?ごめんね、聞こえなかった。何か言った?仲達」

尋ねる名無しの目に飛び込んで来たのは、普段あまり見られない司馬懿の困惑した表情だった。


酷く不機嫌そうで、不愉快そうな。


そしてどこかふてくされているような、ムスッとした顔で司馬懿が言う。


「あっさり分かられてたまるか。……他の男なんかに」



(……仲達……?)




─END─
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